中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
最初に左下の“カテゴリー”を選んで,クリックして下さい.

東海道五十三次宿場巡り全15回第10回(33)

2008年05月15日 05時40分43秒 | 街道:東海道五十三次

                         <安部川を渡る>

         東海道五十三次宿場巡り全15回第10回(33)
               (小田急トラベル)
       2008年3月15日(土)~11日(月)(その2)

      ←これまでの東海道五十三次宿場巡りの記事をご覧になる場合は,
       左の『CATEGORY』欄の中にある
       「東海道五十三次」をクリックしてください。


第10回 第1日目 3月15日(土)(2) 


<第1日目午後の地図>




                ※プリントすると綺麗に見えます.

<府中宿を行く>

■上伝馬本陣と脇本陣

 護国神社で休憩を終えた私達は,恒例の「エイ,エイ,オー」の掛け声とともに,静岡鉄道(以下,静鉄と略す)の線路に沿う道路を,暫くの間,南西に進む.そして,11時37分に,静鉄脇の道から左折して,南南東に少し進み,東海道本線のガードを潜る.すぐに左に曲がって,今度は西へ進む.
 11時41分,静岡市「曲金」の標識の前を通過する.路傍に綺麗な花が咲いている. 11時48分,東海道新幹線と東海道線の高架下のガードを斜めに横切って,静鉄線路沿いの道に出る.近くに静鉄の音羽町駅がある.
 
         <久我山東照宮道>                 <上伝馬本陣・脇本陣跡>

 12時07分,「久能山東照宮道」と書いてある石碑の前を通過する.ここがどのような所かは全く分からないまま,ただ,ただ,セカセカと通過してしまう.
 辺りは段々と都会らしい雰囲気の街に変わっていく.そして,12時12分,私達は「東海道府中宿上伝馬本陣脇本陣跡」を通過する.
 府中宿は江戸から19番目の宿場である.旅行社の資料によると,本陣2軒,脇本陣2軒,宿内の旅籠の数43軒,宿内戸数3,673戸,宿内人口10,471人だったようである.もっとも,これらの数値が,江戸時代の何時のものかは全く分からない.

      <曲金>                     <札の辻>

■西郷・山岡会見跡
 伝馬町本陣跡から,ほんの少し歩いた所に,西郷・山岡会見跡がある.ここには,大きな石碑が建っている.石碑の上部には,この2人のレリーフが填め込まれていて,その下に会見がどのように行われたかを記述した文章が刻まれている.
 ここは,幕末の頃,駿府まで進軍してきた西郷の元に,山岡鉄舟が会見に訪れた所である.この後に行われた西郷と勝海舟の江戸海上談判の前哨戦となった会談だったようである.この会談で,西郷は,徳川慶喜の身柄の安全を保証したようである.
 私達は,そんな経緯には頓着なしに,急ぎ足で,この場所を通り過ぎる.写真を撮っていて,ついつい遅れ勝ちになる私は,集団の後を追いながら,このような史跡を全く見ないで,ただ,ただ大急ぎで通過する旅で,果たして皆が満足しているのだろうかと素朴な疑問を持つ.
 大急ぎで,この石碑の写真を撮った私は,遅れを取り返すために,急ぎ足で先頭を追いかける.先頭のガイドの側にいないと,肝心の史跡があること自体,分からずに通過してしまう可能性があるから,どうしても,先頭付近に居なければならないのが辛い.

■札の辻跡
 いよいよ賑やかな静岡市内に入る.政令指定都市だけ会って,静岡はさすがに賑やかで立派な街である.西郷・山岡会見跡を過ぎると直ぐに,大きな交差点に出る.この交差点を左に曲がって,ほんの2ブロックほど南へ向い,さらに右折して,今度は西へ向かう.
 静岡市役所前を通り過ぎた所にある札の辻跡を通過する.
 その昔,駿府城追手門入口に高札場が置かれ,札の辻と呼ばれていた.旅行社の資料によると,明治7年に高札場は廃止されたという.
 1950年(昭和25年)に設置されたという「札の辻祉」の標柱が,放置自転車の間で埋まるように建っている.

■静岡北ワシントンホテルで自由昼食
 札の辻祉の交差点を左折して,南へ向かう.そして,12時25分,今夜の宿泊場所である静岡北ワシントンホテルに到着する.繁華街の一角から,長いエスカレーターに乗って,ホテルロビーに到着する.
 私達は,このホテルのレストランを借りて,自由昼食を摂ることになっている.私も,リュックから,今朝,大船駅前のコンビニで購入したオニギリを取りだして.昼食にする. 昼食後,再びホテルを出て,西へ,西へと,道の駅宇津ノ谷まで歩き続け,第1日目の旅を終える.そして,バスを使って,再び,この静岡北グランドホテルに戻る予定である.
 私達は昼食を摂りながら,ホテルに預ける品物と,午後も持ち歩く品物とを仕分けする.そして,ホテルに置いていく荷物はロビーに預ける.もともと,余計なものはほとんど持っていない私は,特段,ホテルに預けるものもないので,今持っている荷物を担いだまま,午後も歩き続けるつもりである.
 
