mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ノザーン・テリトリーの旅(6) 旅のガイドではなく探鳥ガイド

2015-09-23 15:54:19 | 日記

 この旅の(1)から(5)までの書き方では、どうしても零れ落ちてしまう子細が、大切なように思えてならない。時間軸に沿って空間を移動するという、いつもの「紀行」的な書き方から逸脱しているからだ。帰国したときに一番気になっていることから書き落としてみようと考えたために、上記のような書き方でスタートしてしまったのだが、気になっていることというのは、「意識されたこと」だ。ところが、時間軸に沿って空間を移動する「紀行」的な記述では、書き進むにつれて想い起すことがふつふつと湧き起る。すると、「意識していなかったこと」がぽっかりと浮かんできたりする。その愉しみが、書き進む原動力になる。それが消えるというか、希薄になってしまって、書いていても面白くない。何か「解説文」を認めているような気がする。そういうわけで、もう一度「紀行」的な原点に戻って振り返ってみようと思った。これまで記したこととの重複を避けて、すすめよう。

 

 この旅で私は、写真を1400枚近く撮影した。簡略なデジカメ。ズームができるので、鳥の判定にも使えると思って、大半は鳥のクローズアップをとっている。その余は、記録代わりにパシャパシャとシャッターを押すので、こんなに多くなった。ふと思いついて、日にち別の撮影枚数を調べてみた。移動途中に立ち寄ったところは別にしているから、滞在個所の探鳥地においてシャッターを押した回数と考えて良い。ピンボケもあったりして途中消去したものもあるし、念のためと同じものを2度撮影しているものもあるから、あくまでも概数で出してみた。

 

 連泊したところの撮影枚数は、次のようになった。
1、シドニー(行き帰り合計4泊)……270枚
2、ウルル(2泊)………………………220枚
3、カカドゥ(2泊)……………………150枚
4、アリス・スプリングス………………160枚
5、ティンバー・クリーク………………130枚

 

 シドニーは、行きの2泊が150枚、帰りの2泊が110枚。最初に見た鳥の印象が強烈だったのであろう。あれもこれもと(後で見るとちゃんと映っていないものが結構多いのに)シャッターを夢中になって切っている。だが、こうして一覧にしてみると、通り過ぎた町に向ける私の視線に比例している。ウルル(いわゆるエアーズ・ロック)などでは、鳥はあまり撮影していない。だが朝日夕日に照り輝く風景に、立つ位置によって移り変わる後景に、パシャパシャとシャッターを押してしまっている。

 

 かくも大雑把になるには、もう一つ理由がある。シドニーで気づいたのだが、ガイドのアランさんは鳥をみせることには熱心であったが、私たちが立ち寄った場所が何というところか(由来など、自然条件以外のこと)を、一切説明しない。もちろん、その場所の入口に標識があったのは通過するバスの中からみていないわけではないが、読み取れるわけではない。あるいはまた、そこのパンフレットをインフォメーションからもらってくれるわけでもない。ときに同行の誰かが気を利かせて取ってきて配ってくれたりしたが、自分がどこの探鳥をしているのか、わからないで戸惑うことが何回かつづいた。先に「時間軸に沿って空間を移動する」私の認識法からすると、自分がどこにいるかを鳥瞰的に地図上に位置づけて見て取ることをしないと、世界が茫洋としてとらえどころを見失ってしまう。シドニーでは、市街地地図もないわけではなかったが、せまい範囲のもの、しかも広い公園などはあちらこちらにたくさんある。シドニーは、未だにどこの公園であったか、同定できないままになっているところが何カ所かある。結局地図が手に入ったのは、カカドゥ国立公園の探鳥を始めてから。ノザーン・テリトリーの「State Map」を購入して、以降、旅程がたどる道筋を押さえながら、我が身の置き所を確認していたというわけ。

 

 さて、ダーウィンの町。オーストラリア大陸の最北端に当たる。早朝探鳥に出かけた宿の近くの公園には、チモール海を見晴るかす高台に、戦争記念碑が建てられ、日本軍の空襲を受け、これを撃退したことが顕彰されている。ふと気づいた。それをみたのは9月3日、奇しくも「戦勝記念日」として中国で「抗日戦勝利」大パレードが催されている日であった。この街の名がチャールズ・ダーウィンにちなむことは知っていたが、彼がじつはここに上陸していないことも、どこかに書き記してあった。彼の乗っていたビーグル号がここに寄港しているが、ダーウィンはそのときシドニーの方に回っていたのだそうだ。Dannoe-Ra Pathway Dawin という名の小道がある。階段を下りて海辺の公園へとつづく、木立に囲まれた階段を下る。自動車道を少しそれただけなのに、深い森の気配が漂う。(Dannoe-Raというのか)どなたか女性を「記念」してつくられたらしく、**memorial**for womenと看板に書きつけてある。女性のランナーが、下から上がってきては、歩いて降り、また走って上がってくる。トレーニング場みたいにしてつかっているようだ。帰りにここで、「あれっ、フクロウがいる」と誰かが声を聴いた。暗い樹間に目をやり、探す。見つけた。奥まった木の太い枝の葉陰に身を隠すようにしてとまっている。コノハズクであった。

 

 チモール海に沈む夕日をみながら食事をしようということになり、カレン湾を望むシーフードレストランに行った。チケットを買って入場すると、あとは勝手にお好みのものを皿に獲って食べてねという、いわゆるブッフェ方式。生ガキも牛ステーキもある。何より中野菜がたっぷりとある。私にとっては食べ過ぎないのがいい。飲み物は別注になるが、ビールを頼むと瓶がポンとテーブルに置かれてどうぞとなる。グラスを出してというと嫌がりもせず出してくれるのだが、言わないと出さない。なんだアメリカ人じゃないんだぞと、言いたくなる。月曜日というのに大勢の人が、乳幼児まで連れてきている。入江の向こうの岬をなす稜線に太陽がゆっくり沈む。湾に停泊するヨットの帆柱がゆらりゆらりと波に揺れて、だんだんシルエットになる。手元の料理がほどほどに明るい。いいなあ、こういうのって。久しぶり、と思った。

