中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第12回);第1日目(4);大井宿

2012年04月20日 07時22分33秒 | 中山道六十九宿

                                       <大井宿五妙坂>

         中山道六十九宿巡り(第12回);第1日目(4);大井宿
                (五十三次洛遊会)

           2012年4月6日(金)~8日(月)

第1日目;2012年4月6日(金) つづき


<大井宿地図(再掲)>


※前回の地図と〃


※恵那市観光案内(資料4)より抜粋引用

<いよいよ大井宿>

■大井宿の概要
 大井宿は江戸から46番目の宿である.現在の岐阜県恵那市大井町に位置している.
 資料1(p.126)によれば,大井宿は「東美濃の戦略的要衝にあり,中山道咲いたの6箇所に枡形が作られていた.旅籠屋は美濃16宿最多」であった.資料2(p.249)によれば,宿内人口466人(男245人,女221人),宿内惣家数110軒(本陣1,脇本陣17,旅籠41の規模であった.

■恵那市内の中山道
 恵那市リーフレット(資料4)による恵那市内の中山道の様子は次の図の通りである.




<枡形に沿って>


■菅原神社
 11時34分,中央高速道の跨線橋を渡る.私たちはいよいよ大井宿に入る.
 跨線橋を渡ってすぐのところに菅原神社がある.立派な神社だが,神社の由来などは不明.


<菅原神社>

■石段を下る
 菅原神社前の石段を下る.傍らに「大井宿300m」と書いた案内板がある.石段の上から大井宿が見下ろせる.


<大井宿まで300メートル地点の石段>

■上宿石塔群
 石段を下り終える辺り,進行方向右手の土手に上宿石塔群がある.浅学の私には,これらの石塔群が何かは分からないが,庚申塔だけははっきりと分かる.資料3(p.45)によると,「宿場に入り込む悪霊封じ痰切地蔵など15基」があるようだ.また,傍らにある説明文によると,一番左側の碑(残念ながら,この写真では写っていない)の徳本は,紀州日高で1758年(宝暦8年)に生まれ,文化文政(1804~1830年)の頃,この地に来て,念仏教化を行い,多くの信者を得た高僧だったようだ.

<上宿石仏群>

■南無阿弥陀仏の石塔
 11時38分,明智鉄道の線路を潜る,
 線路を潜ると,すぐ右手に南無阿弥陀仏の石塔が立っている.傍らにこの碑の案内文があるが,引用は省略する.



<恵那鉄道の線路を潜る>


<南無阿弥陀仏の石碑>

■大井宿高札場跡
 恵那市内に入る.ほとんど昔の面影は感じられない家並みが続く.
 11時41分,大井宿高札場跡に到着する.傍らに「中山道五妙坂」と刻字した石柱が立っている.


<いよいよ大井宿だ>


<大井宿高札場>

<大井宿の核心部>

■延寿院横薬師
 高札場辺りから五妙坂に入る.なだらかな登り坂である.
 11時42分,延寿院横薬師前を通過する.ここで枡形を左に曲がる. 


<復元された高札場>


<延寿院横薬師>

■林本陣跡
 延寿院横薬師前の枡形を左曲がり,さらにその先で,今度は右へ曲がる.そこには白壁の塀と立派な門構えが建っている.ここが林本陣跡である.岐阜県の史跡に登録されているようである.
 残念ながら建物の殆どは戦後の火災で失われた(資料4).
 資料2(p.250)によれば,皇女和宮が東下の齋に使われた井戸,本陣の守り神だった稲荷などが残っているという.


<林本陣跡>

■中山道ひし屋資料館
 本陣跡で枡形を右に曲がる.
 11時45分,中山道ひし屋資料館に到着する.ここは庄屋であった古山家の住宅があった場所.古山家は大井宿の有力な商家「ひし屋」を経営していた(資料4).この家は明治初年に改築されているが,大規模な近代的町屋建築として保存されている.恵那市の文化財指定.
 今回はまだ旅の先が長いので,史料館の軒先で若干の資料を頂いただけで通過する.


<中山道ひし屋資料た館>

■脇本陣跡・大井宿下問屋場跡
 11時41分,脇本陣跡に到着する.ここは高木善右衛門の屋敷跡.大井宿下問屋場跡でもある.

<脇本陣跡>

■岩井慶光氏宅
 脇本陣と道を挟んで向かい側に岩井慶光氏宅がある.犬矢来のある立派な家である.資料2(p.250)によれば,この建物は明治10年代(1877年代)の建築のようである.
 家の軒下に明治天皇行在所と書いた石柱が立っている.


<岩井家住宅>

■市神神社
 岩井家住宅から西へ100メートルほど歩いて,枡形を右に曲がる.11時50分,道の突き当たりにある市神神社に突き当たる.
 資料3(p.250)によれば,この神社には大己貴命,天水分主命,国水分主命の三神が祀られているとのことである.浅学の私にはこれらの神様のことは全く分からない.
 神社の前で,中山道がどこか少々戸惑う.地図で道順を確かめながら先へ進むが,さすが複雑な枡形だけあって,迷うなと実感する.


<市神神社>

<大井橋を渡って昼食>

■大井橋
 地図を頼りに進むと,11時54分,阿木川に架かる大井橋の袂にヒョコリと出る.
 前回の中山道巡りで,恵那駅近くのビジネスホテルに宿泊したときに,この辺りを散策したことがある.この橋を見た途端に,この辺りの様子を思い出す.
 見覚えのある橋を渡る.橋の欄干にはたくさんの絵が飾り付けてある.これらの絵にも見覚えがあって懐かしい.
 資料3(p.45)によると,子野橋は,阿木川の川幅が廣いので,中島を作って架橋したらしい.


<大井橋>

■橋の袂の「エイト」で昼食
 12時02分,大井川を渡ってすぐの川岸にあるレストラン「エイト」に入る.
 このレストランは,前回の旅でも利用したことがあるので,気が楽である.見覚えのある店内は懐かしい.丁度昼時だが,店内は空いている.

 私たちは,一番奥の席に座る.

<レストラン「エイト」に入る>

■充実した昼食
 私は定食を注文する.
 メニューは写真の通りである.洋皿にお椀の味噌汁とお箸.和洋チャンポンなのが,何となく可笑しいが,逆に親しみが湧く.これにコーヒーとデザートが付いて,何とウン百円.お値打ちである.
 私たちは,食事をしながら,ユックリと休憩する.
 どうやら,予定通りに進捗しているようである.




<レストラン「エイト」の定食;お値打ちである;写真には写っていないが,この他にデザートが付く>

                                            (つづく)

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;五街道ウォーク事務局,発行
年不明,『ちゃんと歩ける中山道六十七宿』
資料4;岐阜県恵那市,発行年不明,『てくてく恵那を歩いて行こう』


「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2887e06550198fb2e1fa7f7c168cf97c
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e59f7eebae3268aadda3d5e87416488c

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