mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

一般論はもう結構、具体性に踏み込め

2014-10-27 08:00:21 | 日記

 藻谷浩介×山崎亮『藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?』(学芸出版社、2012年)を読む。藻谷浩介(50歳)という方は、日本各地の地域(経済)を考察して、自力で立ち上がろうとしている様子を子細に報告してきた。成長一本やりの経済論に疑問を投げかけている経済研究者である。

 

 山崎亮(41歳)は「コミュニティデザイナー」という肩書を持つ。地域の再生復活を、地域の力で取り組んで行くプロジェクトをすすめている。地域活力を引き出す方法的プランナーとでもいおうか。

 

 本のタイトルのような中身の対談であるから、提示されている各地の実際が面白い。鹿児島市、島根県海士町、兵庫県家島町などの地域活力がどのように引き出されているかを、両者が語り合う。ついでにように記されている、東京都青ヶ島町(について藻谷が毎日新聞に書いたコラム)が面白い。

 

 人口214人(2005年)、日本最小の自治体。東京から船で11時間の八丈島と黒潮本流に隔てられさらに70km南。全周が断崖絶壁、南半分に巨大な火口が開いている。1785年の噴火で全島被災、130名が命を落とし、200名が八丈島に避難。荒地に入植し、39年後に全員で帰島。山頂の北側斜面に甘藷畑を開拓、11年後に年貢を納めて「再興」を宣言したと紹介している。「なぜそこまでして住むのか」という問いに導かれて、人が「棲む/住む」ということの本源を探り当て、そこから地域をみつめなおそうという視点が、新鮮にみえる。そう言えば、そもそも「経済」の語義の起源は「経世済民」であった。

 

 両者の対談の合間に、藻谷浩介が経済論議に絡ませて、「経済」の見方に問題提起する。ご本人は「藻谷が言っているのではなく、私は単に事実を提示しているだけ」という経済数字が、案外「経済常識」の意表をついている。

 

 ① 輸出は、バブルのころは41兆円だが、リーマンショック前は80兆円、「バブル後の海外では日本製品がますます売れていた」と。では、いまも「輸出振興」を躍起になって叫ぶのはなぜか?
 ② 貿易赤字と騒いでいるが、所得収支を加えた経常収支では圧倒的な黒字。バブルのころは所得黒字は13兆円であったのが、リーマンショック前では16兆円、その後も2011年は14兆円ある。東日本大震災の被害総額が16兆円というから、それに匹敵する所得を海外投資などから得ている、と。にもかかわらず、失われた20年などというのは、どうして?
 ③ 米中韓との貿易取引も21世紀になってからも着実に増えている。アメリカが減った分は中韓が十分埋め合わせてお釣りがくる。中韓関係が悪化したのは政治的理由だが、経済面での関係の深まりと継続は、ではどう位置付けるのか。 

 

 上記のことだけでも、「失われた20年」のイメージがだいぶ変わる。マスメディアも、そのあたりを見極めて報道すればいいのに、担当記者たちも経済に関しては素人同然であるから、藻谷のように「経済」の始発点を押さえたうえで、数値をしっかりと見極めてから記事を書いてほしいと思う。

 

 「経済」を扱う人は、一般論に陥りやすい。だが私たち生活者は、地域や仕事場などで日々の暮らしを具体的に行っている。景気が上向いていると言っても、給料が上がらなければ、物価が上がっていれば、上向いていない。マスメディアも一般論で報道する。具体性をきちんと押さえてと言っても、頭でっかちの記者たちには一般論しか見えないのかもしれない。学者じゃないんだから、そこんところをもっとミクロ的に踏み込むようにしてもらえないかと、いつも思う。

 

 そんなことを振り返ってみた本であった。