中高年の山旅三昧(その2)

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東海道五十三次宿場巡り全15回第10回(36)

2008年05月31日 05時32分47秒 | 街道:東海道五十三次
                   <金居寺本堂>

               東海道五十三次宿場巡り全15回第10回(36)
                      (小田急トラベル)
           2008年3月15日(土)~17日(月)(その4)

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10回 第2日目 3月16日(日)(2)
 

<藤枝宿>

■須賀神社の大木
 私達は,須賀神社で昼食を摂る.広場を挟んで金居寺の本堂が建っている.お寺の境内に射し込む日射しが,3月とは思えないほど暖かい.
 昼食後,境内を散策する.庭の片隅に,大きなクスノキが生えている.旅行社の資料によると,この大木は,旧東海道に接した須賀神社のご神木で,根回り15.2メートル,樹高23.7メートルだという.実に見事な枝振りである.
 この大木の全景をデジカメに収めようと思うが,境内一杯に後ずさりしても,とても全体を撮ることができない.
   
                    <須賀神社のご神木:タブの木>

■下本宿跡
 12時33分,須賀神社を出発する.例の「エイ,エイ,オー」の掛け声を掛けたのは言うまでもない.再び,西へ向かう.そして直ぐに左折して南南西に下る.
 12時49分,「藤枝宿」と書いてある案内板を通過する.
 藤枝宿は,江戸から22番目の宿場である.旅行社の資料によると,本陣1箇所,脇本陣はなし.旅籠37軒,宿内戸数1,061戸,宿内人口4,425人だったという.
 藤枝のアーケード街を歩く.日曜日のためか,シャッターが降りているお店が多い.歩いている人も,ほとんど見当たらない.極端な言い方をすると,まるでゴーストタウンのようである.
 13時06分,「下本陣跡」と書いた絵が貼り付けてある壁の前を通過する.

     <人が疎らな藤枝の商店街>                   <下本陣跡>

■志太一里塚跡
 13時15分,瀬戸川の橋に到着する.広い大きな川である.橋を渡りきるのに2分ほど掛かる.対岸の堤防に沿って,桜並木が続いている.まだ,桜は咲いていないが,桜が満開になると素晴らしいなと想像する.
 橋を渡りきると,すぐに志太一里塚跡に到着する.13時17分である.日本橋から48番目の一里塚である.しかしこれには異説があって,ここは50番目の一里塚だという人も居るようである.

                       <志太一里塚跡>

■西友で休憩
 この一里塚跡の側に秋葉神社と書いた石柱が立っている.私達は,13時17分に勝草橋公園の脇を通り過ぎる.そして,13時35分,西友に到着する.ここで,20分ほど休憩を取る.
 とにかく暑い.
 私は西友の店内に入って,アイスクリームを購入する.冷たくて生き返った気分になる.
 
            <西友で一休み>               <東海道追分>

<島田宿>

■東海道追分

 13時57分,西友を出発する.古東海道に沿って進む.
 14時07分,東海道追分を通過する.案内板の説明によると,ここには,中世の古東海道と,山裾に沿う旧東海道がある.東海道が瀬戸新屋を通るようになってから,東海道と古東海道の交わる所を追分と呼ぶようになったという.
 
        <東海道追分>               <瀬戸新星の松並木>

■瀬戸新星の松並木
 瀬戸新星の松並木に差し掛かる.2車線の道路の両側に,松並木が続いている.14時14分,藤枝市指定文化財千貫堤跡を通過する.この堤の説明文が2種類建てられている.
 この説明文によると,1,635年(寛永12年)に田中城主水野監物忠善が大井川の洪水から守るために,ここ下青島の無縁寺の山裾から,正泉寺裏山までの390メートルにわたって,高さ3.6メートル,幅29メートルの大堤防を築いたという.

                    <千貫堤の説明文>

■上青島一里塚跡
 14時18分,田中藩領標示石蹟を通過する.ただし,「標」の本当の字は「片」偏に「旁」という難解な漢字である.近くにある説明文によると,江戸幕府は細かく藩を区分して,行政をしき,田中藩も他領と入り組んでいたため,藩境に境界を示す標示を建てた.もともとの標示は,一丈余(約3メートル)もの高さがあったようである.
 12時34分,日本橋から49番目の上青島一里塚跡を通過する.広場の入口に素っ気なく建ててある.そして,直ぐに道幅の広い自動車道に合流する.暫くの間,単調な自動車道を西へ,西へと歩き続ける.
 上青島一里塚から1.5キロメートルほど歩いた所で左折する.

          <上青島一里塚>              <田中藩標示石蹟>

■JR六合駅で休憩
 東海道本線の踏切を渡って,JR六合駅に到着する.ここで20分ほど休憩を取る.広い駅前広場には殆ど人気がない.跨線橋の上に小さな駅舎がある.柵の向こうにホームが1本,乗客は殆ど居ない.
 私達は,日陰を探して,適宜,休憩を取る.
 時々,東海道本線の電車が発着する.

          <六合駅>                    <島田宿の標識>

■升形の見付
 15時16分,例の掛け声とともに,六合駅を出発する.
 再び単調な自動車道を,西へ西へと歩き続ける. 15時31分,一級河川の大津谷川の橋を渡る.
 15時47分,升形跡(宿東入口)を通過する.近くにある案内板によると,この升形は,宿場の東入口にあった見付のことだという.見付には,石垣や土手で街道に直角や鉤の手に区画したり,または三方を「コ」の字形に囲った升形など,いろいろな形が合ったようである.ここ島田宿の東入口には,例の少ない升形の見付が儲けられていたという.ここで,本陣の主人や町方の役人が,大名行列の送り迎えをしていたようである.

                     <升形跡>

■島田宿一里塚
 15時50分,日本橋から50番目の島田宿一里塚跡を通過する.いよいよ島田宿である.島田宿は,江戸から23番目の宿である.本陣3箇所,脇本陣はなし,旅籠48軒,宿内戸数1,461戸,宿内人口は6,727人だったという.
 案内板によると,通常,一里塚は,道の両側に設置され,5間四方(直径約9メートル)の大きさである.塚の上には目印の榎が植えられていた.ところが,ここ島田宿一里塚は,巾5間2尺で,北側にしか設置されていなかったようである.何故だろうか?

                     <島田宿一里塚>

■ルートイン島田駅前にチェックイン
 15時54分,今日の宿泊ホテルである「ルートイン島田駅前」に到着する.ひとまずチェックインする.これで,本日の行動は終了して,後は自由行動となる.
 私は,一旦,部屋に入った後,近くにあるという蓬莱橋を見学しようと思う.
 まずは部屋に入る.
 部屋の扉を開けて中に入る.すぐ右手に狭いバストイレ,その奥のシングルベッドが1台.これで部屋一杯である.壁際の机の上にテレビが置いてある.
                             (つづく)

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