実は。
エールもなんだけど、じいちゃんも亡くなった。
96歳。
同じ日に、寂しくなかろうね。
武道を始める時、賛成してくれた。
応援団に入るって言った時も賛成してくれた。
じいちゃんは一級建築士さんで、部屋には製図台があった。
製図台は面白くて、定規が平行に動くし、変な丸いとこもあるし、楽しかった。
ウツシガミ(トレーシングペーパー)がいっぱいあったからよくもらって絵を描いた。
建築士は、僕の中では簡単になれるもんじゃないなぁと思った。
小さい頃から見ていて、資格だけの話ではない気がした。
最近取り壊されたJRビルもじいちゃんの設計だった。
じいちゃんはたまにお土産を買って帰ってきてくれるんだけど「それじゃない選手権」のトップアスリートだった。
チョコのお土産の時は【徳用】か【業務用】って書いてた。
逆に難しいだろうと思うんだが。
そう言えば父のお土産もすごかった。
常に甘露煮とかだった。
甘露煮って。
沢蟹とかイカとか。
酒飲みじゃんか。
僕は祖父もそうだし、父もそうだから酒は飲まないと決めていた。
お酒を飲んだら、僕の大切な家族は誰が護るのか。
何か起きた時に、お酒を飲んだから運転出来ませんって、言い訳にもならないし後悔しか残らない。
暴飲暴食をやめようと思わせてくれたのもじいちゃんや父だ。
じいちゃんの強烈な思い出は僕が五歳の頃まで遡る。
7歳から一緒に暮らし始めるので、それまでは八幡町の父の実家(宮大工のひいじいちゃんが建てた家)に行かねばじいちゃんには会えない。
遊びに行くと、左手に製図台のある「デスク風」なスペースがあった。
色々あった。お菓子みたいなものも見つけて躊躇なく食べたら仁丹で死ぬかと思った。
「ダークダックス」とか書かれたカセットテープがズラリと並んでた。
じいちゃん家は暇すぎるんだけど、ダンゴ屋が鐘を鳴らしてリヤカーでダンゴを売りにきたり、近くのブルボンってパン屋さんでチョココロネを買ってもらったり、ハセガワサンという妖怪みたいなおばあちゃんに飴をもらいに行って受け取ると逃げるということを繰り返したりして過ごした。
家の前のセンロも好きだった。
市電の名残りの線路である。
ダンゴ屋もハセガワサンも、死んじゃったろうな。
じいちゃんが死ぬんだから。
そうそう。
強烈な思い出。
それはじいちゃんが帰ってくるとカラオケの練習をします。
なかなかの、いや、そこそこの音量で。
その曲が「さざんかの宿」でした。
オダイドコに遊びに行くと、イモテンとか貰えるのでヨーヨーをしながら向かう。
カラオケもうるさいし。
すると、ばあちゃん、母、ケイちゃん(父の妹)、カヨコサン(ばあちゃんの弟の嫁)が忙しくしつつも何か話してる。
「全く、お父さんはあの歌をどこで誰に披露するのかしら?どんな気持ちを込めてあんなに高らかに歌ってんだろ?」
ばあちゃんがそういうと、ケイちゃんが笑う。
カヨコサンが僕の耳を塞ぎながら、
「了ちゃんは聞かなくていいよ〜」
と言いながらイモテンをくれた。
子どもはなんでも分かってるし、覚えている。
その時には理解できなくても「置換」されて、いつか理解する。
子どもの前で、ケンカしたり、誰かの悪口は言うもんじゃないよ?
僕のように覚えてるから。
「あーいしーても、あいしてもー、あーあー、ひとーのつまー!!」
後日、覚えたその歌を歌っていたら母に注意された。
「もーえたってー、もえたってー、あーあー、ひとーのつまー!!!」
2番は厳重注意だった。
保育園で披露したら、先生からも微妙な笑顔を頂いた。
歌うことが好きだったからダイナマンとか、キン肉マンとかの歌を大声で歌ってた。
けど、その時と明らかに反応が違かった。
(ダメなお歌なんだな。)
五歳でもそのぐらい分かる。
じいちゃんは、そういう人だった。
なんてったって。
最後に会いたい人に会えたなら、こんな笑顔になれたならいいね。
例えそれが、人の妻であろうとも。
そして、ばあちゃんに怒られてしまえ。
昨日の夜。
お別れをしにタテちゃんの家に。
ブラウンは、エールに添い寝をしていた。
優しい子。
あたくし、涙が出ます!
佐藤 謙次郎
96歳!すご!!
本日18時からお通夜
於:セレモール仙台
〒989-3121
宮城県仙台市青葉区郷六舘22−1
明日10時から法要、11時半出棺、12時火葬、そのまま納骨!!
家族葬ですので、ご参列などは結構でございます。
仕事などではご迷惑をおかけします。