mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

おっ、風呂が沸いた。ではでは

2014-11-21 21:30:07 | 日記

 今日は、小春日和。暖かく、歩いていると汗ばむほど。朝、見沼田んぼの湿地帯の整備に向かうカミサンを送っていき、私は午前中、29日のSeminarの資料準備。あっという間に3時間が経ち、図書館へ寄って、本を返し、予約していた本を受け取り、カミサンを迎えに行く。帰宅したのは1時前。

 

 お昼を済ませ、宮部みゆき『震える岩――霊験お初捕り物控』(講談社、1997年)を読み終わる。社会構造的な抑圧による「理不尽」によって壊された「魂」の落ち着きどころがどこにあるかを探り当てる物語。私はこの作家が好きだ。物語りの結構が、大きい。一筋縄では納まらない構えを取りながら、その一つ一つにしっかりと人の暮らしのありようを描きこんでいる。居合わせる人々の心もちも、疎かにしないで落ち着かせているのが、好ましい。プロットの肌触りというか、腑に落ちる感触も「おのずからなる」面持がして、心地よい。うまいなあと、思う。

 

 夕方から、所沢へ出る。明日、長兄の49日のために岡山から次兄夫婦が上京してきた。夕食を一緒にとりながら話をしようと、レストランを予約しておいた。何でもいいよというから、泊まるホテル近くのイタリアンのお店にした。金曜日の夜とあって、街の通りは賑やか。若い人が多い。

 

 40人くらいで満席というちょっとしゃれたお店。ワインをボトルで頼み、次兄とカミサンと私が飲む。次兄の奥さんはお茶を頼む。温野菜のサラダや生ハムなど、お店の「おすすめ」を注文して、とりとめもないことを話す。長兄がなくなったことで、最年長者になった次兄夫婦が、何だか責任を感じているような風情がある。だが、一家のドンというほど結束の強い血盟集団でもないのだから、「責任」を感じるようなことはない、と思う。母親という結束の要がなくなったこともあって、なんだか紐帯が細くなったような気もしている。私はいつだって「三男坊」でいられたから、気軽にモノゴトを考えすぎなのだろうか。

 

 夕方早くに入った私たちにつづいて、若い人たちが来店して、それぞれにワイワイとやりはじめる。9割方が女性なのに驚いた。幾組かカップルもいるが、仕事が終わった終末の女子会という雰囲気。ワインも軽くおいしい。おつまみのサラダも、調理に工夫がしてあって、地中海風でオモシロイ。こんなふうに週末を過ごす人たちがいるんだと、私にとっては、新しい発見をしたような気分であった。

 

 駅で次兄夫婦と別れ、通勤客の混雑と一緒に帰り着いた。飲みすぎもせず、食べすぎもせず、ほどよく酩酊して、心地よく帰宅。こうしてパソコンを打っている次第。おっ、風呂が沸いた。ではでは。

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