mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

帰納的か演繹的か――世界を描くむつかしさ

2016-07-28 08:31:07 | 日記
 
 「私たちの戦後71年」を話していて、ふと気づいたことのひとつに触れる。乳幼児時代から、子どもにとっての世界は、、帰納的にできている。そう見るのは、大人になって振り返ってみた場合。じじつは、世界に身を浸してそこから感知吸収したことすべてが、我が身をつくる。つまり世界はひとつ、全部が我が身なのだ。それが(自分と違う)「世界」と分かりはじめるのは、「自分」が「世界」から分節化されはじめてからである。学者たちはその「世界」を「子どもを取り巻く環境」と呼ぶが、その言葉はすでに「自分」と「世界」が分節化していることを前提に用いられている。
 
 生まれ落ちた時から戦乱があって、「戦勝気分」が世に満ちていたり、あるいは空襲や「敗戦の混沌」の中にあったりすると、「混沌」が自分=世界、そのものになる。さらに分節化する最初の「大人」である親の立ち居振る舞いは、我が身に流れ込む栄養分のように「自然」と感じられる。その「栄養分」がうまいとかまずいとかいうのは、外から(あるいは後から)それを対象としてみるようになってからである。戦中生まれ戦後育ちの私たちは、混沌とか不安とか貧困とか不運とか悲惨ということを「自然」と感知して育ってきた。我が身に引き寄せていうと、混沌によってアナーキズムへの親和性が育くまれていた。
 
 そこへ投げ込まれたのが、「新憲法」である。GHQとそれとを分けて考えることなど、子どもには到底できないのだが、振り返ってみると、「新憲法」の提示する「基本的人権、民主主義、平和主義」は、その当時の大人の振る舞いとあいまって、子どもの心中にある種の「希望」をもたらした。いまは悲惨であるが、この「希望」のあかりをともし続けて生きていけば……という「あかり」は、歩みすすむ道しるべになる。そうか、そのようにして欧米への志向が我が身の裡に胚胎したのか、そう思った。「新憲法」の示していた道しるべは、いま振り返ると、カントの遺稿「永遠平和のために」と同じ質のものであった。フランス革命がひと段落してヨーロッパ中にそれが広がる気配を漂わせていた時期。「普遍的」のスタンダードとして欧米が私の胸中に居座った。
 
 とは言え私(たち)が受け取る欧米的なあかりは、我が身を通過するときに「身の程」との折衷を施している。それが順接的になるか逆説的になるか韜晦的になるか、世の中の進み方に対して建設的になるか反抗的になるか等閑的になるかは、世の中との相関でもある。その上、親からの自律という青年期の自己形成が重なるから、誰もが一様に同じ道を歩むはずもない。しかも親と子という相関だけで育っているわけでもない。兄弟との関係があり、学校における同級生や他学年生との関係もあり、ご近所や社会全体の動きや偶然のもたらす運否天賦も作用して、自律/自立ということもいろんな道筋をたどった。
 
 一つ私が印象深くいま思い出すことがある。私より5歳上の、後にジャーナリズムの世界で活躍した人が新聞記者になりたての頃に書いた「我が国という視点が世界を狭めている」という一節だ。それは第一次大戦が、それぞれ自国の利害をむき出しにした「帝国主義戦争」であったのに対して、第二次大戦が「ファシズムや軍国主義に対する正義の戦争」と理念的な「正義」を前面に押し出したことに関係している。「新憲法」は、それすらも含めて「我が国」という自国利害第一主義を取り払った「新しい世界」をイメージしていたのであろう。それが身の裡に流れ込み「希望のあかり」へと向かう一つのスッテプとして「我が国」を抜け出よと口をついて出たのであろう。
 
 だがそれは、「我が身を捨てよ」というに等しい。「捨て方」に触れないで「我が国」意識を非難するのは、倫理的な決めつけに過ぎなかった。もっともそのジャーナリストは国際報道に携わり、米国勤務を長く行って「捨て方」そのものにありようを実践的に示していたのではあった。そこが私との違いになったと、ふりかえって思う。私は外国を現場として活動することはなかったから、「我が国」意識をもつのは、本や報道などを通じて識る欧米やアジア諸国との対比においてであった。しかしそれは「我が国意識を捨てる」というよりは、我が国意識を礎にしてどう「普遍的に」世界を見てとるかであった。
 
 こうして私の身の裡で、いつ知らず身に刻まれた我が身の本体/本態ともいえるアイデンティティと、(かくあるべしという)普遍的なコトゴトとが、対立するようになった。いわば、帰納的に刻んだ我が身の本体/本態と、演繹的に志向する「理念」とが相克し、日々の暮らしにおいて出くわすコトゴトのひとつひとつに、なぜ自分がそう感ずるのか、なぜ自分はその「理念」を正しいと思っているのか、いちいち吟味するようになった。もちろん他人に(何かを)問われて、即答することもできなくなる。簡単明瞭に言葉を繰り出す場合も、身の裡の苦しさを捨象しなければならなくなる。こうして、私の中で、帰納法と演繹法が対立し、世界を一様に描きとることが難しくなってきたのであった。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
« ホントのこと | トップ | 花の楽園、難行の苗場山 »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事