蕎麦彷徨

ひとりの素人が蕎麦について考えてきたことを書きしるすブログ

「六本木 竹やぶ」訪問(2)

2008-12-03 | 食・旅

「六本木 竹やぶ」のつゆは濃すぎた。
つゆが濃すぎるのは問題である。それは、蕎麦で「命」と言える程大切な香りを消し去ってしまうからである。蕎麦を食べるということは、蕎麦そのものを頂くのである。その時のつゆの役割はいわば「脇役」である。脇役たるつゆは、蕎麦そのものの引き立て役である。だから、自己主張してはならない。濃すぎるつゆは、蕎麦の香りを邪魔し、自己主張をしてしまう。どちらかと言えば、つゆはうすめの方が良いし、鰹の出しも、イノシン酸の旨味はたっぷりありながら、その匂いは控えめの方が良い。

「竹やぶ」のつゆを、「ミシュラン」は「上品な味わいのせいろはコクのあるつゆと相性が良い。」と評価しているが、果たして「コクのあるつゆ」と評すのが適切か、あるいは蕎麦のつゆとしてふさわしいものか。上記の理由で私には疑問に思われる。
以前にここで書いたように、私は日本料理のつゆの作り方から学んだ方法で、蕎麦のつゆ作っている。

ところで、「竹やぶ」の蕎麦には肝心な香りがなかった。
最後に、この香りについて少し触れておきたい。私は、何度も書いたが、蕎麦は「香り」と「いいコシ」につきると考えている。とりわけ、香りは大切で香りのしない蕎麦など意味がないと思っている。この香りについて、「竹やぶ」の総師、阿部孝雄氏は自身の著書・『竹やぶの蕎麦』の中で次のように述べている。
「そばの香りを強く出そうと思えば、玄そばの挽き方によって簡単にできます。いまのそば粉でも、ちょっと粗挽きにすると『ああ、こんなに香りの良いそば・・・』と言ってもらえます。それはテクニックとして簡単です。」
蕎麦の香りを出すことが、こんなに簡単なことなのだろうか。私にはとても理解しがたい。蕎麦の香りは、玄ソバの品質によって大きく変わるだろうし、玄ソバの保管方法によって大いに変わってくるだろう。だから、阿部氏も黒姫高原でソバの委託栽培をし、厳格に保管をしているのではないのだろうか。
蕎麦の香りの問題は、単なる石臼の挽き方で全てが決まるような問題ではないと、私は考える。


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