           <静岡北ワシントンホテル>             <安部川の義父の碑>

<安部川を渡る>

■府中一里塚跡をパス

 昼食を終えた私達は,例の掛け声とともに,13時16分に,静岡北ワシントンホテルを出発する.賑やかな街を南へ進む.広い通りを横断してから,2番目の通りを右折する.そこから2ブロック西へ向かう.そして,さらに左折して南南西に,どこまでも真っ直ぐに進む.
 途中,北側のバス通りには,日本橋から43番目の府中一里塚跡があるとのことだが,残念ながら,そこには立ち寄らずに通過するという.立ち寄らないことに不満が残るが,このツアーでは,途中で止まらないのが原則だというので止むを得ない.

                <「安倍川の義父の碑」説明文>

■安倍川餅を賞味
 やがて,道路がほんの少し登り坂になり,進路が少し西向きに変わる.やがて,道幅の広い大通りに合流する.直ぐ先に安倍川の鉄橋が見えている.私達は横断歩道のない場所で道を横切って,13時42分に,大通りの南側の歩道に渡る.
 歩道をほんの少し安倍川の方に進むと,有名な安倍川餅を食べさせるお店が3軒並んでいる.ここで,安倍川餅を賞味するために,約20分間,休憩を取ることになる.
 少し前に,昼食を食べたばかりなので,食欲はないが,ものは試しに,一番近くの石部屋というお店に入って,安倍川餅を注文する.
 小さなお皿に,お餅と「あんこ」が乗っている.なかなか美味しい.

       <安倍川もち「せきべや」>                  <由井正雪の石碑>

■由井正雪の碑
 安倍川餅を賞味し終える.まだ,少々時間があるので,ほんの少々,今来た道を戻って,大通りとの合流点にある公園を訪れる.小さな公園には,トイレ,それに由井正雪の石碑が建っている.大きな石碑だが,何が書いてあるのか,浅学の私には,良く読めない.
 由井正雪は,慶安事件で,江戸幕府転覆を企てた首謀者である.その正雪が安倍川畔で晒し首になった.その首をこの地で葬ったと言われている.
 小さな公園を一回りして,元の場所に戻る.途中の土産屋に立ち寄って,東海道五十三次の全宿場を印刷した手拭いを衝動買いする.この手拭いに同封されている府中宿の説明を見ると,旅行社の資料と同じことが書いてある.この手拭いから,先ほど記した府中宿のデータは,1,840年代の数値であることが分かった.

                             <安倍川餅>


                    <東海道五十三次の手拭い>

■安倍川を渡る
 14時04分に,安倍川餅屋を出発する.
 直ぐに安倍川に掛かる長い橋を渡る.橋の上から,広い河原が見えている.川面から吹き上げてくる風が,幾分寒く感じる.
 川の下流,数百メートル離れた所に,東海道新幹線と東海道本線の鉄橋が見えている.ときどき,ゴトゴト,ゴーゴーと車輪の音を響かせながら電車が走っていく.
  
                    <安倍川を渡る>

<丸子宿に入る>

■丸子一里塚跡

 14時30分,私達は,いよいよ丸子宿跡に到着する.丸子宿の案内板の側に「歴史の道東海道ご案内」と書いた説明文が建っている.勿論,ここは立ち止まらずに通過する.私は慌てて,案内板と説明文の写真を撮る.写真を撮っている間に,また,列の最後尾になってしまう.慌てて,急ぎ足で前の方へ移動する.
 あたふたする私の姿を見て,深いに思っている人も多いだろうが,記録を取るには,多少嫌われても,止むを得ないと,自分に言い聞かせる.
 14時42分,日本橋から44番目の丸子一里塚跡を通過する.跡地には,かなり古い石碑が1本,建っている.

         <丸子宿案内標>                   <丸子一里塚>

■丸子宿本陣跡
 旧東海道筋を西へ向かって歩き続ける.そして,14時52分,丸子宿本陣跡を通過する.しもた屋の前に立派な石碑が建っている.
 旅行社の資料によると,丸子宿は江戸から20番目の宿で,本陣1軒,脇本陣2軒,旅籠24軒,宿内戸数211戸,宿内人口795人である.この資料も,多分1,840年代のものだろう.

        <丸子宿本陣跡>                  <丁字屋の売店>

■丸子宿丁字屋
 14時55分に,私達は丸子宿丁字屋に到着する.ここで,20分ほど休憩を取る.
 旅行社の資料によれば,この店は,1,595年(慶長元年)から続く「とろろ汁」の老舗だという.旅行社の資料によれば,広重の風景画や,東海道中膝栗毛にも,この店が登場するようである.
 とろろ汁も賞味してみたいが,20分の休憩時間では,とても食べている間がないので諦める.その代わりに,店の周囲を散策する.「千寿の前」「辰石」「とんびとろろのわらべうた」「十返舎一九」「天和の高札」など,説明版が沢山建てられている.いちいち読んでいる時間がないので,取りあえずはデジカメで写真を撮る.
 
            <丁字屋>                   <十返舎一九の像>


                      <三和の高札>
                             (つづく)
前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/64bf7ecd7285a62caa50f21e8224ecd1
このシリーズのトップ
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c89cae7b2b1599037054c83f91e8fd39

『国内旅行』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
« 閑話休題:静かになった鎌倉... | トップ | 東海道五十三次宿場巡り全15... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

街道:東海道五十三次」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事