ぽかぽか陽気の小春日和。昨日はまさにそういう陽気であった。奥武蔵の峠歩きに出かけた。これは3月に予定していた小楢山が、アプローチの林道が5月の連休前まで閉鎖になるため、登れなくなったから、その変わりの山として下見をしたわけである。同行してもらおうと、地元に暮らすkw夫妻に声をかけた。ところが旦那が身体を痛めてつきあえないと、奥さんだけが同行してくれる。
8時前に小川町駅に降り立つ。15分発と思っていたバスは20分発。早すぎたかと思ったが、なんとこのバスに29人もの登山グループが乗り込んできた。立っている人が何人もいる。終点の方まで行くらしい。笠山や堂平山へ行くのかもしれない。道中の車内が騒がしい。団体料金を集める「幹事」が歩き回り、あとからやってきた人が挨拶を交わし、乗り込んで座った女性陣が世間話に余念がない。25分ほどのあいだ、うるさいのを我慢しなければならなかった。
内出(打出)バス停で下車。私の高度計が示す標高は170m、地理院地図と同じだ。今日は気圧が安定しているようだ。すぐ前に交番があるが、無人の様子。そこから20mほど先へ道路をゆくと「二本木峠、皇鈴山、登谷山→」の木柱がある。小川を渡り 北へなだらかな傾斜をつくる広い里山の田んぼのあいだの畔道を歩く。国土地理院地図では舗装路と作業道とが入り混じり、どこを歩くのがいいかわからない、と思っていた。ところが、要所に白い「外秩父縦走ハイキングコース 皇鈴山→」とか「二本木峠ハイキングコース→」の小さい標識が立てられて、田畑の脇を抜けるルートがある。整備してくれているのだ。20分ほどして舗装路を離れ、木立の間を歩く。「熊出没注意」の看板がある。
細いスギ林を登っていると、木と木に注連縄を渡している。その向こうに小屋がある。「七瀧祓戸大神」と扁額をかけた社であった。水の落ちる音がする。裏側に回り込むと、1mも落差のない「滝」があった。マツやクヌギ、サクラの葉の落ちた樹々を寿ぐように陽ざしが地面の落ち葉を照らす。いかにもハイキングコースという感触。枯葉色の中でそこだけ少し緑を残した広い土地がある。牧草地だろうか。鉄条網で取り囲まれてあるから、放牧地なのかもしれない。上を見上げると自動車道路が走っているのであろう、ガードレールがみえ、東屋がある。
1時間ほどで二本木峠に着く。舗装車道が横切っている。「二本木峠のヤマツツジについて」と表示した絵看板がある。愛宕山654mと皇鈴山を入れて、イラスト地図をつけ、「ヤマツツジ」の解説をしている。5月だろうか、6月だろうか。愛宕山10時ちょうど。見晴らしは良くない。一度下って登り返す。二つの起伏を越えて皇鈴山679mに着く。私の高度計も680mを表示して、正確だ。木立の隙間から、両神山がその独特の姿をみせている。「富士山が見える?」とkwさんが声をあげる。「ああ、あれは浅間山だね」というが、木立に阻まれて、その雪をかぶった姿がすっきりとは見えない。確かに富士山に見まがうばかりだ。
皇鈴山から一度下り、また舗装道路に出て、その先を登山道に入ると、登谷山669mに着く。細い木に山名と高さを記した金属板が縛り付けられている。北西方面が開け、眼下に、小川町から寄居町、その先の深谷市方面の平地と工場群と住宅地が、陽ざしに明るく白っぽい。手近の山麓には風布らしい集落が、高度を違えて点在する。昔はみかんの北限と言われた土地だ。里山としてのこの山や峠を大事にしてきたのであろう。目を遠方に転じると、男体山と女峰山が並んで雪の姿を見せる。その左手にもっと頭の白い日光白根山がひときわ高い。それに連なる白い山稜は皇海山だろうか。さらに左に山頂が二つに割れてみえるのは、燧岳だろうか。赤城が手近に黒っぽい。その後ろに姿を隠そうとしているのは武尊山か。谷川連峰も白く横に広がる。皿その左に、先ほど垣間見えた浅間山が全身をさらす。いいねえ、この景観。両神山も二子山も遮るものなしに見ることができる。
