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上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その16)

2009-12-26 19:30:00 | 八ッ場ダム騒動
いつまで続くんだと自分自身に問い詰めたくなる、上毛新聞で 2009年9月23日から22回に渡って掲載された『八ッ場の57年』という連載記事への突っ込み、という謎更新。
今回は、建設予定地の住民達に支払う用地買収価格などの補償基準が定められるまで(1996年度~2001年6月14日)までのお話。
・連合補償交渉委が発足 協議重ね「基準」合意(2009年10月9日 raijin.com)

つーことで、2009年10月9日分上毛新聞『八ッ場の57年 苦悩の軌跡 16』を全文引用してみた。
ただし、一部表記を変更+強調を入れておく。

---- 以下引用 ----
連合補償交渉委が発足
協議重ね「基準」合意

2009年10月9日 上毛新聞


八ッ場ダム建設を進めるための関連工事が進む中、住民にとって次の問題は用地買収価格などの補償基準へと移った。
建設省(現国土交通省)は1996年度中に提示する意向を住民側に伝え、交渉の窓口として水没5地区(長野原、林、横倉、川原湯、川原畑)の代表からなる連合補償交渉委員会の設置を決めた。

補償交渉委の設置が難航したのは200世帯が水没する川原湯地区。
土地や建物の権利関係が複雑な上、地域内には意見や立場の異なる4グループが存在。
さらに各グループの役員と同地区の評議員で構成する八ッ場ダム川原湯地区対策委員会が上部組織に位置づけられ、委員長は区長が代行する取り決めになっていた。

建設省が東証、補償基準を示したいとしていた年度末になっても、同地区内は長年にわたる建設省への不信感から消極論が根強く、住民同士の対立も複雑な影を落としていた。

1997年3月24日の上毛新聞はこう報じている。

<住民組織の一つである川原湯地区再建対策委員会は「交渉委を決めるべきだというのが各派の本音だが、長年対立してきたため、確認し合うことができない」と、事実上、意思決定できない状態にあると指摘。一方、「国の提示する代替地が地形的に達成できるかどうか疑問」(八ッ場ダム水没地域住民再建組合)など、建設省への不信感もくすぶっている。>

事態が動き出したのは1998年7月。
八ッ場ダム川原湯地区対策委員会が、営業補償や建物移転量などを具体的に勉強する[算出する]補償研究部会の設立を決定。
住民が13の専門部会に所属してそれぞれ理解を深めた結果、「知識武装した上で、提示される補償基準を観て、検討したいという気概が生まれた」(1999年3月28日付上毛新聞)

同対策委は1999年3月、補償交渉委の設置を決定。
川原湯の動向を注視していた川原湯地区も同年4月に設置を決め、水没5地区全てに交渉委が発足。
同年6月には八ッ場ダム水没関係後地区連合補償交渉委員会(萩原 秋朗委員長)が立ち上がった。

その後、連合補償交渉委は1万筆の地目認定基準に合意、利便性や地形、田畑の耕作実績などに応じて土地をランク付けする土地等級格差基準案にも同意して手続きを進めた。

2000年12月、八ッ場ダム工事事務所は補償基準を連合交渉委に提示。
11両者が協議して土地単価を上方修正した結果、住民側は補償基準の受け入れを決めた。

2001年6月14日に開かれた調印式には下流と県の関係者を含め540人が出席した。
萩原委員長は「ここまでたどり着けた先陣のご苦労に報いるため、生活再建にむけ水没住民が努力し、今以上の生活水準を確保していきたい」と決意を語った。

だが、住民に心休まる時間はなかった。
移転先となる代替地の分譲価格交渉や生活再建関連事業の見直しなど、問題はまだ山積していた。


水没地区住民の書籍

八ッ場ダムについては、水没地区の住民らが反対運動の歴史やふるさとへの思いをつづった書籍が刊行されている。
歴史は萩原 好夫さんの「八ッ場ダムの戦い」、竹田 博栄さんの「八ッ場が沈む日」、豊田 嘉雄さんの「湖底の蒼穹(そら)」に詳しい。
思いをつづったものには豊田 雅子さんの詩集「ダムに沈む村」がある。
---- 引用以上 ----

で、竹田 博栄氏は、最近もこの件について話をしていた。
・元反対期成同盟委員長 竹田博栄さん 80(2009年11月8日 YOMIURI ONLINE)

竹田氏の発言のほとんどについては反論しようがない。
だが、「下流都県のために犠牲になったのに、なぜまた住民が苦労させられるのか。」という言説を俺は受け入れられない。
下流都県に棲んでいる俺が言うのもなんだが、竹田氏のこの発言は八ッ場ダム建設に関する騒動を体験してない人達(とりわけ下の世代)に対してあまりに思慮が欠けてるとしか思えないのよ。
竹田氏の件の発言を曲解すれば、八ッ場ダム建設に関する騒動(そこに見え隠れする思惑)を下の世代の人達にそのまま受け入れろ、ってことになる。
後世に生きる人達のことを考えたら、そういう発言はできないと思うが・・・。



おまけ:
第1回目~第15回目については以下を参照(手抜き)。
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その15)(2009年12月24日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その14)(2009年12月19日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その13)(2009年12月17日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その12)(2009年12月12日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その11)(2009年12月7日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その10)(2009年11月29日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その9)(2009年11月27日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その8)(2009年11月25日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その7)(2009年11月20日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その6)(2009年11月18日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その5)(2009年11月15日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その4)(2009年11月11日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その3)(2009年11月10日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その2)(2009年11月7日 flagburner's blog(仮))
・上毛新聞の八ッ場ダムに関する連載記事に思ったこと(その1)(2009年11月5日 flagburner's blog(仮))


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