耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

朝の連ドラ

2012年03月21日 10時55分47秒 | 思い出
 NHKの朝の連ドラで、誂えの婦人洋装店の話が盛り上がっている。
主人公は私の老母とほぼ同世代である。


 私が小学校3年の時に、両親は田舎から出てきて、小倉の銀天街で婦人洋装店
を開業した。専任のデザイナーを雇って一時は縫い子も30人程抱えていた。
住まいは鉄筋4階建ての、最新鋭の県営アパート。2DKでバス・トイレ付き。ガスも
水道もある、田舎に比べれば超近代的な設備だ。
両親が店に出るので、家には住み込みの女中さんも居た。

 店員からマスターとかマダムと呼ばれて随分羽振りが良くて、いい暮らしをして
居た。6年生の音楽の時間に、「家にオーケストラのレコードが有る人?」と言われ、
「有ります!」っと答えてしまったものだから、銀天街のレコード屋で運命と未完成
のLPを買ってもらったことが有った。その音楽の女の先生は店のお客でもあった
ようで、すぐバレてしまったのだが。
 妹にはピアノの先生が、私と弟には家庭教師が毎週来ていた。

 テレビも出始めに買って、プロレスをよく見た。東北から来た中学出の住込みの
お姉ちゃん二人が同居して居たこともある。

 大阪の丼池に、生地の買出しに行く父について行ったことが有る。積み降ろし
は赤帽に頼んで居たが、夜行急行列車の網棚にヤール巾の生地の巻き物を
何本も乗せて、父が一人で運んでいた。

 運転手付きの自家用車も持って居た。自動車は普及し出したばかりで、セル
モーターが無くクランクでエンジンを起動する、今で言うワンボックスカーだが、
ある時踏切で止まり切れず貨物列車に巻き込まれて、大怪我をしたこともあった。

 店でお客さんとHラインとかAラインとかサックドレスなどという話をしていた
のを覚えている。何事にも山と谷が有るようで、一つの山が過ぎたら次の山に
うまく乗り換えることができなければ成長は難しい。隣で毛糸屋を営んでいた
伯父さんは、編み物の材料販売から既成服に進出して、繁盛させた。

 しかし父の店は、小倉の繁華街の女給さん達から売掛金の回収ができず、
私が中学生の頃に倒産した。
税務署(?)が家財の差し押さえに来て、私の愛読書だった文学全集に赤紙を
貼って行ったのはショックだった。

 それから、父と母は苦労の連続だった。
その逆境の中で、我々3人の子供達を大学まで行かせたのだから、頭が下がる。

 父は仕事のためにホンダのスーパーカブを買った。50ccの、今で言うラッタッタ
である。父と母と私の三人で運転免許の試験を受けたが、軍隊時代に自動車の
経験がある父だけが落ちた。父が再受験して合格するまで、私のオモチャになった。
このバイクで、闇のブローカーのような仕事をしていたのではないだろうか。

 パーキンソンで体が不自由になり、今でいう痴ほう症と老衰で、父は72歳で
亡くなった。この時母は65歳。


 その後、母は第幾つ目だかの人生をEnjoyした。
 父と入れ替わりに生まれた孫の面倒を見た後は、市立の老人大学に通い、
水泳・書道・ダンスを極め、俳句をたしなみ、旅を楽しんだ。

 そして、母は84歳で痴ほう症を発症し、グループホームに入居。
安楽だけど単調な生活に移った。

 考えてみれば、父と母の若いころの話は、ほとんど知らない。今のように
記録媒体がたくさん有る訳ではなく、残された写真も数少ない。もっともっと、
いろいろと聞いておけば良かった。

今頃になって悔やまれる。
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2 コメント

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みゆき (miyuki28k@yahoo.co.jp)
2012-03-29 06:09:26
はじめまして!ハロッo(~∇~*o)(o*~∇~)oハローッ 初めてコメント残していきます、おもしろい内容だったのでコメント残していきますねー私もブログ書いてるのでよければ相互リンクしませんか?私のブログでもあなたのブログの紹介したいです、私のブログもよかったら見に来てくださいね!コメント残していってくれれば連絡もとれるので待ってますねーそいじゃ・・・★・・・・・★・・・・・アドレス残していくのでメールしてね!そいじゃ・・・★・・・・・★・・・・・
久々に見ました (ちか)
2012-04-17 07:52:05
こういう話、聞くの好きです。
また思い出してアップしてください。

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