北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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武四郎由来の町

2019-12-03 19:20:22 | 釧路&釧根地方

 

JR釧路駅からそれほど離れていないところに「松浦町」というエリアがあります。

釧路市内の地名も、例えば春採湖がある「春採」がそうであるように、アイヌ語由来の地名なんかが結構あったり、あるいは、開拓の歴史(例えば「米町」など)に因んだ名前など、色々由来があるのだけど、この町名の由来は、北海道の名付け親にして、釧路周辺にも足跡を残している、かの「松浦武四郎」とされています。

具体的にいうと、この地域は、釧路駅とその付属施設を除き、湿地帯のためほとんど利用されていませんでしたが、武四郎が「此の町のごとき泥炭地たりとも、東蝦夷地第一の都会たるべし」という言葉を残していたことを縁に感じ、昭和7年(1932年)の町名改正の際、「松浦町」と命名されたとされています。

別に、直接武四郎が大きな足跡を残したとかではないようですが、武四郎の言葉どおり、その後の釧路は、道東地域で一二の都市として発展していくこととなりました。

 

 

そんな「松浦町」の一角にある公園。

公園名の表示はないけれど、「松浦公園」という公園とのことです。

 

 

 

 

私達の世代にとっても懐かしい遊具のほか、児童会館も設置されています。

 

 

お、何やら碑がありますよ。

もしかして武四郎関係・・・

 

 

ではないようですが、「建設大臣」とあるのが気になりますね。

 

 

昭和36年(1961年)、この地域に町内会が発足した当時、この公園のある場所は湿地帯で木が全く植樹されていなかったそうですが、ゴミの埋め立てにより造成することで、児童公園が造られました。

ゴミのためにガスが湧出し、地熱で木が枯れることもあったそうですが、地域の人達が、それにもめげずに植樹活動を続けた甲斐があり、シラカバやカラマツなど、やがて多くの樹木が生育することとなりました。

そうした緑化活動だけでなく、清掃や花壇の造成などの活動を行ってきたことが評価され、町内会は建設大臣賞を受賞することとなり、町内会発足から20年という節目の年に「親睦」と刻まれた碑が設置されたのだそうです。

なかなか目に留まらないところかもしれないけれど、こうして足を運び、歴史を掘り下げてみるのも町歩きの楽しみと言えます。

 

(「松浦公園」の場所はこちら。)

 

コメント
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