中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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東南アジア紀行[4] 地ビールで乾杯

2012年02月18日 05時39分03秒 | 東南アジア訪問記 

[復刻版]        東南アジア紀行[4] 地ビールで乾杯
          (マレーシア・シンガポール駆け足の旅)
          1997年8月26日(火)~9月4日(木) 

第2日目;1997年8月27日(水)

 本文に入る前に:-
 1997年9月23日(火) 春分の日.朝から雨.
 朝食のとき,今日の日経新聞と朝日新聞に,ざぁ~っと目を通す.マレーシアのマハティール首相の発言もきっかけになって,リンギット(あるいはリンギ,つまりマレーシアドル)が急落していると報じている.
 朝日新聞によれば,3.10リンギット=1ドルにまで急落したという.対ドルでは円も安くなっているので,何ともいえないが,1ドル=123円とすると,1リンギット=40円ということになる.
 インドネシア訪問初日に,旅行社の王さんから,リンギットを買ったときは,1万円で224リンギット,つまり1リンギット=約45円であった.随分と短期間にリンギが急落したものである.
  昨年,タイを訪問した際は,工事を中断した大きな建物が沢山あることや,空き部屋ばかりが目立つビルが沢山あることに,大変びっくりしたが,今年(注;1997年のこと)になって,タイの経済が深刻な行き詰まりに直面していることが明らかになった.
 これも数年前のこと.某学会国際大会が北京で開催された.そのとき,私は,何も発表しなかったが,不謹慎ながら観光気分半分で大会に参加した.ただし,弁明しておくが,渡航費はすべて自分の小遣いから出している.しかも,連休を挟む数日.授業の休講もしていない.
 横浜の某大学の先生の伝(ツテ)で,われわれ一行は,北京の某大学の素晴らしい女性の先生に案内されて北京の観光旅行を楽しんだ.当時,北京へ進出した某小売店は,大盛況であった.でも,この現地の女性の先生は,
 「この店は,きっとつぶれます」
と断言していた.
 その理由として,
  (1)立地条件が悪い,
  (2)商品の品質が悪い,
  (3)高い,
の3点を上げていた.
 今,新聞誌上では某小売店の事実上の倒産の話で持ちきりである.
 これもトップダウン型が悪い方にでた事例だろう.

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■現地企業の幹部と会食
 さて,紀行文[3]の続きを始めよう.
 私達は,18時過ぎに,初日の2番目の訪問先であるJETOROを後にした.道路の渋滞は,タイに比較すれば,全くたいしたことはなかった.
 ホテルに着いたのが19時ちょっと前,「真面目」から,19時30分にロビー集合というお達しが出た.これから,明日の訪問先2社の幹部と夕食会を開くことになっている.
 私は,部屋に戻ると,そのまま荷物を置いて,すぐさま,シャワーを浴びていた.
 入浴中に,いきなり電話が鳴った.電話の主は「真面目」であった.
 「お客さんが予定より早く見えられたので,すぐロビーへ降りてきて下さい」
ということであった.
 大慌てで,支度を整えて,19時15分にロビーへ降りる.明日の訪問先であるB社およびC社のお歴々が待っていた.

 教訓:約束時間よりも,あまり早く訪問するなかれ(相手はあわてている!).

 一同,ホテルの隣のショッピングモールの2回にあるレストランで会食する予定である.
 そこで,連れたって,横断地下道を通って,ホテルの向かい側にあるショッピングモールへ足を運ぶ.モール街2階のレストラン "COCA" を,C社の窓口の方に予約していただいていた.
 まずは,地ビールで乾杯.
 その時,はじめてマレーシア産の地ビール「アンカー」をしんみりと賞味した.こくがあって,何ともいえないほど豊満で,しかも,さっぱりした味わいである.気に入ったので,以後,シンガポールでの滞在を含めて,旅行中は,ず~っと,「アンカー」で通すことになった.
 料理が次々に出てくる.ただし,国籍不明の料理である.でも,各国の料理の良いところばかり集めてある感じで,大変美味しい.
 雑談が弾む.
 マレーシアは,経済的にはASEANでは優等生である.でも治安の面では,タイと,どっこい,どっこい・・・・・・・と,B社のタイ駐在経験者が話す.停電も,ときどきある.ただ,以前よりは大分改善された.
 でも,つい先日,マレーシア全土が停電したことがあった.折しもマハティールが,テレビで,
 「マレーシアのインフラは完璧である・・・・」
と大見得を切っている最中に停電したので,この停電が大問題になったという.
 とはいえ,シンガポールは別格としても,ASEANの中では,マレーシアのインフラが,一番しっかりと完備していて,安定しているという評価であった.
 また,マレーシアに住んでみると,「表」は立派だが「裏」にまわると,かなり陰湿な面があるので,要注意だとも感想を述べていた.
 つまり,飲むほどに,酔うほどに,いろいろな悪口もでてくるが,それは,活字に残る形では書かぬが花であろう.

