北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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思いつきで行った場所

2009-05-08 20:09:19 | 道外旅行記
順番は前後しますが、高野山~夜の大阪珍道中(?)は一旦休止し、5月3日に訪れた和歌山市内から1箇所レポします。





JR和歌山駅から、普通列車で2駅。
紀三井寺へとやってきました。





参道から1枚。
紀三井寺は、今からおよそ1230年前昔の奈良時代、唐僧・為光上人によって開基された霊刹で、西国三十三所観音霊場第2番目の札所として知られている。

写真の奥に見える赤い建物は、室町時代に建立され、現在は国の重要文化財にも指定されている、このお寺の楼門・・・
という話を、今この文章を書くために関連サイトを見ていて初めて知りました。(笑)
知ってたら、アップで写真撮ってきたのに・・・、ガイドブックにはそんなことは一言も・・・って、本のせいにしちゃいけませんね。失礼しました。





楼門をくぐったその先にあるのが、231段の急な石段。
この坂は、結縁坂(けちえんざか)と呼ばれ、江戸時代の豪商・紀ノ国屋文左衛門と、紀三井寺の真向かいにある玉津島神社の宮司の娘「おかよ」との出会いの場となり、恋が芽生え、二人は結ばれたことから、その名がついたとされている。
因みに関連サイトから引用させていただくと、「あなたも、この人と結ばれたいという人が出来たら、この坂を登ると良いかもしれませんよ」とのこと。
そうか・・・でもそれは、2人一緒にってことだよねきっと。
1人で登っても特にご利益はないんだろうなあ・・・いくら思い描いている人が・・・、いや、失礼失礼。





この結縁坂は、いくつかの名前のついた場所に分かれているのだけど、特に目についたのがこれ。
男の厄年に因み、42段の石段で構成されている。





その「男厄除坂」はこんな感じ。
42歳・・・6年後かあ・・・どうなっていることやら。





何とか無事に石段を登りきったので、その上にある建物を紹介。
まずは、「多宝塔」。1449年に建立された国指定重要文化財で、五智如来がまつられている。





これが、1759年に建立された、紀三井寺の本堂。
木で隠れて全体が見えないのが残念ですが。





「幸福観音」というの名の観音様。
本堂で引いた御神籤が吉だったので、さらに運気が向上しますようにとお願いしてきました。





「ごくらく橋」という名前。
先祖の供養のための物だそうなので、私は勿論、1月に亡くなった祖母に関してのお参りを。





最後にこの建物。
「六角堂」という、江戸時代(1750年頃)建立された、西国三十三カ所御本尊をまつる建物だそうなのだが、私は、そういう歴史よりも、「六角」という名前に思いっ切り反応してしまいました。
そう、「相棒」の米沢守役、六角精児さんを意識して。(笑)
えっ、こんな時ぐらい忘れりゃいいのにって?
忘れられませんよそんな。私から「相棒」と戦隊シリーズを取ったら・・・、多分何かは残ると思いますけど。

実を言うと、この「紀三井寺」に行こうということは、出発してから咄嗟の思いつきで決めたことだったので、準備不足もあり、帰ってきてから、「あそこも見てくればよかった」的な後悔があったりしたのだけど、そこはそれとして、全体としては、なかなか気持ちの落ち着く場所でした。

さ、次はどこをレポしようかな・・・(まだ決めてません。本当に)。
コメント
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