懺悔道としての哲学――田辺元哲学選II (岩波文庫) | |
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岩波書店 |
☆第二次世界大戦によって、東京は焼け野原になり、2つの原爆投下による広島と長崎の被爆、沖縄の悲劇・・・。
☆日本中で、そして太平洋の各戦地で、今回の東北関東大震災と原発事故の凄惨な局面に立ち臨む人間の生き様が
☆映し出された。
☆今回、あらゆるメディアでも、そして私たちの生活の中でも、自分の無力を自覚し、何かできることはないかという
☆気持ちが溢れている。この無力から有力に転ずることはできないかという熱い思いと実際には手を尽くすことができない
☆被災地の様子が伝えられるたびに、再び無力を思い知らされるジレンマに、私たちは包まれている。
☆この私たちの心情と共鳴するのが、戦時下のすさまじき人間の生き様を目の当たりにした
☆田辺元の決意である「懺悔道」である。
☆哲学者として、真実が応現する存在としての国家を応援してきたのに、実際には方便存在としての国家となっていることに
☆気づきはしたが、それも化石燃料奪取それに基づいた市場奪取をもとめる当時の国際関係においては
☆どうしようもないと判断し、沈黙した。その無力さと勇気のなさの二重の無力に
☆悩んだその深い痛みを、今回私たちはかなり共有できるのではないだろうか。
☆この無力さを自分ができることから始めることによって、
☆なんとか有力に転化したいという活動は、まさに田辺元の懺悔道に通じる。
☆田辺元の懺悔道は、理性と理性を超える非合理性を勇気と他者からの愛をうけいれることによって
☆メタ弁証法的統一・超越をしようという構えに通じている。
☆今回の震災と原発事故によって、新しい都市を、新しい産業を、新しい教育を、新しい政治経済を・・・と
☆いう意志や心情が生まれている。
☆まさに戦後に通じる精神が、いつの間にか地下水脈に隠れてしまったのが、
☆今回の震災で、地表に噴出したかのようだ。
☆この精神の1つの捉え方が田辺元の「懺悔道」である。
☆スピノザ、カント、ヘーゲル、ハイデガー、ニーチェのような哲学者だけではなく
☆親鸞の思想やイエスキリストの思想も、検討し越えようとしている勇気ある高邁な精神は、
☆私たちをも勇気づけるだろう。