■眠いが洗濯だ
  21時50分.会食を終えて,やっと,ホテルへ戻る.
 それまで,ず~と背広姿であった.長時間の背広姿は肩が凝って困る.
 私は,用心のために,近くのセブンイレブンへ行って,飲料水とノートを購入.部屋に戻って,少々,眠いが我慢をして,下着の洗濯をする.
 だが,このホテル,浴室に洗濯干し場がない.仕方がないので,洗濯物をバスタオルで簀巻きにして,水分を良く吸い取ってから,ハンガーに吊した.
 ついでながら,こうすると滴(シズク)が下に落ちることがないし,洗濯物は一晩で完璧に乾いてしまう.これまた,外国旅行の秘訣の一つである.
 室内の冷房を「弱」に切り替えて就寝・・・・

■今日の訪問先の位置関係
  ところで,クアラランプール初日,つまり本日の訪問先の位置関係は,次の図の通りである.                                                                
                         |
      \/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\___/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
       |                           |
        \         マ レ ー シ ア 連 邦
         
 \                        \
           |    SELANGOR 州            |
            |                        |     PAHANG州
            |    SUBANG Air Port          |
           |     ●------■クアラランプール
           *Port Klang/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄◎JETRO    |
          |      ●Klang                   \
           \      \                       |
           |       |  Telok Panglima Garang     |
      マラッカ \       \◎A社               |
      海峡     \      /                 |
               |    /                 /
                 ̄\ ●Banting           |
                   \                |
                    \              |


 第3日目.1997年8月28日(木)

■レストランで朝食
 例によって,早朝5時に目が覚める.JSTでは6時だから,私としては,朝遅くまで,よく寝た方である.
 部屋の冷房が利きすぎて,とにかく寒い.体を温めるために朝風呂に入る.
 このホテルで最大に気に入っている点は,とにかく熱いお湯が勢い良く出ることである.ます冷水を目一杯の勢いで出す.そして,風呂に丁度良い暖かさになるまで熱湯の蛇口を捻る.熱湯を全開にすると,いくら冷水を全開にしても熱すぎるほど,熱湯の出が良い.だから給湯口がロケットになって発射するのではないかと思われるほど,猛烈な勢いでバスのお湯がたまる.だから,バスに入りたいと思ったら,ほんの2~3分の辛抱で,バスを楽しむことができる.
 ついでにワイシャツを洗濯して,バスタオルで簀巻きにして水分を切り,ハンガーに吊す.
  6時半.待ちかねたように3階プールサイドのレストランへ朝食に行く.
 まだ,外は真っ暗である.私は小さなノートを何時も持ち歩いている.ゆっくりとコーヒーを味わいながら,帰国後,執筆する予定になっている単行本や,来年,クアララランプールで開催される某学会で発表したいと思っている論文のことなどを,思いつくままノートに書き込んで,思案している.
 7時一寸前に,空が明るくなり始める.
 「ソカさん」がレストランに入ってくる.私の姿を見つけると,私を指さしながら,ウエイトレスに,
 「あそこの席にする」
とボデーランゲージで言っているようだ.
 「ソカさん」は,結構,ソーセージ,ハムなど,油っぽい肉類を,どっさりと皿に盛って席に戻ってくる.他人事ながら「太らなければいいが」と心配である.でも,その健啖ぶりは羨ましい.
 例によって,単パンにスニーカ姿のラフな姿をした「ゴムゾーリ」が,正規の入口でないところから,飄然とあらわれて,ウエイトレスの案内も受けずに,私達の隣の席に,べったりと座り込み,挨拶代わりに「にたぁ~っ」と笑う.この先生.いつも,焦点が定まらないで,こんな調子である.でも,商学博士の大先生なのである.
 本日は,自動車メーカのC社を午前中に,そして午後からC社の関係会社で,電装品の巨大メーカの現地法人,D社を訪問する予定である.

