なにかと。
なにかとメールが届きます。
仕事用で載せていたからなのか、みんな、僕のアドレスを知っている。
お仕事ください。
rtaira0512@gmail.com
でも、今は少し待ってもらっています。
お待ち願います。
話を戻します。
メールをありがとうございます。
では、僕の意見を。
「僕の」意見だから、正解も不正解もない。
僕の意見です。
病気のせいで自暴自棄になります、とありました。
そして、街中を歩く人達が健康なくせにどうでもいいことではしゃいでてアホくさくなる、とも書いてありました。
自暴自棄の自棄(ヤケ)って、一番いかんと思う。
自棄っぱちは人のためになんて動けない。
「不安」は「諦め」に傾きがちになるけれど「不安」や「恐れ」は「慎み」に変えてみてはどうでしょうか。
よく「大人になっても怒ってくれる人がいるって幸せです。」というフレーズを耳にするけれど、それは怖い人がいて怒られるかもしれないから「より正しく」過ごさねばならないという環境を指しています。
そうして生きていく時間の中には慎ましさがあって、その人の立場で見るととても善い感じがします。
それと同じこと。
不安や恐れは諦めや服従に変えるのではなく、慎みに変える。
ちなみに、自棄の対義語を考えてみました。
自暴自棄の対義語は自重自愛。
では自愛?
いや、自助の方が意味は合う。
それでもまだ違う。
自のところも反対にしてこそのフル対義語。
他助?
互助か。
なるほどな。
メールのお陰様で、僕が学んだ。
ありがとうございました。
皆さん、目指すべきは互助だ。
互助会だ(笑)
そして、街中の人を見てアホくさいなんて思っちゃいかんよ?
平和であることの有難い光景じゃないですか。
病気や戦争、悩みも喜びも体験したわけじゃない場合には想像力を働かせるしかない。
想像力の先に思いやりがあります。
でも、それこそお互いの問題です。
アホくさく世の中を見ている自分自身に問題あるのかもしれません。
大丈夫ですよ。
なんとかなるさ。
全部、吹き飛ばそうぜ。
全部、吹っ飛ばしてやる。
なにかとメールが届きます。
仕事用で載せていたからなのか、みんな、僕のアドレスを知っている。
お仕事ください。
rtaira0512@gmail.com
でも、今は少し待ってもらっています。
お待ち願います。
話を戻します。
メールをありがとうございます。
では、僕の意見を。
「僕の」意見だから、正解も不正解もない。
僕の意見です。
病気のせいで自暴自棄になります、とありました。
そして、街中を歩く人達が健康なくせにどうでもいいことではしゃいでてアホくさくなる、とも書いてありました。
自暴自棄の自棄(ヤケ)って、一番いかんと思う。
自棄っぱちは人のためになんて動けない。
「不安」は「諦め」に傾きがちになるけれど「不安」や「恐れ」は「慎み」に変えてみてはどうでしょうか。
よく「大人になっても怒ってくれる人がいるって幸せです。」というフレーズを耳にするけれど、それは怖い人がいて怒られるかもしれないから「より正しく」過ごさねばならないという環境を指しています。
そうして生きていく時間の中には慎ましさがあって、その人の立場で見るととても善い感じがします。
それと同じこと。
不安や恐れは諦めや服従に変えるのではなく、慎みに変える。
ちなみに、自棄の対義語を考えてみました。
自暴自棄の対義語は自重自愛。
では自愛?
いや、自助の方が意味は合う。
それでもまだ違う。
自のところも反対にしてこそのフル対義語。
他助?
互助か。
なるほどな。
メールのお陰様で、僕が学んだ。
ありがとうございました。
皆さん、目指すべきは互助だ。
互助会だ(笑)
そして、街中の人を見てアホくさいなんて思っちゃいかんよ?
平和であることの有難い光景じゃないですか。
病気や戦争、悩みも喜びも体験したわけじゃない場合には想像力を働かせるしかない。
想像力の先に思いやりがあります。
でも、それこそお互いの問題です。
アホくさく世の中を見ている自分自身に問題あるのかもしれません。
大丈夫ですよ。
なんとかなるさ。
全部、吹き飛ばそうぜ。
全部、吹っ飛ばしてやる。
患者業(私はそう呼んでいます)はとても孤独な作業です。そして不安で怖い。もしかしたら、病人じゃなくても孤独と戦って苦しんで、自暴自棄になっている方は少なくないかもしれませんね。
だから、団長が自棄の対義語として互助にたどり着いたのを拝読した時、平了という男はやっぱり素晴らしいなと思いました。
あとはそれぞれがいかに互助会を築き上げるかですね。うちの「互助会」は女子会の延長みたいなノリです(男子もいるけど(^-^))
なんとかなりますよね!
きっと大丈夫(^_^)v
改めて、お誕生日おめでとうございます。団長の健康を心からお祈りしております。頑張りましょう。
前記事の中の病に悩み疲弊されて居られる方からのメールに関する文を拝見して言ってしまいます。
私は、肝臓癌でした。もう約10年前ですが、自棄になりかけたり逃避を考えたりも致しました。
産学共同の治験患者の道に一縷の望みを託して何とか今は生かさせて戴いて居ります。
7年前の東日本大震災での、故郷の皆様の頑張りも私にとっては大事な心の支えでした。
妻や娘達からの想いもそうです。
辛い治療と、薬の副作用による倦怠感は…今も思い出すと疲れる程です。
仕事先や家族の前では、笑顔を見せてはいましたが、独りの時には泣いてばかりでした。
無事に還暦を迎えさせて貰いましたから、感謝の余生を送りたく早期退職をし、故郷の復興の微力になれればと宮城県に戻りました。
自分の為だけならば、頑張りも続かないけれども、誰かの為ならば継続させやすいし強くなれるんだと形ばかりのボランティアもどきをさせて戴いて知りました。
青空応援団、たまきちゃん募金…生かされているからこそ少ない支援を続けさせて貰いながら折れそうに成る弱い自分を励まして貰ってます。
今日も、皆様方からの元気を戴きに仙台国際ハーフマラソンの楽天球場イベント会場へ向かいますので、走らない私が受けるエールじゃないでしょうけれど晴れやかな青空の下で拝見させて戴きます。
押忍