mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

姉弟の苦渋と独立不羈の精神

2018-03-05 19:49:59 | 日記
 
 近頃耳にした二つの姉弟関係の話しを考えていた。

 ひとつは、80歳を超える弟。妻と二人暮らしで子どもはいない。妻はお茶の師匠。いわゆる「難病」を抱えていて、でも「医療費が一銭もかからない」と話すような磊落な人柄が好まれていた。それもあって、いわゆる家元制度の「お免状」を授けるということにこだわらず、お茶を愉しむというのを基本にしていて、お師匠の妹さんも加わったお弟子さんたちも茶席に立ち寄るのを愉しんできた。このお茶のご師匠は、なかなか凝った器を持っていて、そのうちの一つや二つを妹さんはいずれ自分も頂戴したいと(姉に向かって)口にしていた。この師匠の夫君はすっかり妻に頼り切っているように見え、飄々と過ごしている。ときどき茶席に顔を出したり、庭の柿をとってお弟子さんに振る舞ったり、愛想も良かった。
 
 この師匠が体調を崩し、しばらくお茶がお休みという状態が続いていたある日、亡くなったと伝わってきた。ところが葬儀を取り仕切ったのはご夫君ではなく、ご夫君の姉。結婚もせず独り暮らし。師匠の妹さんが顔を出したときには、葬儀の手順がすっかり出来上がり、坦々と進められた。ま、それはそれでご夫君の仕切っていることだろうからと、口を出さなかった。ところが、49日のお参りに行ったとき、すでにお茶の道具などはほぼ全部、古道具屋が来て買い取っていってしまったと聞いて、驚いた。子細を聞いてみると、夫君の姉が遺産の整理をしてしまい、ついには家も売り払って、ご夫君は姉と一緒に暮らすことになってしまったと、師匠の妹さんはこぼしたというのである。
 
 察するに、ご夫君は幼いころの姉に対する依存の代わりに妻に依存していたようだ。妻がなくなるとすぐに、姉が乗りだしてきて、弟の不遇を救うべくあれこれの手をうち、姉の家に同居する運びにしてしまったのであろう。麗しい師弟愛というべきなのだろうか。それとも、幼いころからの姉による弟支配をふたたび復活させることができて、大満足の老後生活に入ったといえようか。
 
 もう一つの話。定年退職後に長野県の積雪地域にペンションを建て、来訪するお客を周辺地域を拠点にした自然観察に案内するという、趣味の暮らしに乗り出した弟、76歳。やはり研究職について仕事一筋に結婚もせず働いて来た姉も、退職後に「自然観察」に興味を持ち、ときどき弟のペンションにも顔を出し、炊事を手伝い、自然観察ガイドに手を貸すなど、全面的に援助した。弟の家庭は埼玉にあり、子は家庭をもって独立した暮らしを営んでいる。妻も自分の仕事を持っていたので、ご亭主の趣味に生きる二歩目の一歩に賛成し、おおらかにみていた。ところがその奥さんが亡くなった。そのころから、姉弟の間に、ぶつかり合うことが多くなった。姉は弟を気遣って、ペンションのあれやこれやに助っ人として手を出す。弟に代わって(裏方として)世話をする。しかしそれは、弟からすると余計なお世話、腹も立つ。弟は顔を合わせることをきらい、姉を出入り禁止にしてしまった。
 
 その弟が、寄る年波に勝てず、雪の降り積もるペンションのなかで動けなくなった。訪ねて行っていた自然観察のお客が気づき、案内は取りやめていいから医者に行けとすすめる。どうも自分からは行かないのではないかと思って、姉上に状況を説明する。出入り禁止の姉は、弟の息子に知らせる。息子は車を駆って駆け付け、親父を乗せて少し離れたところにある病院に向かう。即入院、検査、治療を施し、いま病院にいる。ところが、この姉は、弟にじかに電話できない。電話をしても取り合ってもらえない。やきもきして、自然観察のお客のことろへ「どうしているか聞いてくれ」と電話を入れる始末。これもまた、強い姉弟のきずなが、弟によって拒絶され、姉が途方に暮れている様子をうかがわせる。
 
 つまり、お茶の師匠の方のご夫君=弟は、妻への依存を姉への依存に乗り換えてすんなりと身の置き所を変えてしまった。自然観察のほうの弟は、姉の介入をうるさいと感じ、独り立ちしようとして、もっか戦争中というわけだ。
 男ばかり五人兄弟の間に育った私には、上記のような姉弟の関係が、わからない。姉の世話・介入というのは「ひどいな」と思うが、お茶の師匠のご夫君は独り立ちする意思を持っていないから、悶着にはならない。話しを聞いて私は、男ってしょうがないなと思う。自然観察のほうの弟の気持ちは、それなりによくわかるが、姉の方は、弟の独立精神が理解できないらしい。私が男兄弟ばかりで良かったと思うのは、それぞれが家庭をもって独立の生計を営むようになれば、当然、その家庭のことなどには口を出さない。よほど困ったことでもあれば別であろうが、そうでなければ、兄は兄、弟は弟の道を歩むと思うから、頼まれでもしない限り、手を出さない。それが兄弟の仁義ってものだと考えている。だがどうも、姉弟というのは、違うらしい。兄妹ならばも少し違うのだろうが、姉にとって弟というのは、母代わりに世話を焼く対象になるようだ。
 
 この姉弟の関係のなかに、日本の社会が未だに吹っ切れない社会的甘えというか、過保護的気風の原型があるように思う。はたして独立不羈の精神というものは、どこへ行ってしまったのであろうか。

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