折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

あたかも『ミニ・クラス会』~身延山観光

2010-06-17 | 友達・仲間

幽玄の世界・身延山
身延山(みのぶさん)は、標高1,153m、山梨県南巨摩郡身延町と早川町の境にある山である。
また、同地にある日蓮宗総本山久遠寺の山号でもある。
山麓の標高400m付近に日蓮宗総本山である身延山久遠寺があり、山頂にも日蓮が父母を偲んで建立したと言われる奥之院思親閣(ししんかく)がある。




昨日、小・中学校時代の幼なじみたちと身延山に行って来た。
以下はそのリポートである。

イレギュラー

今回の幼なじみたちとの旅、いつもの『山歩き』とは違って幾つかイレギュラーなことが。

その1 いつもは『山歩き』が目的だが、今回は『観光』が主体。

だから、これまでなら久遠寺から身延山山頂までの約5・5㎞(約2時間半)は歩いて登る所だが、今回はロープウエイを使って7分で山頂に到着。

登りの苦手のHちゃんは、さぞかしほっとしたろうし、健脚家のMくんはさぞ物足りなかったことだろう。

万歩計の数字も、いつもの三分の一以下の少なさだった。

 
頂上にある奥之院思親閣にて記念写真(左)、頂上は深い霧に覆われて視界ゼロ(右)


その2 いつものKくん、Mくん、Hちゃん、H子ちゃんのレギュラー組に今回、Hくん、Y子ちゃんが新たに加わり、ちょっとしたミニ・クラス会に。

その3 いつもはMくんかHちゃんの車で行くのだが、車2台に分乗しては車中が盛り上がらないという意見もあって、今回は8人乗りのレンタカーを初めて使用。


タイムスリップ

今回新メンバー2人が加わって全部で7人。前述のとおりちょっとしたミニ・クラス会の様相。

車中で配られたお菓子類を頬張りながら、歓談がスタート。

話は、それぞれの近況から自然と子どもの頃の思い出話に。

遠足、修学旅行、運動会、学芸会のことから、悪ガキに率いられて、みんなで担任の若い先生を困らせたり、果ては泣かせてしまったことや、川をせき止めて、水を干し上げて魚を取った話し等々、話題はあちこちに飛び、車中ではみんなすっかり子どものころにタイムスリップしていた。

そして、2時間半があっという間に過ぎて、目的地『身延山』に着いてしまっていた。


 
身延山久遠寺本堂(左) 当日は、開闢会が行われていた。


『猫の目』天気

梅雨入りしたばかりで、前夜から天気予報は『雨』。

そして、そのとおり夜半は大雨、前途が思いやられる。
その雨、早朝には小降りになったが、みんな終日降るだろうと覚悟していると、車中のみんなの余りの明るさに触発されたのか、走り始めるとしばらくして雨も小やみになり、高速道路を走る頃には雲が切れて、日が差し始めた。
この分では、身延山の頂上から富士山が拝めるのではとみんな期待を抱き始めたが、どっこい、そうは問屋は降ろさず、当地は霧雨が降っていて、ケーブルで到着した山頂は、それこそ深い霧の中。

しかし、帰路は途中から再び雲が切れて、一転して30度を超す夏日。

中央高速から富士山の雄姿がくっきり。


そして、家に着く30分前には集中豪雨(夕立ち)があったらしく、道路には水溜りが。

大雨、小雨、曇り、晴れ、霧、晴れ、夕立ち、晴れと猫の目のように天気がめまぐるしく変わった1日であった。


 
ケーブルカーの乗り場付近から山頂を望む。(左)山頂は濃霧が立ち込め『白い世界』(右)

邦楽とジャズピアノの競演~東京邦楽合奏団定期演奏会

2010-06-15 | 音楽
幼なじみのKくんと一緒に行っているコンサート。
今年3回目になる6月例会は、これまでとちょっと趣向を変えて邦楽の世界をのぞいて見ることに。