登谷山のさきでまた舗装車道に出てしばらくそちらを歩く。車の往来は、4、5台。山道への標識を入るがすぐにまた、舗装車道に出てしまう。「釜山神社」の標識で杉並木に入り、鳥居のある神社の社殿への道をたどる。狛犬が狼のようだ。三峰神社と同じなのだろうか。扁額の前に「海四輝威神」と扁額のような看板が掛けてある。書き順は昔風だから「神威輝四海」、つまり神の御意向が世界を照り輝かしめると読むのであろう。この神社の脇を抜けてさらに奥に進むと、20分ほどで釜伏山582mがある。そちらへ足を延ばす。ひとたび下り、岩を踏んで上る。山頂部には医師の祠がある。奥宮とどこかに記してあったが、そのような扱いを受けているとは思えない。捨て置かれているみたいだ。祠の先に日当たりのいい見晴らし台がある。そこでお昼をとる。11時半。
12時に釜山神社上の塞神峠への分岐を通過。20分足らずで峠に着く。舗装車道の屈曲するところに木柱が建ち、峠の名が記してある。すぐに山道に入る。この山稜を挟んで東と西の集落を結ぶ峠道が何本も抜けている。仙元峠、植平峠、葉原峠と、2km余の間に峠の名前を記した石柱が埋め込まれている。いずれも標高400~450mほどであるから、昔の往還ではよく使われていたのであろう。いまも踏み跡はしっかりしている。葉原峠着、12時50分。出発してからちょうど4時間。波久礼へ下る道と長瀞へ下る道がある。
葉原峠から波久礼駅への下山路をとる前に往復30分の大平山へ足を延ばしてみる。ところが、その山名を記したピークが見つからない。地図ではほんの100mほどなのだが、踏み跡は先へつづく。ほぼ同じ高度が途絶えるところまで行ってみることにした。巻道もある。たぶんそれが合流していると思われる合流道もある。なんと20分も先へ歩いて、とうとう標高535m地点で「金尾→」の標識を見つけ、その先はもっぱら下りのしっかりした踏み跡の道になっている。そうか、こちらを歩いて下山しても波久礼に行ける。でも、下見だから、「往復」の道をたどる。巻き道が合流していたところの上が、地図によれば大平山538mかもしれない。となると、この巻道を巻くと、葉原峠からくる波久礼への道と合流する地点への近道になる。そちらへ踏み入る。すぐに、葉原峠と波久礼への分岐の標識にぶつかる。この標識の木柱は倒れたのを添え木をあてて立て直したようで、角度が45度曲がっている。「葉原峠→」と指す方向は、針葉樹林の斜面。私たちの北方向は「←作業道(行き止まり)」とある。中間の下山道を辿る。歩きやすい。25分ほどで、舗装路「みかん大通り」に出る。13時48分。小林地区のみかん山の集落が利用して、この名をつけたのであろう。歩いていると、道端にミカンの木がたくさんある。小さい温州ミカンのほかに、ユズ、オニユズ、夏ミカン、白っぽい大きな夏みかんもあって、名がわからない。出荷シーズンらしく、軽トラに積み込んであったり、道端にテントを張ってみかんを並べていたりしている。おっと、サクラの花が咲いている。そう言えばこの辺りは「鬼石の冬桜」にも近い土地であった。小春日和にお似合いの花である。
駅までのたのたと舗装車道を歩くこと35分、大きな橋を渡り、秩父へ向かう国道にぶつかり、その左に波久礼の駅がみえた。駅着、14時27分。時刻表を見ると、14時32分に寄居方面への電車がある。すぐにホームに上がる。と、まず、秩父方面への下り電車が入り、ついで上り電車がやってくる。秩父線は単線だから、こうして交差しているのだ。すぐ隣の駅が寄居。乗り換えて東武東上線の途中でkwさんと別れ、17時前に帰宅した。山の会の山行としては適当だ。葉原峠から先を、金尾に下るか小林のみかん道路に下るか、しばらく思案してみよう。