すみれです。
手塚治虫記念館の企画展
トキワ荘のヒーローたち
~マンガにかけた青春~
を見に行きました。
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戦後まもない1952年12月。東京都豊島区に
木造モルタル2階建てのアパート
トキワ荘が誕生しました。
1953年、
手塚治虫がトキワ荘に入居したのをきっかけに
当時はまだ無名であった
藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、赤塚不二夫
など…
マンガ家のタマゴが相次いで入居。
マンガ人やマンガ文化の溜まり場となり、
いつしかトキワ荘は
マンガアパートと呼ばれるようになりました。
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企画展では、マンガ家たちがトキワ荘で描いた
貴重なマンガ原稿を見ることができます。
まずはこの方、手塚治虫をご紹介!
「ジャングル大帝レオ」の生原稿です
トキワ荘の住人にとって、
すでに売れっ子マンガ家として活躍していた
手塚治虫は憧れの存在でした。
しかし、手塚治虫がトキワ荘で過ごした期間は
約2年と短く、入居期間が重なっている者は
ほとんどいませんでした。
ギャグまんがの王様・赤塚不二夫は、
手塚治虫に声をかけられ、トキワ荘に入居。
後に、大ヒットする「ナマちゃん」も
トキワ荘で描きあげたもの。
そして、
手塚治虫と入れ替わりにトキワ荘にやって来た
藤子・F・不二雄、藤子不二雄A
こちらが下積み時代に描いたマンガ。
場内では、本人制作・出演の映像作品
「キャツをネかすな」も上映していました。
貴重な8ミリフィルムの映像!
シュールで面白い!
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ところで、トキワ荘での生活は
どのようなものだったのでしょうか?
トキワ荘の暮らしと遊びコーナー
を覗いてみましょう!
マンガ家と言えども、まだまだ無名のタマゴたち。
その生活はたいへん質素なものでした。
トキワ荘には
赤塚不二夫の母親が同居しており、
よくご飯を振る舞っていたそうです。
こーんな虫も棲みついていたそうな。
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しかし、同じ夢を持った若者どうし
互いにマンガを描く姿を見て切磋琢磨していました。
夜中まで続く宴会は毎日のように催され、
他愛のない雑談や遊びの中から
マンガのヒントを得ることも多く、彼らにとって
仲間との交友は制作活動の源泉でした。
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そんなトキワ荘も、老朽化が進み
1982年12月に解体されてしまいます。
かつてトキワ荘の住人であったマンガ家たちが
当時の生活を振り返り、メッセージを残していました。
赤塚不二夫
「トキワ荘はマンガの宝庫だった。
生きたマンガの参考書がごろごろいるのだ。」
形はなくなってしまいましたが、
2009年4月には、その跡地に
トキワ荘のヒーローたち記念碑
が建立されるなど、
現在もトキワ荘への関心は高まっています。
数々の人気マンガ家を生み出し、
いつまでもマンガファンの心の中に存在し続ける
トキワ荘。
夢を追いかける若者の青春時代を覗くことができて
とても楽しかったです。
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手塚治虫記念館では、手塚治虫の
たからづかワンダーマップを発行中!
手塚治虫が慣れ親しんだ宝塚の街を
イラストマップで紹介しています。
自身の少年時代のエピソードも交えてあって面白い!
こちらも要チェック!
☆彡・.。*☆彡・.。*☆彡・.。*☆彡・.。*☆彡
トキワ荘のヒーローたち
~マンガにかけた青春~
手塚治虫記念館にて6/28(月)まで開催中!
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すみれがお送りしましたー