先日、東京邦楽合奏団の定期演奏会に行って来た。

第1部は、尺八、筝、十七絃筝の織りなす純邦楽の世界。

邦楽演奏を聴くのは初体験と言うKくん。

『雅(みやび)と郷愁の響き、和の世界。癒されるね』

とはじめて耳にする和楽器の音色に興味津々の様子。


第2部は雰囲気を変えて、モーツアルトのメドレーで始まる。

和楽器が奏でるモーツアルトのメロディーにくつろいだ、おだやかな雰囲気が客席に広がる。(特にピアノ協奏曲第21番第2楽章が素晴らしかった。それにしても、演奏会の司会も兼ねている坂田誠山さんが、モーツアルトやビートルズを演奏するとお客さんが喜んでくれるんですよ、と苦笑いを浮かべて話す時の何とも複雑な表情が印象的であった。)

しかし、次からのプログラム、本演奏会の呼び物ジャズと邦楽の競演が始まると雰囲気が一変する。



ジャズピアニストケイコ女史と邦楽との異色の競演。


そして、エンディングの曲―Shu-Mo-Ku(シュモク・撞木)では、ジャズピアニスト ケイコ ボルジェソンさんと尺八の坂田誠山さんの競演という異色のコラボレーションが始まる。

彼女のきらめくようなピアノに誠山さんの尺八が呼応する。

火の出るような、息詰まるような両者の掛け合いが続いて行く。

わずか1尺8寸たらずの尺八がピアノの音と互角に競い合うこと自体容易でない筈だが、ケイコ女史の演奏に触発されて、誠山さんの演奏はあたかも尺八の神様が乗り移ったかのようである。

二人の音楽家のオーラが会場を包み込み、聴衆は魅入られたように聴き入り、演奏が終わると盛大な拍手が会場いっぱい響き渡った。



舞台と客席が一体となって盛り上がったエンディング。

そして、アンコールに応えてケイコ女史がピアノの弾き語りで「サマー・タイム」を熱唱すると、場内から期せずして手拍子がわき上がると言う異様な盛り上がりの中、『これ本当に邦楽演奏会なの』と目を疑いたくなるような興奮のエンディングとなった。


『山歩き』と『ブログ』の共通項~ブログ投稿500回

2010-06-13 | ブログ

日の出山(ひのでやま)
日の出山(ひのでやま)は、東京都青梅市御岳2丁目と東京都西多摩郡日の出町大字大久野の境界に位置する標高902m の山。(写真は、ケーブルカーの終点御嶽駅の展望台から日の出山を望む)


昨日、幼なじみのKくん、H子ちゃんと日の出山を歩いてきた。

当日は、下界は30度に迫る夏日であったが、山は涼風が吹き、快適。
ほとんど下り中心の尾根歩きを思う存分楽しんできた。


 
日の出山山頂(左)、山頂より御岳山を望む(右)


最近のKくんとの『遊び』の状況はと言えば、5月は3日の秩父、21日の妙義山の山歩き、16日のクラシックコンサート、そして、今月に入って、昨日の日の出山、今日は邦楽&ジャズコンサート、16日は身延山と言う具合に、少々過熱気味。
あたかも学校から帰るなりカバンを放り出して、幼なじみの家に『○○ちゃん、遊そぼ』と出かけていた子どもの頃にタイムスリップしたかのようである。

どちらかというと単調になりやすい今の生活の中で、こう言う時間が多ければ多いほど刺激を受け、リフレッシュするというものである。

その意味で、日々の生活にアクセント、彩りを添えてくれる、KくんをはじめMくん、Hちゃん、H子ちゃんたち幼なじみは、小生にとってかけがえのない大切な存在である。


話が変わるが、

『ブログに挑戦してみよう!』というNHKのテレビ番組を見て、これなら自分にもできそうだと思ってブログを書き始めてから1440日、この投稿が記念すべき500回目である。