■大型観光バスでC社へ向かう
 7時50分.ロビー集合.
 今回の調査団には,時間にルーズな人は,一人も居ない.だから,定刻,5分前には,必ず全員が揃うので気分がよい.勿論,ガイドの王さんも,とっくに現れている.
 玄関に大きな観光バスが停まっている.王さんは,このバスを指さしながら,
 「どうぞ,乗って下さい」
という.王さんによると,配車の都合で,今日は,この大型バスで,終日回るというのである.バスの定員は何人か知らないが,4席/列で20列ほどある.それを,たった7名の団員でチャーターしてしまったことになる.別段,料金に変更はないようなので,乗り心地の良いバスの方が有り難いに決まっているが,なんだか申し訳ないような,勿体ないような気がしてならない.
 「このバス会社の原価意識はどうなっているの?」
と不思議な気持ちになる.
 バスはモノレール工事(2012年注:既に数年魔に開通している)で渋滞する道路を,ゆっくりと進む.
 昨年(注;1996年),タイの猛烈渋滞を経験しているわれわれには,この程度の渋滞は,それほど苦痛には思わなくなっている.今日も,何ともいえない汚い色の曇り空である.次回,触れるが,この濁った空には訳がある(W先生のコメントで,ネタがバレてしまったが・・・).
 街は広い道路がゆったりとしている.渋滞しているとはいえ,公園のようなすがすがしい場所を通って,やがてクアラランプールの郊外にでる.至る所で,開発のために掘り起こされた赤土の大地が目につく.赤土を過ぎるとゴムの密林が続く.原始と開発がカオス状に,斑(マダラ)に入り交じっている. 

■C社の工場見学
 やがて,C社の工場に着く.  工場の入口には,
   「工場重地間人免進」  
   -Working Promise No Admittance-
と書いた大きな立て看板が立っている.どんな意味か,あまり良く分からない.
 少々,早めに着いたので,取りあえずは待合室で待たされた.その間,同社の窓口担当のD氏から,マレーシアの四方山話を,たっぷりと伺った.
 定刻に,立派な会議室に案内された.昨夜,お互いに,くだを巻いた面々が,改めて,ぎこちなく挨拶を交わす.ここでは,以下の項目のプレゼンテーションを受ける.
 1.Outline of C Company.
 2.Feature of the Motor Vehicle Indusiry.
 3.The Automotive Market & Production Capacity.
  ただし,プレゼンテーションは現地幹部(日本人ではない)による英語である.詳細な資料が準備されていた.この資料の表紙には,
  Presentation to Academic Profesors from Japanese Universities とPOWERPOINTを使って書いてある.
 KB大学の「ソカさん」が一行に加わっていたので,Universities と複数形になっている.
 表紙作りに苦労したらしい痕跡がある.また,同時に沢山の資料を頂戴した.ここで,これらの資料を公開できないのは残念である.
 工場の規模は,それほど大きなものではなかった.建屋の軒の部分が,吹き抜けになっていて,風通しがよい.暑いから風が抜けるように建物が作られているという.組立ラインの速度は,日本に比べるとかなり遅いし,諸般の要因から,ラインが停止する頻度も高いという.また,日本の工場に比較すると何となく雑然とした雰囲気である.
 ここでは公表できないが,製造原価の内訳や,労務費の構成比率などが,日本と,どう違うのかなどを,かなり詳しく教えていただいた.その感想として,単に円高によって,労務費が安いから,東南アジアへ生産拠点をシフトしたという考え方が,如何に皮相的な見方かが,大変良く分かった.現実は,そんな単純なことでは説明が付かない.
 この工場を拝見して,あらためて「経営戦略とは何か」「経営計画とは何か」「経営にとってISとは何か」を,あらためて問い直したい気分になってきた.
 C社では,立派なボールペンを見学記念に頂戴した.

■C社幹部と中華レストランで会食
  午後の見学の都合もある.もっと,いろいろ伺いたかったが,当初計画より半時間以上も遅れて,近くのレストランへ移動した.丁度,われわれのチャーターした車が,特大だったので,プレゼンテーションに参加した C 社の幹部の方々も,数名,昼食に参加してくれた.
 レストランは,C 社から車で,10分ほどの所にある Raddison Hotel の1階にある.店の名前は"東苑(Tung Yuen)"という.中華のレストラン.
 レストランでは,円卓が2卓,われわれの予約席になっている.われわれ調査団と C 社の幹部の方々が交互に着席した.
 調査団の若手のP先生(「煙突さん」と命名しよう)は,名うてのヘビースモーカーである.機会があるたびに,建物の外にでて,せわしなくタバコを吸う.「煙突さん」は,若いのに英語が苦手らしくて,日本人同士の席を選ぶ.
 私は,着席するのが遅かったために,会計担当のインド人の幹部の隣の席になる.私は,ぎこちない英語で,彼と雑談する.彼の英語も訛りが凄い!
 私も日本人風に訛った英語である.聞き取るのに難渋したが,それでもいろいろなことを非公式に教えていただいた.
 蛇足ながら,会食の費用は当方の負担.現地には迷惑を掛けていない. 

