教育問題はなぜまちがって語られるのか?―「わかったつもり」からの脱却 (どう考える?ニッポンの教育問題) | |
広田 照幸,伊藤 茂樹 | |
日本図書センター |
☆本書は、教育問題の立て方、認識の仕方、解決の仕方が、
☆あまりにも恣意的で、操作的になりがちな現状の社会構造、
☆それを生み出している言説(メディア情報や日常のコミュニケーションなど)
☆の質を問うている。
☆したがって、筆者の言う社会構造と言説の正当で信頼のおける捉え方や視方を
☆身につければ、教育問題だけでなく、あらゆる問題に応用できる考え方がまとめられている。
☆いずれにしても、1人ひとりが、社会構造や言説をとりまく文脈を視ることが
☆できるようにならねば、いつまでもあらゆる問題は、
☆強迫観念として、つまり抑圧的、ある意味パワハラ的
☆な言説として、外部から煽られっぱなしになる。
☆そこは、筆者の言うように、社会構造も言説も、たとえ微力であっても、
☆1人ひとりが影響を及ぼすことができる社会になる必要がある。
☆それが民主化の究極の到達点だろう。そしてそれが簡単ではないから、
☆究極なのである。しかし、IT革命はそこへの突破口を開いたことも否めない。
☆ただ、道具はそろっても、まだ十分ではないのである。
☆それにはまず、流布されている言説の認識リテラシーと
☆いかに活動するか解決リテラシーが必要となる。
☆この両方を合わせてコミュニケーション行為というのだと思うが、
☆コミュニケーション行為の正当性・信頼性・妥当性を問う
☆パースペクティブの立ち位置に気づくモニタリング視点も重要だ。
☆本書では、このモニタリング視点は、筆者自身の視点で、それは
☆暗黙知として、読者が読みとってくださいという暗黙の了解が
☆ある。
☆たしかにこのモニタリングの視点を「へそ曲がりな問い」と称してはいる。
☆しかし、リバタリアニズム、リベラリズム、コンサバティズムは批判してはいるが、
☆それを批判している筆者のパースペクティブは、やはり不透明である。
☆このモニタリング視点、あるいは「へそ曲がりな問い」=「斜めから視る問い」を
☆明らかにするには、サンデル教授の正義の講義ぐらいの量を重ねなければならないから
☆やむを得ないのだが、そのことを認識しているかどうかは、わからない。
☆というのもコンサバティズムとコミュタリアニズムの違いがまだはっきりしていないからである。
☆とはいえ、サンデル教授の着想に、これほどわかりやすく近づける書も少ない。
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 | |
マイケル・サンデル,Michael J. Sandel | |
早川書房 |