『いつ止めてもいい』と気楽な気持ちで始めただけに、まさか500回まで続くことになろうとは、思ってもみなかったことである。



ブログを始めるきっかけとなった
テキスト



そして、昨日幼なじみたちと日の出山を歩きながら、山歩きは、一歩、一歩ずつではあるが前に進めば、いつか、必ず頂上にたどりつく。

ブログについても、結局は、たゆまず一つ一つの投稿を積み重ねたから『500』という一つの『頂(いただき)』に到達できた。

一歩一歩積み重ねていく『足し算の世界』であるところが『山歩き』と『ブログを続ける』ことに共通している点なのだ、とふと思った次第である。


それ故に、この『500』という数字には、それなりの『重み』と『価値』があるのではと、いささか自負しているところである。


そして、今回のブログ投稿500回を機に、これからも、この一歩、一歩という山歩きの精神で、次なる新たな『頂(いただき)』を目指したいと思っている。


成人式をボイコットして見た映画「ウエスト・サイド物語」

2010-06-10 | 映画・テレビ
前回は二十数年前に読んだ本を、改めて読み返したことを話題にしたが、今回は本ではなく、47年ぶりに見た映画の話である。

先日、NHK衛星第2放送で『ウエスト・サイド物語』を見た。

この映画は、日本では1961年12月に封切られ1963年5月まで1年半という空前のロングランを続けた映画である。

小生がこの映画を見たのは、大学2年に在学中の1963年1月15日であった。

なぜ、そこまで正確に覚えているかと言うと、この日が小生にとって記念すべき成人式の日だったから。


今から思えば『若気の至り』としか言いようがないのだが、成人式には家に戻って、出席してという田舎の両親の期待を、成人式などつまらない、退屈だから出ないと粋がって、実家に戻らず、その日は秋葉原に出かけて予て欲しかったソニーのトランジスタラジオを20歳の記念として購入したのだった。

その帰りに映画館に立ち寄って見たのが、この『ウエスト・サイド物語』である。



有名なアリア「トゥナイト」を歌う、トニーとマリア
(NHK衛星第2放送より)



映画の冒頭、70ミリの大画面に上空から写し出されたニューヨークの摩天楼の景観を見て息をのみ、躍動的でエネルギュッシュな踊りにカルチャーショックを受けたことなどが走馬灯のように思い出されて感慨ひとしおであった。

気が付いて見ると2時間半があっという間に過ぎていた。

そして、半世紀たっても、なお、色あせることのない、この映画は時代を超越して受け継がれる名作、傑作の一つである、と改めて思った次第である。


同時に、確かに、成人式の時にこの映画を見たのは、それなりに意味、価値があったと思うが、今、改めてこの映画を見て、『あぁ、あれから、もう47年もたってしまったか』という感慨と、あの時、自分は成人式に帰らなかったが、両親は成人した我が子の姿をどんなに見たかったことだろう、成人になった姿をなぜ見せてやらなかったのか、という忸怩たる思いが湧いてきて、複雑な気分を味わった次第である。



熱い思い甦る~小説「夜を急ぐ者よ」

2010-06-08 | 読書
組織に追われる男が辿りついたのは、台風が荒れ狂う沖縄。

そこで、偶然かって愛した女に劇的な再会をする。

物語は、この二人の男女の現在と過去を交互に描きながら、この二人が熱烈に愛しあいながら別れた理由とその後の歩んだ人生が明らかにされて行く。

そして、逃避行という極限状況の中で二人の間に再び燃え上がる愛の炎。

男は、追っ手から逃げ延びることができるのか。
女は、今度こそ男と未来をつかむことができるのか。



本書は長い間絶版になっていたが、
昨年末に復刊された。



1986年に刊行された佐々木 譲の初期の作品『夜を急ぐ者よ』を読んだ。

本書を最初に読んだのは、発刊されて間もない頃だから、かれこれ二十数年ぶりの再読である。


読書は、音楽と並んで小生の日々の生活の中で欠くことのできない楽しみの一つである。

主として、図書館の本を利用しているが、最近は、ずっと以前に読んで心に残り、歳をとった時にもう一度読み直して見たいと思っていた本を引っ張り出して読んでいる。

先般、二十数年前に読んだ津本 陽著『柳生兵庫助』(全8巻)を1日1巻のペースで読了、その面白さは一級品であることを再認識した。

そして、今回のハードサスペンス『夜を急ぐ者よ』であるが、本のタイトルが気に入って読んだと言う記憶はあるものの、細かいストーリーの展開についてはもう、ほとんど忘れてしまっていたが、読み進むにつれ、その当時、読みながら感じた、熱い思いが再び胸の内に蘇ってきて、感慨もひとしおであった。


昔読んだ本で、もう一度読んでみたいと思った本が、本棚の中でまだ沢山ホコリをかぶっているので、引き続きこれらの本を読んで、当時の気分を思い出せたらと願っている次第である。