楽農piano協奏曲

一日一生。一日一笑。


安藤復活

2012年04月06日 | スポーツ

 タイガースの安藤優也投手が昨夜のスワローズ戦に先発し、久々の勝利をあげた。

おめでとう。

これまで安藤が投げると打線の援護がなく、さんざん涙を飲んでいる。

昨夜も2本の本塁打を打ったブラゼルだけ。まったく頼りにならない。寒さで虎も休眠中か。

まだ、復活してもらわなければならない投手二人。久保田と小林。

 

 

デイリースポーツオンラインの記事。 「ヤクルト1‐3阪神」(5日、神宮)

 涙があふれ出た。つらかった日々が、頭をめぐる。阪神・安藤優也投手(34)が7回無失点で、2010年8月19日の横浜(現DeNA)戦以来、595

日ぶりの勝利を挙げた。08年から3年連続で開幕投手を務めたが、10年に右肩痛を発症。昨年は1勝も出来なかった右腕がよみがえった。

 マウンドでは感情を表に出さないのが昔からの信念だ。試合が終われば、素顔の安藤がいた。

 無数のフラッシュがかすんで見えた。こらえきれずに涙腺が決壊し、感情があふれ出る。「感無量です。久しぶりの感触でうれしかった」。大歓声に包

まれたインタビュー。目を赤く染め、何度も声をつまらせながら、涙を拭った右手で、安藤はウイニングボールを強く握りしめていた。

 「長かったです。色々な人に支えられて感謝しかない。本当にありがとうございます」

 毎回走者を背負っても、得点を許さない。7回6安打無失点。苦しくても耐えられた。グラブにある刺しゅうは「辛抱」の文字。「辛抱して投げるのが僕

の信条」。言葉では簡単に言えても実際はそうじゃない。ずっと辛抱の日々が続いていた。

 待望の白星は10年8月19日以来のもの。苦難の日々はその時からだ。10年10月に右肩関節炎を発症。3年連続で開幕投手を任されたが「あの

時が一番辛かった」という一年。この595日ぶりの白星まででどん底の時期。忘れぬ記憶がある。

 10年オフに右肩のリハビリで入院した病院では、背中に原因不明のこぶし大の湿疹ができた。「ストレスだな…」。気がめいった。知人の紹介で見

てもらった占い師には「もう辞めた方がいい」と言われた。治療に行った先で心の闇を目の当たりにし、救いを求めた先で絶望的な一言に打ちのめさ

れる。限界だった。

 「支えは復活したいという思い。このまま終わるかもとも思ったけど」

 周囲のサポートに感謝しながら、最後は自分次第と分かっていた。辛い時、自分に言い聞かせるように何度も口づさんだ。「lecca」の「My measure」。

 ‐何が正解なんて分からない どれか一つだけってこともない いま自分のものさしで歩いてゆこう‐

 「このフレーズが自分に合うしね。自分を信じるしかなかったから」。移動の際の車内、曲を聴きながら涙がにじんだ時もあった。時にはマイクを握っ

た。プロ野球選手であっても素顔は一人の男。涙のたびに強くなったからこそ今がある。苦難の日々を乗り越えたからこその復活星だ。

 一度は和田監督に渡そうとして「受け取らなかったから」と指揮官の優しさで返されたウイニングボール。「必ず優勝できると思います」。インタビュー

の最後に響かせた熱き宣誓。優勝のため、指揮官のため。胸に感情を押し殺し、自分の足並みで、ただ次の勝利を求めて投げ続ける。

 

デイリースポーツオンラインの記事:11年12月21日付 

阪神・安藤優也投手(33)が20日、契約更改交渉を行い7700万円から1900万円ダウンの5800万円(いずれも推定)でサインした。25%の減額制限いっぱいの減俸となったが、力強さを取り戻すことを目標に来季に復活をかける。 「気持ちを新たに、リセットしてニュー安藤じゃないですけど、新しいスタイルを目指してやっていきたい。力強さ、打者に力負けしないように。バッターが感じる力強さ、キレもそうだし変化球の曲がりとかですね」 結果的に3年連続の減俸となったが、表情は晴れやかだった。和田新監督と共に戦う来季へ、気持ちは切り替えている。この日も交渉後に鳴尾浜に向かうと、ブルペンで50球を投げた。 「3年ぐらい下がってるんで、また来年ぐらいは給料上げたいなと(笑)来年必ず復活して今年の分をやり返したい」と安藤。先発ローテ入りを目指して、来季に勝負をかける。

※写真は長野朝日放送「報道ステーション」より 

 

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