mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ホントのこと

2016-07-26 06:17:49 | 日記
 
 寝床でふと気づいた「真・善・美」と私たちは教わったけど、「真」が必ずしも「善」とはいえないし、「善」が必ずしも「美」ともいえない。「真」が取り出されるとき、じつは、「嘘」とか「虚」が張り付いている。「善」は「悪」を見据えているから取り出される。「美」は「醜」とともに感じられてこそ成り立っている。ところが、「真・善・美」とまとめて教えられた私たちは、いつ知らず、「真」や「善」や「美」がともに並び立っていることと思い込んでしまう。
 
 もちろん、逆に、それぞれが別様の意味合いで、承知されていることもあろう。「嘘」こそが政治技術の真実であり、隠された「悪」こそが敵を損なう「善」となる。何を美しいと考えるかは、人それぞれと。つまり、「真・善・美」が普遍的なコトを意味するところにあっても、自分の感覚を神が見ているのと同じと誰もが感じていれば、いつでもそれは、「普遍」になる。
 
 こうしたことに気づいたとき、私たちは、乳幼児が体で覚えた「世界」が、ふと気づいたとき、母親との分離であり、突き放されたような孤絶感であり、ひととの違いを感じとる「私」の出発となる。そのようにして、
 「真・善・美」と訣別するとき私たちは、自分の外にその「真実」があると、ひと先ず思う。だがさらに長く生きて世の中のいろいろなことを目にすると、「真・善・美」の裏側に「虚・悪・醜」が隠されていることに思い当たる。
 
 こうしたまた、私は、我が体に刻まれた「真実」に思いを凝らす。その途次にあるのが、「私たちの戦後71年」であったと、寝床で気づいたわけである。酔生夢死。これから山に行ってきます。
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