教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

護憲か改憲かの前に

2008-05-04 04:10:19 | 文化・芸術
各地で憲法集会、自民・民主が「審査会」めぐり見解(読売新聞) - goo ニュースによると、

憲法記念日の3日、改憲、護憲双方の立場から憲法集会が開かれた。与野党の幹部が国会に設置されたものの委員も決まらずに放置されている憲法審査会などについての見解を述べた。

☆戦後の憲法は、敗戦という国際政治の力学環境というか関係の中で作られた。その国際政治の力学は、今や変質している。1989年ベルリンの壁が崩れてからというもの特に顕著である。

☆その変質はしかし、戦前のものとは違うはず。国際政治力学の背景は、軍事力しての暴力から経済としての暴力へ、経済としての暴力から知識としての暴力へとシフトしていることは確かである。

☆ただ、やはり暴力性から脱し切れていない。改憲派はこの暴力性を居直りともいえるほど肯定してしまう。この流れにはやはり躊躇してしまう。しかし、「水戸黄門」は相変わらずロングランだし、「ごくせん」も人気だという。これらは正当化された暴力、圧倒的な強さを背景とする正義が前提の物語。何かが問題ではある。

☆一方、護憲派も、新時代構想の中に第九条を位置付けているわけではない。日本の産業構造の変化をグローバリゼーションと同期をとるわけではない。暴力性なき経済や知識の社会を作ろうよという呼びかけをするわけではない。

☆日々凄惨な事件が起きているが、これは日本社会に暴力性根絶の動きがないからだ。幼児虐待、DV、学校内のいじめ、企業内のパワハラ、メディアの表現の自由のなさ、経済格差、優勝劣敗の考え方の持続、裏サイト内の暴力、人間関係の抑圧性、国内政治の言論の裏切り・・・。これらには暴力性の存在の不気味な通奏低音が響いている。

☆人間存在、自然の存在、社会の存在に非暴力の寛容な通奏低音を、みんなで演奏する環境があって、護憲か改憲かもある。


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