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mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

65歳の活動力(2)欲するところの出番がない

2025-01-07 07:26:24 | 日記
 65歳クロニクルを整理していて気づいた、もう一つのこと。
 当時私は、週に一日、大学の学部と大学院の授業をもっていました。いわゆる非常勤講師です。教職課程の学生さんたちに、学校論や教師論、生徒指導論、特別活動、教科教育の現場的な実務をイメージして、どういうことに留意しつつ、何をどう(学生時代に)準備すればいいかを考える授業です。学問領域にまとめて表現すると「教育社会学」とか「教育哲学」の、臨床的な展開と言えましょうか。あくまでも私の経験的に身に付けた現場教師としての勘所ってところです。
 読み返していると、若い学生さんと遣り取りをして、それが刺激になってずいぶん本を読んでいます。学生さんが読んでいる小説から、国家論や国際関係論、法哲学や人生テツガクなど、広い範囲のこれと思った本を、手当たり次第に読んでいて、それら一つひとつにコメントを加えて書き記しています。驚かされます。
 ということは、そうしていたことをすっかり忘れているってコトですね。
 また、学生さんからメールで毎回授業の後、「リアクション・メール」を書き送って貰い、それに応答する文書を編集して、多い時はA4版の紙で20ページを超える遣り取りをしたりしています。それを、授業とは別の「場外乱闘」と称し、「リアクション・メール・コメント」へのリアクションが、何週か続いたこともあったなあと、思い出しています。
 その合間を縫うようにして、山へ行ったり、あちこちへ旅に出たりしているのを読み直すと、へえ、元気だったんだなあと、我がことながら感心しています。
 いまはもう、すっかり老いぼれて、1冊の本を読むのに何日もかかります。読み終わった本の感想を記すのも、わが胸中に湧き起こるあれやこれやの感懐を書き置くので手一杯、その本の展開する論考が、どういう位置づけを持つかということにまで言い及ぶことをしていないなあと、手抜きを強烈に感じています。集中力もあったんですね。それと、読んだモノゴトを忘れずに他のことに関連付けて思い出す「記憶力」もまだ健在だったと思います。
「手抜き」といいましたが、そう言うと意思的であることになります。そうじゃないんですね。然るべくして自ずと、そうなってる。事細かく分節化してモノゴトを見ることがなくなっている。コトゴトのあわいが溶けて、ぼんやりと一緒くたになって感じられている。何もかもごっちゃにしているというか、ごっちゃになって感じられ、そうみえる。
 どうして、そうなっているのか?
 身の裡を覗き込んでも、その心身一如のメカニズムはワカリマセン。ただ一つ思い当たるのは、欲求が衰えているように感じます。どなたがいったことかわかりませんが、己の欲するところに遵って、なお矩を踰えずと謂われています。その欲するところが、消えるというか、希薄になっています。若い学生さんと遣り取りしている時には、たぶんほぼ無意識だと思いますが、彼らに負けて堪るかと、身の裡のどこかで闘志が湧いているのだと思います。むろん頭では、勝ち負けじゃないでしょうとコトバになっています。そもそも教師が学生に勝ってどうするよと、別のワタシが嗤っています。
 でもね、人と向き合うと自ずとワタシが際立ってくるというのは、事実です。やっぱりヒトって、交通・交流があって初めてジブンの存在を感知する生き物なんだと、あらためて思いました。
 今は、その初発の場面が途絶えがち。私の無意識も出番を失い、姿を見せないのだと思います。
 ははは、それこそちゃらんぽらんになっている。イイとかワルイとか価値づけてみることではありません。老いぼれるってコトがそういうことなのだと自己承認して、少しも懲りないのが八十路爺の靱(つよ)く強(したた)かなところです。ふふふ。

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