mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

何を求めているか

2019-07-19 10:33:06 | 日記
 
 昨日(7/18)は「ささらほうさら」の月例会。今日の講師はosmさん。定年ののちに、安上がりの人材登用という身分変更を受け容れて、相変わらず大学の教師をしている。その大学院での講座のひとつに、「教育実践研究」というのがあり、現場で仕事をしている人を対象にして十数人の受講生で週末と休日に開講する。近頃はインターネットで結んで、モニターで顔をみながら全国各地から参加できるとあって、学部を卒業した人ばかりか、保育士、幼稚園、小中高校の教諭や看護学校の教師や地方公共団体の職員なども参加している。つまり、色とりどりの現場にいる方々が「専門的な知識を高めたい」とか「臨床的な力をつけたい」とか、「今の現場がこれでいいとは思えない」という目的や動機で授業料を支払い、やって来る。しかし、小学校での教諭や管理職体験もあるosmさんにとっても、どう(参加者に通有する)共通軸となるテーマをたて、どう展開し、「課題レポート」をどのように提示したらいいものか、思案投げ首の状態だと話が進む。
 
 「受講生がもとめる専門的なことって、なあに?」
 「専門的知識とか技術ってことですかね」
 「知識って?」
 「例えば幼児教育の現代理論とか特別支援教育のこととか」
 「でも出席者の現場がそれだけ違えば、どれかを選び出すことって難しいよね」
 「それは、せんじ詰めれば、コミュニケーション論てこと?」
 「あるいは、教室に出逢う人と人との文化の違いとかってこと?」
 「何を求めているんだろう、その人たちって」
 「それぞれの現場に何がしかのわだかまりがあって、独り自問自答してきて、その脱出口を見出したくて受講しているんでしょ」
 「現場の話を聞いてもらいたいんじゃないの?」
 
 と話しが転がる。osmさんにすると、授業料を支払ってくる方々なのだから、教師としては何がしかの実のあることを差し出して受け取ってもらわなければならない、と考えている。ひょっとすると、そういう発想自体が、「古いのかもしれない」と自戒する言葉が飛び出す。
 
 osmさんは上記の「現況」を語りだす前に《「2.5人称の視点」の立ち位置》を俎上に上げ、教育学者たちの学校教育批判の図式や構図を視野に入れていることを示し、「理論と実践の往還」として「理論」を提示する人たちの三人称的な立ち位置と現場で児童生徒と向き合う教師の(一人称又は二人称的な)立ち位置との差異を問題にし、「受講生自身が探るべき実践の指針としての理路」との落差を掬い上げようとしている。
 
 また、その背景には、《「教える」という立ち位置からの退却》が始まっているいう現状認識を示し、《教えられれば「学ぶ」 はず》という想定の根拠を問うスタンスを表明している。そして、「教える―学ぶ」関係においてほとんど常識的に受け止められている感覚、「教えられても学ばないことはありうる」「教えればわかるはずだ」「わからないのは(学ぶ)自分が悪い」と謂うのを、もう一段深めて、「教え―教えられる」関係と「学ぶ(自分の世界観の構成)」とのパラダイムの違いへ踏み込む必要があると、前段の布石をおいてはいた。
 
 とすると、osm教室の「場」を変えてしまう必要があるんじゃないか。受講生は(現場のわだかまりをどうとらえ、どう始末したらいいか、話しを聞いてもらいたい)と思っている。また彼らが、ほかの現場の方々の話を、当然自分の現場に置き換えて変換し、編曲し変奏して実践に組み込むわけだから、その編曲・変奏の手際を聴きとるようにし、それを参加者全員に返すようにすると、それぞれの人たちの心裡に「他者」が鏡になって映し出されるのではないか。そうすることが、osm教室の達成感や充足感につながるのではないだろうか、と広がる。
 
 たしかにosmさんの話には、離島から(モニター画面を通じて)参加した(学校教育とは違った職場に身をおく)方の「レポート」が、そうした受け止め方の確かさを感じさせるものであったという。osmさん自身が手ごたえを感じたものが含まれていたのであろう。
 
 こうも言えようか。
 教師であるosmさんは「場」のコーディネータを務めるわけであり、参加者がモンダイを投げ込み、受けとめ、キャッチボールをする。ただボールが場外へ出てしまわないように気遣って言葉を挟み、そこでのやり取りが「なにを問題にしているか」をだんだん明快にしていくように介添えを務める。「問題にしていた何か」が、受講者それぞれにおいてなんであったかは、同じことであるはずもなく、それぞれに違いをもつものであろう。それらはたぶん、現代の教育ばかりか文化・社会のとらえ方に関するモンダイであるはず。それを「レポート」に求めて、その回答を再び(形はどうであれ)受講者に投げ返していけば、教師osmの姿は見えないけれども、osm教室という「場」の確かさは、受講生の心裡に残る。
 それがあなたの遺産だよ、と面々から言葉が繰り出され、もう少し頑張ってみますよとosmさんは締めくくった。
 
 教師がコーディネータを務めるという「場」のかたちは、今の時代に暮らす社会の人々がどういうネットワークをつくりあげていけばいいのかを示すもののように思う。授業がネットを通じて離島であろうと(都会地に暮らす人と同様に)五分に参加できるというのは、私たち高齢者の過ごしてきた時代とは明らかに異なる。でもそれだけ「つながり」の広まりは期待できる。それが、大学院という枠組みを抜け出て、人々が自らつくりあげるネットワークに変換していくことへの最初の一歩になるなら、「場」の構築という遺産は間違いなく、受け継がれていくと思った。
 
 考えてみると、私たち高齢者の学生時代には「サークル」というネットワークがあった。それはいつしか、「あった」という外在的な存在のまま卒業したり、放置したりしてしまったが、世に出てからは別の「サークル」を、今度は自らつくるようにして構築し、維持し、何十年も保ってくることもあった。あるいは、仕事を引退後に、そうしたネットワークを構成しコーディネートするお役目を自らに課してもきた。
 ごく普通の都会地の暮らしの中でも、とどのつまり自らの手でネットワークを設えていくようにしなければならないと同時に、そこで集う人々と交わす言葉の「練度」をあげていくことが、コーディネートをする人にとっての「生きがい」になる。なぜなら、そこにおける文化継承の開かれた地平こそが、社会における私たちの存在意義だといえるからだ。
 
 osmさんの「現況」は、もうすっかり現場から身を引いた私たちにとっても、「おい、まだまだ頑張れよ」と刺激する響きを湛えていた。
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