 

 翌日、異変が起こった。今回の旅の主宰者であるNさんが発熱して、咳が止まらないという。最低気温10度のシドニーから最高気温35度を超えるダーウィンに来て風でも引いたのだろうか。熱中症にでもなっていたら、これまた面倒だ。彼はもう75歳目前、こじらせたらたいへんな事になる。通訳役のIさんが付き添って医者へ行くことにし、その他大勢は、アランさんにガイドされて探鳥に出かけることにした。この段階でコーチも運転手もは来ていないことがわかった。ドライバーに仕事が入っていたからとか、なにやら話していたが、何か月も前から進んでいた話なので、それはないでしょうと、オーストラリアの人はいい加減だと思ったわけ。やって来たのは空港の名の入ったマイクロバス。後ろに牽引していた貨物車は取り外している。

 

 East Point というアラフラ海を望む海辺の公園に行く。遠慮なく飛び交うたくさんの鳥に歓迎される。海辺の岩場に羽を休めている海鳥がこれまたわんさといて、双眼鏡で、スコープでと同定を始める。アジサシの3種が同じ岩にいることも分かり、くちばしがどう、足の色がどうと分節に話が転がる。東のシドニーと違う分布に「ニュー・バード」が連続して出来している。日本にいるシギと同じものもいて、しかしこちらでは希少種と分かったという話も耳にした。木の高いところに大きな虫瘤のようなものができている。聞くと、シロアリの巣だという。土を運んで木肌にくっつけて巣をつくり、樹皮に穴をあけて木の木質部を食って穴をあけると、別のビジターセンターでは説明していた。ほほお、アリ塚だけじゃないんだ。ファニー湾沿いに出る。馬が2頭、海に入り込んでいる。いずれも若い女性が騎乗している。短パン、タンクトップにヘルメットをかぶって、折からの陽を浴びてまぶしい。朝の散歩というよりも訓練というところか。

 

 お昼にホテルへ戻ってみると、Nさんたちは医者に診てもらったという。ウィルス性の何やらで、抗生物質と整腸剤を飲めと言われてきたようだ。彼は一日ホテルで休むことにして、Iさんを同行して午後の探鳥に出かける。Haward Springs Nature Park。小川の流れる深い森。野鳥がこれでもかというくらい飛び交って、鳴き交わしている。アランさんは何かお目当てがあるらしく、ゆっくりだが、後続に構わずどんどんすすむ。30分くらい行ったところで、誰かが、AさんとIさんがついてきていないと気づいた。携帯電話を持っている人が電話を掛ける。連絡は取れた。だが、どこにいるか(向こうもこちらも)わからない。予備に行くと告げ、アランさんを呼び止め、すすむのをしばらく待ってくれと頼む。と、自分が呼びに行くから、皆さんはここで待っていてくれと、アランさんは来た方へ戻っていく。連絡もあろうからと思って、私が後を追う。結局入口まで戻り、浄水場の橋を渡り、その向こうの脇道へ踏み込む。そこしかルートはないから、こちらへ行ったに違いないと、見当をつけたようだ。私も後を追う。やはり30分ほどして彼ら二人に出逢った。最初に私たちが踏み込んだ細い道を見失って、こちらに来たというのだ。ところが、彼らに出会ってからアランさんは、ゆっくりした歩調で、戻らずに前へすすむ。お目当ての鳥を探そうとしているようだ。この道を進むと、皆さんが待っているところに出るのかと聞くと、そうだ、という。だからこのまま進むというのだが、とても呼びに行く様子はない。待っている人たちのことはわすれてしまったように思えた。そこで、私が(先に進んで)呼びに行ってくるからと告げると、頼むよというジェスチャーをして、彼は鳥観の方にすっかりはまり込んでしまった。先へ15分ほど進むと、なるほど、待っていた彼らに出会ったが、すっかり待ちくたびれてしびれを切らしていた。

 

 みなさんを連れてアランさんと合流する。と、口に指をあて静かにと、指差す。何かが動いている。双眼鏡を覗いていた誰かが、ヤイロチョウだと声をあげる。すぐにその周辺に皆さん集まって、あちらからこちらから藪の中をのぞき込む。木々の間の向こうの方には水たまりがあり、薄暗くなっている。そのあたりにいるようなのだが、私には見えない。だが、大半の人は、左へ行った今度は右の方だと声を出す。あっ、向こうへ行ったと、ぞろぞろとそちらへ移動する。私も移動するが、やはり見えない。諦めて、少し先へ進んでいると、すぐ脇にいた人が右へ飛んだと指さす。私の目もそちらへ曳かれるように移る。と、見えた! ヤイロチョウが倒木の脇を歩いている。側面がよく見える。と、倒木の上に飛び上がった。背中をこちらに向けているが、身体の半分が全身お立ち台に立っている。ヤイロチョウが脇を振り向く。と、顔、首の色もよく見える。皆さんを呼ぶ。じつはこのヤイロチョウ、四国の四万十川に見に行ったことがある。保護活動をしているカミサンの同窓生が案内をしてくれて、声は聞いたが、また実物は見たことがなかった。たぶん、カミサンも、何度か試みたが初見のはず。いや、アランさんが見せようと思っていたのはこれか、と感嘆し、人を探すときのちゃらんぽらんさを忘れて、感謝した。探鳥ガイドというのは、こういう人なのだ。(つづく)

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