観音崎砲台跡 ~三軒家砲台跡

2009-07-16 23:55:55 | オートバイ春夏秋冬



 子猫と出会った6月19日の記事を書こうと思います。この日は良い天気になりそうだったので、毘沙門湾の馴染みの猫たちに会いに、アオガエル君(Ninja250R)を走らせました。5時に家を出て、6時半には横須賀に着いてしまいました。道路が空いているのに加えて、早朝のやや湿り気を帯びたひんやりした空気の中を走るのは実に気持ちがいいのですが、早く着き過ぎるのがちょっと問題かも?
 猫たちが海岸に出てくるのは9時ぐらいだから、それまでどこで時間をつぶそうか? 朝食の牛丼を食べながら思案しました。馬堀海岸の海岸線を散歩するのも楽しそうだし、観音崎のボードウォーク(海沿いに張られたウッドデッキを歩くコース)も早朝散歩にはうってつけだけど、前回時間がなくて回り切れなかった残りの砲台跡をぐるっと回って、観音崎のもう一つの顔を確かめることにしました(その日訪ねる予定の城ヶ島公園も、かつては軍の要塞だったので、今日のテーマは「猫&要塞」に決定!)。


(左)三浦半島の最東端に位置する観音崎は東京湾を一望し、首都を守る上で極めて重要だった。明治13~28年の間に、煉瓦とコンクリート造の砲台が15か所も築かれ、観音崎は立入禁止の要塞と化した。日清&日露戦争でも使用された大型野砲の12インチ(270mm)砲と、5インチ(128mm)砲が多数設置され、海面ににらみを利かしていた。写真の部分には、観測施設(見張所)や通信施設が置かれていたらしい。
(右)現在は、5か所の砲台跡が観音崎内に残されている。この門柱は、三軒家砲台跡に向かう入り口付近にあった。古代遺跡の柱にも見える。


(左)最も原型に近い形で残されている三軒家砲台跡。4門の巨大な12インチ砲と2門の5インチ砲が設置された。写真は12インチ砲台跡。
(右)砲と砲の間には半地下の弾薬庫が置かれた。


(左)12インチ砲(4門)の5インチ砲(2門)の間にも見張台(観測所)がある。ここから敵艦までの距離を測り、砲台に指令を出したのだろう。
(右)5インチ砲台跡は原形をとどめていない。かろうじて掩体用の石垣が残されている。三軒家砲台跡は、横須賀市立美術館から坂道を少し上ったところにある。


(左)砲台の後ろは掩体壕になっていて、さらにこのような通路がある。出入口は塞がれていた。
(右)井戸跡。その隣に便所があったらしい。三軒家砲台は昭和9年に廃止された。


(左)続いて、観音埼灯台を巻くように歩き、北門第一砲台跡に向かった。海沿いの遊歩道では、紫陽花が見ごろを迎えていた。
(右)海に突き出た謎のトーチカ。この一帯は自衛隊の敷地で、立入禁止になっていた。