mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

日本海側気候の奥日光 めでたし

2020-02-20 11:00:36 | 日記
 
 18日から二日間、奥日光の雪の山を歩いてきた。山の会の毎年恒例の宿泊山行。
 18日は、宇都宮―日光道路の日光口を過ぎたあたりから雪が降り始め、いろは坂にかかるころには本降りになった。昨日の夜から降り続いているらしく、路面にも雪が積もっている。
 湯元の駐車場止まっているのは私たちの車だけ。バスで来る人たちと合流して、スノーシューを履き金精山の方へ歩き始める。10時半過ぎ。雪の降りがひどくなった。どこかの小学校の修学旅行だろうか、ゼッケンをつけた子どもたちが急な斜面で橇遊びをしている。
 
 今年の参加者は達者な人たちばかり。橇遊びをしている傍らの斜面を上りきり、踏み跡のない雪面に踏み込む。倒木を避けながらずいずいと登っていく。急な斜面を上ってジグザグ道をショートカットするのも、面白そうにトライしている。吹きだまったような深い雪は、スノーシューでもずるりと滑り落ちてしまう。膝を使って雪を固め、そこへスノーシューの爪先を置いて身を持ち上げる。
 雪はパウダースノーのようにサラサラだ。先月末に下見に来たときには少し水っぽかった。手袋が水を含み、冷えて手指が凍えるようであったのに、今回はそういう感じがない。
 kwrさんが先頭を切って歩き、間もなく79歳になるoktさんたちがつづく。khさんとkwmさんはそれと離れて私とともに気ままにルートを取る。
 
  金精道路に向かうところでkwmさんが先頭に立ち、stさんmsさんが後を追う。stさんは金具でできた和カンジキを履いている。これは左右にぶれないストッパーがついてはいるが、前後には歯止めがない。そのせいで急斜面では苦戦している。ストックを両手で持って前の雪面につき、四つん這いで歩くようにするといいよと声をかける。
 金精道路に突き当たるところには、ビール瓶のプラスティック・ケースをいくつも積み重ねて階段状にし、ロープでつないで崩れないようにしてあった。kwmさんたちはつぎつぎとそれを上って、ガードレールに手をかけ、金精道路へと上る。
 
 金精道路も雪が30センチほど積もっている。そこへ強い風が吹いてきて身体が飛ばされそうになる。そう言えば栃木県北部の山沿いでは風雪注意報が出ていた。風下に背を向け、広い道路に広がって三々五々下ってゆく。
 向こうからひとパーティがやってくる。近づいてみると、奥日光のガイドをしているAさんがカップルを案内しているとわかる。今日スノーシューを借りた自然計画のMさんが「80超えても毎週ガイドしている方もいるんですから、歳に負けないで頑張ってください」と、khさんを励ますときにAさんの名が出た。こちらもフードを取って顔をみせると、やあやあ、久しぶりですねと、言葉を交わす。彼らが踏んできた足跡が、強い風ですぐに消えてしまっている。
 
 金精道路から小峠への分岐のあたりは風の通り道になって、地吹雪も舞い上がって視界も悪い。その手前の道路の脇へ身を寄せてお昼にする。11時40分。雪は相変わらず降り積もる。oktさんの前に向き合って座ったkhさんも、言葉を交わすこともできず、黙々と食べている。
 お昼を済ませ、小峠への分岐のところでoktさんとkhさんは湯元の泉源へ下ることにし、皆さんと別れた。
 ほかの方々は蓼の湖へ向かう。雪がないときはミヤコザサの繁茂で歩くことが適わない。積雪期だからこそのルート。そのため蓼の湖は「幻の湖」と呼ばれている。分岐から急な斜面を下る。先頭のkwrさんは、順調に下っている。カンジキのstさんは体を横に向け、カニ歩きをしてスッテプ・バイ・ステップで降りている。下ったところでstさんが先頭に立つ。再び樹林の中を抜けて湖への道をたどる。急斜面のカンジキに苦戦している。湖に出るところで、向こうからやってきた8名くらいのパーティとすれ違う。尋ねると刈込湖へ行って、同じ道を戻ってきたようだ。小峠からは夏道を歩いた。階段が凍りついていて危なかったという。このくらい雪があれば、冬道も歩けたはずだ。
 
