ぶーみんのランニング日記

一大決心して始めたランニング。果たして、継続なるか三日坊主になるか・・。その他、もろもろ徒然なるままに・・・。

2003北海道マラソン(回想)

2005-12-06 13:24:26 | ランニング

 京丸さんに振って貰ったネタです。2003北海道マラソン、完走したことがあります。何度か書いてますが、伴走に救急車と収容車を従えての完走でした。私の走る後から、パイロン片づけられました・・・・。

 ハーフを走ったことはよく考えたら、過去2回です。それで、フルに挑戦しようだなんて、これはまさしく無謀な試み。このときは、長谷川 理恵が一緒に走ったのです。我がダンナは、勝手にライバル(タイムが似ていた為)と銘打っており、彼女が北海道マラソンに出るなら、おれも出ると言いだし、・・・当然そうなると、お前も出ろと言う流れで、急遽エントリーが決まったのです。実家が札幌の私は、レース中に子供の心配をしなくてもよい、という点でも都合が良かったのですが。

 ご存じの通り、関門が5k事にあって厳しいレースです。でも、今から考えればかえってそれが良かったのかも知れません。火事場のクソヂカラ的なパワーが出たからです。3wくらい前に実家入りして この時は、走り込まなければと思い 一日おきに20k走りました。バカの一つ覚えで、それ以上ペースがどうのとか、ビルドアップとかやりませんでした。(タダ単に素人) だたら、当日は20kまではは問題なしと自信がありました。問題は、それ以上の距離は経験がなかったので どうなるかなとは思ったけれど え~いなるようになれと、開き直りで。この頃、ダンナは、山梨でひたすら 走っていたそうです。

 そして、当日。とにかく、完走するには歩いてはならない。速くなくても良いから、歩くなとダンナに言われました。K6分弱で良いのです。(ただ、それを40k続ければですがね~・・) 前半は、気がつかないうちに飛ばし気味になって後で足くるから、とにかく押さえろと・・。後は、野となれ山となれ。

 と、言うわけで25kまでは、関門も余裕をもって通過。しかし、流石はフルマラソン。30kで、ちょっとカウントされ手前でかる~くダッシュを強いられ。あと、2回も関門が・・と思ったら案の定、35kでは、残り20~30秒で滑り込み。一緒に滑り込んだ男性と、また関門あるんですよね~・・なんて話ながら。ここのあたりで、いい加減へばってきたけれど、ここまできてリタイヤは悔しいと、ここから火事場のクソジカラです。ラップはもう記録に残っていないけれど、どの位だったかな・・?でも、一応40k関門を通過したんだから、めっちゃ落ちてはいないだろうなぁ?

 40k関門は、沿道にいた誰かランナーの家族の方が 「あと、○分で関門だよ、頑張れ、間に合うよ!!!!ゴールできるんだよ!!」と、一緒に走ってくれたのです。この時点で、かなりヤバかったんです。関門、見えてるけれどちょっとまだ、先だったし。でも、ここから猛ダッシュ。リタイヤしたくない一心です。もう、死ぬかと思いました。5.4.3・・・くらいで滑り込み。いや~、この時は嬉しかった。さすがにちょっと止まって息を整えました。

 後は、関門はありません。ゴールするのみ。もう陽が傾いたススキノを通り抜けゴールしました。3”58”44 しかし・・・。この頃は、もう写真屋さんも撤収。ゴールの勇姿は、映像に残されることもなく。ダンナは、その後しっかりベストショットのサンプルが届き、今でも、飾ってありますが。(ダンナは、この時3”15”を切ったのです)

 途中、折り返し手前で長谷川理恵が、倒れて救急車に乗せられるところを横目で見ながら通過しました。マラソンは、走ってみないと分からないものですね。

 ただ、それ以来私達夫婦は、燃え尽きというか 一応の完結を迎えぱったりと走らなくなってしまったのですが。(っていうか、ソフトテニスにはまった)

 私には、ビギナーズラックというジンクスがあります。何事も、一番最初が一番良いという・・・。テストも、レースも。でも、せっかくまた走り始めたのだから また頑張りたいと思っています。

 またいつか、ダンナと北海道マラソン完走するのが目標です。

12月   走行42k