北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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四年が経って

2015-03-11 21:23:05 | 日々のもろもろ
九年前に一度書いているのだが、私は、例えばあと十分で会議が始まる、若しくは外出に出発するというような時、その段階で仕事が終了若しくは一段落していたら、100%十分以内で終わる自信がない限り、新しいことには手を付けない。
中途半端に手を付けて、時間厳守という基本ルールを疎かにするようなことだけはしたくないというのがその理由だが、そんな私にとって、今日は信じられないことがあった。
何かと言うと、14時44分に、他の部署から電話がかかってきたのだ。

わざわざ時刻を書いたので分かっていただけると思うが、今日は、この二分後に大事なことが控えていたので、一旦切って、十分ぐらい後にかけ直すという対応を取らせてもらった。
で、結果はと言うと、見事に十分近く話す羽目になった上、話の内容も、特に急を要するようなものではなかった。

何が「信じられない」かって?
そりゃさ、哀悼の意を表するのは義務でも強制でもないでしょうよ。
でも今日のことは、今年に始まったわけではなく昨年も同様だったし、実際にうちの職場では、国の機関として、今日の14時46分には一斉に黙とうを捧げる呼びかけをしているのに、わざわざその二分前に電話なんてかけるかな普通。
人としての感覚を疑うなどということは言いたくないけれど、このことは、「自分は哀悼の意など表するつもりはない。どうでもいいことだ」などと
言っているに等しいような気がして、腹立たしいというか、実に後味が悪いと感じてしまった。

もう一つ、いかがなものかと思う話。
昨年も違和感を覚えていたのだが、今日、あの日から四年が経ったことについて「四周年」と表現するのはどうなんだろう?
確かに、言葉の意味としては決して間違いではないのかもしれない。
でもこの表現は、「間違ってさえいなければ何でもあり」という世の風潮を象徴しているような気がしてならない。
普通に「四年」とか、今これを書いている時点で「ニュースウォッチ9」でも使っているのだが、「丸四年」という表現でいいだろう。
何度も言うけど、今日のような日に「周年」という表現はおかしいと、私は思う。
コメント (2)
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