 蓼の湖は凍っていない。やはり今年は暖かいのだ。凍った湖面を上を歩いたこともあったと、はじめてきたstさんに話す。20分足らずで来てしまった。ここから引き返しては、簡易に過ぎる。小峠まで行きますかと聞くと即座にkwrさんが「行きましょう」と応える。彼は、下見のとき以来スノーシューの味を占めたようだ。すれ違ったパーティが下ってきた踏み跡をたどって樹林帯を登る。雪が深く、面白い。最後の急斜面を上って、一休みする。1時ころ。
 ここから駐車場に帰れば、ちょうど2時ころになる。同じルートをたどるのも面白くないから、夏道を金精道路へ向かう。このルートは、雪が多いときや雪面が凍りついているときは通らない方がいいと、現地に通暁しているMさんから聞いている。雪が多いときは急斜面を崩れて溜まる雪でルートがわからなくなる。一度そういうときに私も歩いたことがあるが、滑りやすいトラバースばかりで脚がどうにかなるのではないかと思った覚えがある。凍りついたときは、滑落の心配が大きい。そういうときは、スノーシューよりアイゼンが役に立つ。でも、このところの暖かさや少ない雪ならまず心配あるまいと考えた。
 踏み跡は、まったくない。だが少雪のせいで夏道らしさの凹みが見てとれる。さすがに急斜面のところは20メートルくらい、滑り落ちないように注意してトラバースすることになったが、あとにつづく人たちは慎重に身を動かしている。左側は先ほど上って来た渓が、ずうっと下の方にみえるスリリングな斜面がつづいている。上り下りで太ももが攣りそうと言っていたmsさんも、難なくついてくる。わずか40分で金精道路の分岐に着いた。
 
 ここから湯元の泉源に下り、温泉寺の方へ近寄ってから駐車場へ向かう。ここをはじめて訪れたstさんは参道に立ち並ぶ石灯篭に感動している。駐車場で車を回収して今日の宿・休暇村湯元に着いたのは2時。手続きをして部屋に入り、風呂に浸かる。じんわりと今日歩いた行程とその感触が甦る。戦場ヶ原は雪が少なく、草が剥き出しになっていたが、さすがに湯元は日本海側気候といわれるだけあって、そこそこの雪に恵まれた。標高でわずか100メートル高いだけなのに、湯滝から向こうは、雪国であった。もっとも、湯の湖は凍っていない。しかし、湖畔に位置する宿の部屋から見えるはずの男体山どころか、その手前の木立さえも、吹雪にかき消されて茫茫たる冬将軍の制圧に任せているようであった。
 
 風呂上がりから夕食までの間の3時間ほどの「談議」が楽しい。それぞれに持ち込んだビールや白ワイン、赤ワイン、日本酒を空け、お喋りをして、久々の邂逅を喜ぶ。このひとときのために「恒例の宿泊山行」があるのだと、改めて思う。これまでの山歩きを振り返って歳を重ねることに話は及ぶ。年をとっても年々体力が強くなっている人の健勝を讃える。2020年の「山行計画」に話が及ぶよりも、酔いのまわるのが早い。窓の外は、吹雪く一面の雪の飛び交う白い世界。むろん部屋のなかは暖かい。
 
 翌早朝は雲一つない空に、上弦の三日月が冴え冴えと樹間に輝く。朝の露店風呂から見上げると空の深い群青色がようやく明るみをもち始めて青に変わり、さらに薄い空色に変わっていく時間越しのグラデーションが、身の裡の気力につながってくるのを感じる。部屋に戻って窓を開けると、正面の木立のあいだから、すっくと立つ男体山のシルエットが目に入り、その手前の湯ノ湖の湖面が水を湛えて雪に映える。シルエットの男体山が明るくなった陽ざしに色合いを変え、奥日光の守護神であることを静かに誇っているようであった。
 
 朝食を終え、別行動を取る高齢の二人を置いて、三つ岳の肩を越すルートへ向かう。8時半。冬場に封鎖される金精道路の入口から、小峠へ向かう林道に踏み込み、その途中から光徳へ抜ける湯元からの旧道を歩く。旧道とは言え、三つ岳を巻く現在の道路ができてからは使われなくなり、ブッシュに覆われて夏場はとうてい歩けない。積雪期だけ通行できるルートを歩こうというわけ。雪が少ないと難儀するから、実はその様子を見るために、先月末頃に下見に来た。  kwrさんもkwmさんもその下見に付き合ってくれた。今日は彼らの案内で、光徳まで行こうということにした。
 ルートを探しながら、先頭を歩くのは、はらはらもするが、これほど楽しいことはない。そういう山歩きの味わいを味わってもらうことで、彼らもまた一歩、愉しみのグレードを上げることができる。
 