■D社の工場見学
 レストランを出発したのは,14時10分.
 大分,予定より遅れている.勿論,午後の調査先の D 社には,遅れる旨の連絡を取っているので,その点では問題がないものの,この分では,調査が完了して,ホテルに戻る時間が遅くなること必定である.
 D社には,15時丁度に到着した.
 途中,錫の採掘場と思われる大きな露天掘りの鉱山の脇を通った.生来の私の専門は,地球工学である.だから,鉱山には普通の人以上に興味がある.一見,まるで,大きな隕石が落下した後かとも感じられる大規模な露天掘りの現場に,腰を抜かす程驚いてしまった.
 昔,昔,大学で習った採鉱学を断片的に思い出し,「ここで途中下車して,露天掘を見学したいな」と,かなわぬ希望が胸の内を過(ヨ)ぎった.
 D社を見学して「コストダウンと品質」「トランスナショナルの意味」.こんなテーマが研究課題だなぁ~
 と,漠然としながらも,問題意識を持ちはじめた.
 D社では,見学記念として,錫製のキーホルダーを頂戴した.東洋一高いといわれるSultan Abdal Samad Building を形取った長方形の錫製のプレートが革製の台に付いているものである.
 17時50分に,D社を後にする.

■和食の夕食
 渋滞の中,約1時間後,ようやくホテルに到着.
 さすがに疲れた.最早,夕食のために,あちこちレストランを探す気力もなくなった.
 「真面目」が和食を食べたいと言い出す.私は,和食は,それほど乗り気ではなれないが,要するに何でも良い.私見では,夜は自由行動にして貰いたかったが,「一緒に行動する」という団長の意向に,あえて逆らうつもりもない.
 結局,19時10分,ロビー集合.ホテル3階の和食レストラン「江戸」で,全員揃って夕食を摂った.またもやヘビーな食事である.そろそろ「うどん」程度で済ませたい私にとっては,"豚になる道まっしぐら"のような気がしてくる.  
 このレストランのテラスからは,クアラランプールの市街地が見渡せる.
 少々,早めに店に入った「ゴムゾーリ」たちが,テラスにでて夕涼みをしていた.
 地ビール「アンカー」で乾杯.これは発泡酒のような爽やかな味がする.旨い!
 私は「てんぷら定食」を注文する.
 天ぷら,刺身など数種類の定食がメニューに載っている.大体30~40リンギット程度のようだ(つまり1500~2000円程度).現地の方達にとっては随分と高い値段だろう.また,そば,うどん類は20リンギット(1000円程度)と,これまた割高である.
 20時40分ころ,部屋に戻る.せわしない一日であった.
                                       第4回 おわり
                                      (第5回につづく)

     ***********************************

[資料編] 出典:JETROマレーシア   マレーシアの概況[3]
        ※2011年注;古すぎる資料であまり参考にはならないと思うが・・

3.経済

(1)概況
 a.1986年10月,「1986年投資促進法」(PIA)を発表.輸出指向型製造業等への免税,外資出資
   比率の大幅自由化,外国人雇用ガイドラインの大幅緩和.
 b.1991年2月,マハティール首相は「2020年ビジョン」を提唱.同ビジョンでは2020年までに経済だ
   けでなく,国家的統一,社会正義,政治的安定,生活の質,精神的価値観,国家の誇りなどあら
   ゆる面で先進国レベルに到達することが目標.
 c.1991年6月,新経済政策(NEP:1971~1990)に代わる国家開発計画(NDP:2000年まで)および
   第6次5カ年計画(6MP:1991~1995)を発表.積極的な開発投資を行い,資本集約型,先端技術
   産業の育成,輸出振興に努める.
 d.1991年11月,新投資政策を発表.税制面での優遇措置を削減し,産業インフラ整備等により投資
   環境の整備を行う.
 e.1996年5月,第7次工業化5カ年計画(7MP:1996~2000)を発表.資本・技術集約型の輸出指向
   産業の確立を強調した.
 f.1996年11月,第2次工業化マスタープラン(IMP:1996~2005)を発表.技術革新をはかり,生産性
   向上による国際競争力強化,ハイテク化を推進する.

 (2)国内総生産

   GDP:1996年  RM 1,302億(1978年価格)
          1人当たりGDP 約 US$ 4,447

(3)経済成長率
      1993年  8.3%    |       1996    8.2
        94     9.2      |           97   8.0(見込み)
       95     9.5      |

 (4)通過レート
   RM 2.46=US$ 1
 
  約50円=1円(今[2012年注;1998年のこと]は円高が進んでいる)

「東南アジア紀行」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/485186f1b29c61d51b0a61acde1d1bbf
「東南アジア紀行」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/653d35c40abcc30828edf670a6dd4e14


                                                          



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