mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

環境庁ができたことで「自分探し」がはじまった

2015-10-25 15:18:34 | 日記

 昨日は月例の「勉強会」。岩村暢子と養老孟の対談「現代人の日常には、現実がない」を読んだ(『日本のリアル』PHP新書、2012年)。岩村暢子は食卓の調査から家族の変化や文化の伝承の仕方の変化をまとめあげた社会調査の研究者。10/5のこのブログでも、簡略に触れた。

 

 面白かったのは岩村暢子が、

 

 《1985年前後から後に生まれた世代を……「ミーフェチ世代」と呼んで、「私」に対する「フェティシズム」が濃厚》

 

 と指摘し、

 

 《「私が大好き」で「私」に関心が高い。お気に入りの写真やマスコット、音楽や香りなどを身の周りに集め、持ち歩いたりして、自分の内的世界の心地よさにこだわるのに、外界や他者にはあまり関心を持たないという特徴もある》

 

 と描き出す。それに対して養老孟が《環境省ができたことで、「自己」が政府公認になった》と妙なことを言い出す。

 

 《本来、環境とは「自分の周り」のことであり、もっと正しく言えば「自分そのもの」なんです》

 

 と養老は解説して、「私」が分節化して取り出されたことを現代的な特徴だと、話しを根底から立ち上げる。つまり、「環境」を取り出して「保護する」というふうに「私の世界」から「環境」を分節化したことによって、(その裏側で)「自己」も確固たるものとして取り出され実体化される(と無意識界でなされる)ようになったと見て取っている。面白い。

 

 振り返ってみると、環境庁が設置されたのが1971年の高度経済成長の最中(環境省になったのは2001年)。水俣病やイタイイタイ病、東京湾の奇形の魚が話題になっていたころだ。その後着実に「環境」は改善され、たしかに生活は豊かになった。「中流意識」が日本を覆ったのもこの時代。この時期に青年時代を過ごした人たちの子どもが「1985年前後から後に生まれた世代」になる。「環境」が人間の手によって保護されなければならないのと同様に、「自己」も意志的に求めなければ得られないものという観念が無意識に沈潜したのであろうか。山や川という「自然」を「ふるさと」として自らの身体性の一角と肯定的に受け止めてきた私たちの世代と異なり、意志的に求め、保護的に応対しなければ「アイデンティティ」も形成できないと考えるようになったと言えようか。

 

 それが「自分探し」の起源だという分け取り方をして、岩村暢子は、次のようにと、引き取る。

 

 《自分の個性や自分らしさを大切にするようにと、家庭でも学校でも言われて育ってきたんです。そして、「自分らしさ」「自己」は周りとのかんけい抜きで見いだせると思っているし、私らしく生きることが自己実現だと思って、悩んでいるんです》

 

 この一節を読んでいるとき、なぜか私は、安倍首相のことを指していると、直感的に受け止めていた。むろん彼は、世代的には「1985年前後生まれ」の親の世代である。だが彼の、他人の話を聞かない態度、自分の主張を好意的に受け容れる人たち(だけ)とつるむ「お友達」センスは、岩村の指摘する「(私らしく生きる)自己実現」の姿ではなかろうか。

 

 《現代においては日常が変質してしまったのでしょう。僕らが育ってきた時代には、まだ日常がありました。「現実」という言い方をしていましたが、結局のところ人間は現実の中で生きていくのだということがはっきりしていたのです。》

 

 と、養老は「日常」の変質を説く。高度消費社会というのが、いわば「毎日がお祭り」になり、人々の欲望をくすぐり、贈与互酬に代わって商品交換へと舵を切ってきた。マスメディアなども日常よりは「非日常」の方が売れるとあって、いっそうそれを加速してきた。その結果が、10/9のこのブログで記した《「一億総活躍」という余計なお坊ちゃんセンス》に実を結んでいる。

 

 養老のこの指摘は、「現実」の方が変質したと言いかえることもできる。「1985年前後生まれ」の人たちにとっての「リアル」というのは「お祭り」のことだ。「リア充」はしたがって、日々お祭りのようなイベントに包まれて充実していることを意味しようか。となると、こっぽりと「日常性」の細々としたことが「余計なこと」として「かぶさってきて」しまう。そのような日常性に追われるのは「つまらない人生」であり、他人との「かんけい」に心を砕くのは「面倒なこと」でしかない、となるのか。「恋愛したいと思わない」「結婚したいと思わない」若者が4割に上ると、どこかのメディアが喧伝していたが、これもそうした(御身第一「ミーフェチ世代」)傾向の表出と言えようか。

 

 それにしても「ミーフェチ」の若い人たちは、シンドイのではなかろうか。坦々と歩くがごとくに「現実」の「些事」は連なっている。それらの多くが商品化されて金銭で解決できるようになっているとは言え、そうそうおカネばかりを使っていては、(よほど恵まれた人でなければ)やっていけない。雇用の方も厳しくなっている。私たち「ご老人」のように「観念」して「現実を受け入れる」ためには、まず己が「つまらない人間である」という根底的な地点に思いを致し、そのあとに「存在それ自体のために存在する」ことへと歩を進めるしかないのではないか。それに何がしかの「リア充」を感じとりたければ、埴谷雄高のように「妄想」によって世界の行く末を案じるか、第一次産業の生産現場に身を置いて「自然」と格闘することが何よりだと思うが、どうだろう。