mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

日本のカタチ――「かんけい」の具体性に丁寧に付き合うこと

2014-11-08 14:51:59 | 日記

 『日本のカタチ2050――「こうなったらいい未来」の描き方』(晶文社、2014年)を読む。1962年から1973年の間に生まれた、建築家、雑誌の編集者、コピーライター、コミュニティデザイナーたちが集まって研究会をもっていて、ひょんな成り行きから本になってしまったモノ。40歳代から50代に突入したばかりの人たちが、「こうなったらいい未来」をどう描こうとしているか読み取れて、興味深い。

 

 この研究会自体は、2010年に始まり1年で終わる計画であったようだが、やはり2011年の東日本大震災がおおきな影響を与えて、こんな本の形になったようだ。2010年まで「失われた20年」が続いてきた。考えてみれば、この世代の人たちは、バブルがはじけたとき20歳から30歳。人生の社会生活の出立点から「失われた」世代ということを考えると産業社会の近代化前半を過ごした私たちと「未来」のとらえ方も異なって不思議ではない。

 

 山崎は「コミュニティデザインは3・0の時代へ」入ったという。1960年ころから20年ほどを「コミュニティデザイン1・0」と名づける。《コミュニティセンターやコミュニティプラザをつくるべきだと議論し、1970年代には整備の手法や地区の構成といった設備が主題となっていった》時期だ。

 

 「コミュニティデザイン2・0」は、《公共施設のデザインを行うときは、利用者や住民の意見をきちんと聞き、とりいれて作りましょう》という、住民参加型デザインと呼ばれる手法の時代。1980年ごろにはじまるとされる。山崎の書き方を読むと、この時期になると、欧米と日本の発想時期の時差はほとんどないようである。欧米発の考え方が即座に日本に流入してくる。日本が欧米に(考え方の点で)追い付いたと言える。

 

 そうして今山崎たちが実践しているのは、《そのハードすらつくらない。……何かをつくるから人の意見を聞きましょうということではなく、まずはそこに住んでいる人たちの意見を聞いて、自分たちが課題だなと思っていることを明確にしていき、そして、自分たちで解決していくことをエンパワーメントしていくこと》と位置づける。つまり、行政や専門家に任せて(自分たちの意向を汲みとって)何かをつくってもらうというのではなく、自分たちで「課題」を掘り起こし、自分たちで「解決策」見つけ出していくという、自律的なコミュニティの構成法である。

 

 これを読んでいる私のスタンドポイントは、上記でいう「自分たち」であり、「エンパワ=メント」されて「自律的」になる、「自」である。これまで、商業的なサービスや行政サービス、コミュニティの方も地域やNPOのサービスがあればそれを利用してきた側である。長い間「消費者」として接遇を受けてきたことが習い性になり、「あれがない、これが足りない」と愚痴をこぼしてきたのだが、その「自」の側が変わらなければならないことを「コミュニティデザイン3・0」はイメージしている。

 

 そういうことになると、安倍内閣が何をどうしようとしているかなどは、遠景に霞む。何はともあれ、自分たちで企画して、自分たちで運営して、面白く暮らしていく方途を早速にでも始めなければならない。「失われた時代」に成人期を迎えていた世代は、世の中に期待しないという作法を身に着けたのであろうか。彼らが、子どもたちにあれをしてやりたい、これを整えて保護的に育ててやりたい、などと考えたりしないであろうことも、私の期待の中には含まれている。いまの豊かな社会のなかで、なにもかも保護的に、至れり尽くせりで迎えようとする商業主義的交換の精神ではなく、基本的に自前で整え、自前でやりこなせるように土台を作り、それが難しいところをNPOの活動や行政サービスや商業交換を利用させてもらうというスタンス。「そういう未来」のためには、子どもたちにもサバイバルというか、自力生活の基本を教えておかねばなるまい。車に頼るな、歩け。エレベータやエスカレータに乗るな、階段を踏め。親に作ってもらおうと思うな、賄は自分でつくれ、と。

 

 思えば「失われた」世代は、近代化の時代を早足で駆け抜けてぐるりと一回りして、もう一度、自分たちが暮らすとはどのようなことなのかと考える、原点に立ったのだと言える。私たちの世代は、それほどのものがなく、あったものも戦争で使い尽くしは解しつくしてしまったところから、出発した。なべて貧しかったということが余計に、「成長」と「豊かさ」に「正義」の色あいをつけていた。社会主義が別様の近代化に過ぎないとは、思いもしなかった。そうして時代を生き過ごしてみれば、我が身が思い至らぬことも多かったが、知っていたからと言ってそれが人生を豊かにしたかどうかも、判別できないと、今になって思う。

 

 「豊かさ」ということ自体、私たち自身が日々紡いでいる「かんけい」の具体性に丁寧に付き合うことではないかと、単純に切って取れる。もちろん、真や善きことや美や聖なることや品位といった余剰を加えて「豊かさ」と呼びたい方も、居て悪くはない。だが、自然存在としての「人間」の「豊かさ」の基本は、「かんけい」を隅々までつかまえていることである。自律的に暮らしをつくりあげるというのは、自らの身体の文化として、その作法を備えることになる。

 

 高齢者となって、世の中をちょっと腰をひいて観るような癖が習い性になっていたが、一寸ばかり気合を入れて、自律的世の中の再構成にお手伝いできることがあるかどうか、考えてみてもいいと思ったりしている。いかんせん、すぐ忘れると思うけど。