 昨日のカンジキと違ってスノーシューをはじめて履いたstさんは歯止めの利き方が気に入ったようで、先頭を歩くkwrさんの踏んでいないところを選んで歩く。林道も雪も、先月末よりは少なくなっていたが、それでもそれなりの深さがあり、キュッキュッと雪が締まる音が響いて、身体に跳ね返る心地が快い。
 45分で林道から逸れる、旧道の入口に着く。ここでkwmさんに先頭を交代する。kwmさんはヒノキの枝を避けながら、迷う気配をみせず、ぐいぐいと斜面を上っていく。あまり急がないでと、一番後ろから声をかける。stさんはスノーシューが、ますます気に入ったようだ。
 kwmさんが立ち止まって、先を探しているところでstさんが振り返って「こちら? あちら? どちらへ行くの?」と聞きたそうな顔をする。「kwmさんに任せているからね」と、私は知らぬ顔をして立ち止まっている。やはり先月末に歩いた斜面を選んで身を持ち上げる。
 ほとんど迷うことなく、下見のときにお昼を取った地点へたどり着く。何と旧道入口から25分で来ている。積雪は半月のあいだにずいぶん減って、前回雪の下にあった倒木がすっかり身をさらしている。トラバースも草や枯れ枝を踏みながらすすむ。msさんが、「ああ、ここは覚えがある」とトラバースをしながら声を上げた。もう何年も前になるが雪の多いときに彼女はこのルートを歩いたことがあるのだ。stさんはkwmさんと違った新雪を選んで、雪の感触を楽しんでいるようだ。
 
 あっ、あっ、ニホンカモシカがいた、と先頭にいたkwmさんが指さす。しばらく彼女と目を見つめ合ったそうだ。カモシカは近眼だと聞いたことがある。動じないというより、見ているものを確かめるのに(たぶん)時間がかかるのだろう。カモシカの踏み跡が、これから下る急斜面のそちらからこちらにつづいて残り、あちらの木の陰に消えている。
 真っ正面に男体山が姿を見せる。三つ岳の峠を越え、肩の南側に来たのだ。陽ざしが暖かい。「記念写真」を一枚撮って、ここから光徳の学習院の小屋に向けて標高差300メートルほどを下る。てんで勝手にルートを選んで下りに下る。下の方で少し登ったことを憶えているkwmさんは一番谷間に下るのを避けて、中腹をトラバース気味に下る。雪を楽しみたいstさんは、谷間に降りてしまう。msさんは用心深く、降りてゆく。kwrさんはマイペースでkwmさんの近くを歩く。それぞれに雪を味わっているように思う。
 
 学習院のそばの池の囲いの上を回り込み、やはり学習院への除雪道路に踏み込まないように、その傍らを歩いて光徳牧場の方へ下って行った。ふと時計を見ると、11時25分。なんと、出発して3時間かからずに今日の行程を終えてしまった。光徳で合流する予定の、別行動のkhさんたちには12時から13時ころに着くと言っていたから、ずいぶんと早い。彼ら彼女らの山歩きの力量が高まったんだから、結構なことじゃないかとkhさんは後で言うが、私の歩く力が弱まっているってことも、考えられる。
 下見のときは、10時15分に金精道路の入口を出発して、13時50分に光徳駐車場に着いた。お昼を25分間くらいとってはいるから、それを差し引くと、3時間10分の行程だ。それが今回は、宿を出てから光徳駐車場まで2時間55分。宿から金精道路入口までの時間を差し引くと、2時間40分。下見のときより30分も早い。やっぱり私の歩き方がのろくなっているとみた方がよさそうだ。ま、早ければそれがいいというわけではないから、コース時間そのものはどうってことはないが、自分の歩行速度が鈍くなっているという自覚は、大切なことだ。
 
 こうして、今年恒例の奥日光宿泊山行は終わった。見上げる光徳の空には、少し雲が出てきた。khさんに連れられたoktさんはスノーシューを履いて、やはり戦場ヶ原から光徳牧場周辺を歩いて雪上山歩を楽しんでいたらしい。数えで80歳になるoktさんがどこまで頑張れるか、これからその領域に突入する私にとっては、わがコトのように感じる関心事だ。
 stさんはすっかりスノーシューが気に入ったようであった。まだ60歳代の半ばの彼女なら、これからスノーシューを買って歩いても、履きつぶすほど時間が残っている。
 数えで古希を迎えるmsさんは、体力もスリルも、そろそろ隠居気分で山を歩きたいというようだったが、「ありがとうございました。面白かったわよ」と別れ際に、懲りていないことを口にした。これはまた来年よろしくね、という挨拶だったろう。それが何よりうれしかった。
 
 kw夫妻は、私たちとここで別れて、バスで湯元へ車を取りに戻る。私とkhさんは借用したスノーシューを返しに麓の日光市へ立ち寄る。ほかの方々は、東武日光駅へバスで向かい帰途に就く。こうして、好天に恵まれた、日本海側にはそれなりに雪のあった奥日光の二日間が終わった。
 めでたし、めでたし。