mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

花のあかり たてまつる

2015-04-04 13:58:13 | 日記

 石牟礼道子の『花をたてまつる』(葦書房、1990年)を図書館から借りてきて読む。本を手に取って驚いた。紐のしおりが折りたたまれたまま、ページの中ほどに挟まれている。つまり、この本を手に取って読み開くのは私が初めて、ということだろうか。刊行から26年が経っているというのに。1981年から1988年までの間に彼女が書いたエッセイや書評などを収録している。Wikipediaに掲載された2014年までの石牟礼道子の「著書」24冊にも入れられていないから、雑文を収録したという扱いなのであろう。

 

 石牟礼道子さんの母・はるのさんが病苦と向き合って他界するまでの間に、道子さんの胸中に去来する母につきそう想いが、「彼岸」や「死」や「香華」といった言葉に託されて冒頭の一章にあてられている。石牟礼さんの母は1988年5月に86歳で他界されている。ということは、1902年生まれ、私の母は8歳年下になる。母にすれば、ほぼ同じ世代、同じ時代の空気を吸って生きてきた方だと思うだけで、昨年104歳で亡くなった私の母と重なる。

 


  「一見おっとりしているが、自分中心の強情をも押し隠して、いったんそれをあらわしはじめると、どうにもこうにも辟易する性格でもあったが、(余命いくばくもなくなると)すっかりどうでもよくなった。」


 「病気になる前はあまりのエゴイズムにあきれはてることがしばしばあったことなど、吹っ飛んで、ただただ母においてゆかれる子の、途方に暮れる気持ちがつのった」


 と記しながら石牟礼道子も、「二十年も経った今では、その生死もひとつになって、一人の人間が生きたという意味がほんの少し、自分の血肉になりかけた」と父へ想いを馳せ、亡くなった弟や祖父母に、そして水俣の患者たちに思いを及ぼして、次のようにつづける。

 


 「母の死がこれほどこたえるとは思いもよらなかった。生きることの悲しみを、母に支えられていたのかと思い知る日々である」

 

 娘であることが母への想いを深くしている。私の母は五人の息子を残した。娘が欲しかったと言っていたことも思い出される。息子たちは、それこそ母の思うように育った結果、親元を離れていってしまった。

 


 イエを継ぐ子どもがいてこそ思い描けていたであろう(旧家の)ご隠居の老後の暮らしが、ふと気づくと独り居の佇まい。それが、国際社会の荒波に呑み込まれて移り行く社会の変転に翻弄されながら、懸命に適応しようと母も子も泳ぎ渡ってきた結果であったと、どこまで自覚していたかはわからない。だがそうした、庶民の一所懸命をまぎれもなく果たしつくした人生であったと、母を振り返り、そして「声に出せぬ胸底の思いあり」と思う。

 

 石牟礼道子は「花をたてまつるの辞」の一節に、こう記す。

 

 花や何 ひとそれぞれの涙のしずくに洗われて咲き出ずるなり 花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに 声に出せぬ胸底の思いあり そを取りて花となし み灯りにせんとや願う 灯らんとして消ゆる言の葉といえども いずれ冥途の風の中にて おのおのひとりゆくときの花のあかりなるを

 

 「声に出せぬ胸底の思いあり そを取りて花となし …… おのおのひとりゆくときの花のあかり」。その「花のあかり」は末代へと受け継がれてゆくであろうか。