mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ボディ・エコノミク

2015-05-29 17:13:24 | 日記

 デイヴィッド・スタックラー&サンジェイ・バス『経済政策で人は死ぬか?――公衆衛生学からみた不況対策』(草思社、2014年)を読む。原題は『BODY ECONOMIC――WHY AUSTERITY KILLS』。

 

 「経済政策で人は死ぬか?」というタイトルも妙であるが、原題の「BODY ECONOMIC」というのも、省エネルギーの身体論なのかと思うほど、ヘンな感じがした。ところが読んでみると、大真面目な経済論である。「BODY ECONOMIC」は、この著者たちの造語。デイヴィッドは公衆衛生学者、サンジェイは医者だ。原題につけられた副題「WHY AUSTERITY KILLS」は、直訳すれば、「なぜ緊縮(財政)が人を死なすのか」となる。恐慌や不況という経済事象に際して採用される各国の「緊縮経済政策」を、人々の健康や保健衛生の面から考察するとどのように現象しているか。それを子細に探求している。

 

 ロシアの社会主義が崩壊して資本主義に移行していく過程で、当初(それ以前には)増加すると予測されていたロシアの人口が500万人も減少したこと、それも働き盛りの男たちが「消えた」のはなぜか、と追及する。自殺、急性心臓疾患、アルコール中毒など、健康を害する人が急増している。それをみていくと、社会主義体制下で単一製品に特化した街づくりをして(したがって、街々の物流ネットワークに依存して)きたために、そのひとつが(急激な民営化措置によって)崩壊すると、ドミノ倒しのように次々と街の暮らしが崩れ、失業とホームレスが増加した結果だ、という。もちろんロシア特有の(質の悪い)アルコール依存も作用している。経済体制の移行が緩やかであれば、こういうことも軽減されたであろうと、述べる。ロシアは「社会主義の終わった後が一番ひどかった」と紹介するのが、皮肉っぽい。

 

 1997年のアジア金融危機によって発生した経済の立て直しを、IMFが緊縮財政を条件にしたことの作用も「比較社会実験」のようにとりあげる。それに従順にしたがったタイ社会の「健康状態」はひどく害され景気回復も遅れ、他方でそれに従わなかったマレーシヤはむしろ、社会状態は穏やかにGDPの回復をしたことが対比される。

 

 あるいはまた、2008年のリーマン・ショックによって瓦解した経済を立て直そうと取り組んだアイスランドの事例を考察し(人口がわずか30万人とは言え)、IMFの「条件」に反して、さらにイギリスなどのアイスランドの銀行への投資金の返還補償を拒否して、国民投票を実施し社会保護策を削ることなく取り組んだことが評価される。「健康面から」みると穏やかな衝撃に終わったことを考察して、景気回復にも効果的であったことを説明する。

 

 他方で、ギリシャの事例を取り上げ、そのアイスランドとの違いを「自然実験」とみて、財政の緊縮策が不況を長引かせ、金持ちを保護した結果、貧困率が高まり、格差が拡大していると指摘する。

 

 ひとつ面白い指摘があった。「政府支出乗数」という数値がある。「政府支出を一ドル増やした時に国民所得が何ドル増えるかを表す数値」だそうだ。つまり「支出対効果」を示す。IMFもこの数値を用いて、医療費用の削減や、社会保護費用の削減を政策としてとるように求める。アイスランドの場合、「支出対効果」が「0.5」とか「0.3」とIMFは提示し、銀行の救済に税金をあてよと提案する。じっさいには、IMFからの貸出資金を銀行救済に回せというのである。それに対してアイスランドの国民投票はそれを拒み、社会保護策を削ることなく、またイギリスの(海外)投資家保護要請を否決して、取り組んだ結果、「奇跡」と呼ばれる回復している。それを検証して、この著者たちは「支出対効果」を計算し直した結果、つぎのように指摘する。

 

 《このとき、もっとも乗数が多いのは保険医療と教育(乗数は「3.0」)で、防衛と銀行救済措置が最も少ない(「0.3」)。だがIMFは、銀行救済を優先し、財政支出抑制を趣旨として社会保護策の削減を求める、とIMFを批判する口調になる。しかもアイスランドで学んだはずであるのに、ギリシャで同じ失敗を重ねていると手厳しい。

 

 IMFや世界銀行がアメリカの利益に引きずり回されているという批判は、何も近年の中国ばかりでなく、途上国から何度も指摘されてきた。日本も、アメリカの要請に沿うということをひと言も言わずに、1990年代の初めころから、アメリカの要請に応えることばかりをしてきたと言われてきた。現在のアベノミクスにしても、アメリカの経済と一心同体という姿勢を基本にしている。首相の経済顧問を務める浜田某も、アメリカの大学で研究活動をしてきて、自由競争の徹底が予定調和的に社会全体を底上げすると単純化する。つまり頭がすっかりアメリカナイズされている。株価が上がれば、それが景気回復だという発想も、財政均衡を計る手立てを結局のところ、セイフティネットの削減と、医療費、介護経費の削減に絞る発想など、根っからグローバル経済の自由競争にゆだねる方向へと向かっているのだ。経済学者の視界には国民の暮らしは需要としてしか存在していない。

 

 「社会保護と健康」から考えるというのが、そもそも、何のための経済政策かを語っている。経済学者は「景気回復」や「財政緊縮」を直にそれ自体として「解決策」として提言する。だが、国民の生活を安定的にすることが第一義とするならば、それ自体が常に意図されなければならないし、そこに現れる結果に対して、真摯にこれまでの政策の瑕疵を検証しなければならない。そういう自己批評性をもって取り組むことの大切さを、統計的に、簡明に示したという意味でも、公衆衛生学者の立脚点は素晴らしい、と思った。マクロとミクロが円環を描いてみごとに接着したという観をみる。

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