mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

Seminar中止

2020-11-23 16:31:12 | 日記

 11/12のこの欄「頑張らにゃあ、バイデン・メトロノーム」にも記しましたが、コロナウィルスで3月からずうっと延期してきたSeminarを、そろそろやってもいいんじゃないと声がかかり、呼びかけたところ、常連のうちほんの2名を除いて、皆さん参加すると返事があった。同時代の空気を吸っている私たちのあいだに、何か共振するものがあるんじゃないかと思うほど、意気投合するようにして、実施を決めていたのだが、それから十日の間に、すっかり情勢が変わってしまった。
 とうとう11/21に「Seminar中止の直前案内」を送ることになった。文面は、こうだ。
                                          ***
皆々さま
 いやはや、ここ連日のコロナウィルスの広がりようは、尋常じゃありません。
「そろそろ(自粛をやめても)いいんじゃない?」と言っていた方も、「(開催して)大丈夫かな?」と心配するほど、日々記録更新の模様です。
 ことに「最高レベルの警戒」を呼び掛ける東京都。神奈川県も埼玉県も、不要不急の移動の自粛を呼びかけています。なかでも「高齢者への感染が第3波の特徴」と言われては、Seminarを開催するのは、「大冒険」どころか「火中の栗を拾う」に等しい振る舞いです。
 それもあってか、すでにお二人の方が、参加取りやめの連絡をくださいました。
 諸事情を考慮した結果、11/28(土)の第二期・第12回Seminarは中止することといたしました。
  出席のご連絡をくださっていた方々には、ほんとうに申し訳ありませんが、ご理解の上、ご承知くださいますようよろしくお願いします。
  2020年11月21日 事務局
追伸:次回Seminarは1/23(土)に予定
 このSeminarも、当初予定していた講師・I・Hさんが入院しているのに、事務局で引き受けて開催しようとしたものでした。それが中止に追い込まれたのも、「天の啓示」かもしれません。/I・Hさん、12月に退院ということでしたが、その後いかがですか。中止したSeminarは、次は1月23日(土)に予定しています。そのときには、講師として、よろしくお願いします。
                                          ***
 Seminarを発案し、一緒に運営に当たっているM・Kさんは
「実は私からも中止したいとのメールを出そうとしてメールを開いたら、貴信があったわけです。これだけ感染者が増えたのでは、火中の栗をひらうどころか、自殺行為かもしれません。」
 と、さっそく賛同の返信がきた。
 また慎重居士のT・Tさんからは
「いつものお世話に深謝しております。ご無沙汰しておりますので、年1回くらいは顔を合わせたいということと、ダイナミックなCOVID-19情勢とで、本日まで出欠回答保留にさせていただきました。またの機会を楽しみにします。」
 と、音信があった。
 月初めに「もうそろそろ(Seminar)やってもいいんじゃない」とメールしてきたT・Sさんは、
「残念(座暗念)ですが承知しました。対策を講じての行動なればメディアが騒ぐほどのことでははないと思いますが・・・・」
 と、自衛策を講じていれば、大丈夫じゃないかと思っているようだ。
 また都内で医院を開いているH・Kさんは
「セミナー中止のご連絡を有難うございました。お世話役は判断と決断を迫られ、その決定には必ず、賛否両論があります。お疲れさまでございます。2月後は予想もつきませんが、セミナーが開催できる事を願っております。」
 と、事務局へのねぎらいの言葉を添えてきた。
 Seminarがある日にはうちを早く出て映画を一本見てから来るというF・Tさんは
「お世話になります。まあ、仕方ないですね。しばらく我慢がまんですね。ワクチンを待ちましょう。」
 と絵文字を添えて記している。
 いつも興味津々で、子どものように質問を仕掛けてくるH・Mさんは
「了解致しました。この爆発的な感染の広がりは、各種のcampaignに起因するするものかどうかは、専門家の意見を聞いてみないとわかりませんが、このコロナは一筋縄ではいかぬどえらい奴ですね。地球全体を巻き込んで、人類への挑戦でしょうか? 又は罰を与えているのでしょうか? お互いに我が身を守る努力をいたしましょう。1月には、本当にお会いできますよう、祈るしかありません。」
 と、コロナウィルスを何とか自分の「せかい」のなかに位置づけておこうとする意欲を示しています。これに対する返信を書いた。
 《「人類への挑戦」というより、「人類への天の啓示」と受け止めています。ヒトが多く「密」である。都市への集中という経済の「密」である。暮らしが贅沢という「密」である。働き過ぎも「密」。ヒトの暮らしの原点、お伊勢さんの保ち続けている暮らしの基本、火を熾し、森を育て田を起し、稲を植え育て、ことごとく自らの手でひとつひとつ賄っていく営みが、過剰。つまり「密」であると「天の啓示」が降りてきているように感じています。原点に還れ。ヒトが長生きするというのも、「密」なのかもしれません。
そういうお話を交わせるといいと思ったのですが、1月に、また。》

 政府は、私の見立て通り、自己防衛しなさいという姿勢を崩していない。行政府を当てにせず自律的にやっていきなさいよというのならいいのですが、何、タダの無策だよと、口の悪い友人は評している。それほどに、行政への信頼は失せているということか。

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