午前中、外回りのために公用車に乗っていた時のこと。
カーラジオから、某人気グループの10年近く前のヒット曲が流れてきたのだが、
聴いていて、あるフレーズが妙に耳障りに感じた。
あまり書きすぎると著作権法に引っかかるので最小限に留めるが、
それは「何かを信じて来れた」というフレーズ。
(これでもう、曲名が想像ついちゃうかな?)
そう、「来れた」ではなく「来られた」というのが本来ではないかと思ったのだ。
だいぶ前になるけれど、ある友人が「ら抜き言葉」を嫌っているのを知り、
少なくともその友人の前では、間違っても「ら抜き」にしないよう
気をつけていた(つもり)のだが、そうするうちに、
自分も何だか耳障りに感じてきたというのが正直なところ。
なので今は、「食べれる」とか「出れる」とか、すごく変に感じられる。
いつだったか、「笑点」の大喜利の挨拶で、歌丸師匠が、
「ら抜き言葉」の氾濫を痛切に批判していたことがあったのだが、
今ではそれに共感できる気がしています。
今日は、午前と午後と2回外回り。
午前中は一般道で移動したが、午後からは、
ちょっと遠い所だったので高速道路で移動。
正味30分程度の走行中、すれ違った車が僅か3台なのに対し、
沿道で見かけたシカの数は約20匹。
いかにも北海道らしい情景でした。
これだもん、本州の人に、「北海道は人より野生動物の方が多い」
なんて思われるわけだよ・・・。
カーラジオから、某人気グループの10年近く前のヒット曲が流れてきたのだが、
聴いていて、あるフレーズが妙に耳障りに感じた。
あまり書きすぎると著作権法に引っかかるので最小限に留めるが、
それは「何かを信じて来れた」というフレーズ。
(これでもう、曲名が想像ついちゃうかな?)
そう、「来れた」ではなく「来られた」というのが本来ではないかと思ったのだ。
だいぶ前になるけれど、ある友人が「ら抜き言葉」を嫌っているのを知り、
少なくともその友人の前では、間違っても「ら抜き」にしないよう
気をつけていた(つもり)のだが、そうするうちに、
自分も何だか耳障りに感じてきたというのが正直なところ。
なので今は、「食べれる」とか「出れる」とか、すごく変に感じられる。
いつだったか、「笑点」の大喜利の挨拶で、歌丸師匠が、
「ら抜き言葉」の氾濫を痛切に批判していたことがあったのだが、
今ではそれに共感できる気がしています。
今日は、午前と午後と2回外回り。
午前中は一般道で移動したが、午後からは、
ちょっと遠い所だったので高速道路で移動。
正味30分程度の走行中、すれ違った車が僅か3台なのに対し、
沿道で見かけたシカの数は約20匹。
いかにも北海道らしい情景でした。
これだもん、本州の人に、「北海道は人より野生動物の方が多い」
なんて思われるわけだよ・・・。