折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「ゆでガエル」の危険性~「温暖化防止」への私見

2009-06-13 | 日常生活
<ゆでガエル>


先日の麻生首相の「温暖化防止対策」の記者会見をテレビで見ていて、その昔、会社の研修で教えてもらった「ゆでガエル現象」という言葉を思い出した。

「ゆでガエル現象」とは、カエルがいきなり熱湯の中に入れられたら驚いて逃げ出すが、少しづつ暖かくなっていくお湯の中にいたら、カエルは何も気づかないままに茹であがってしまう、という寓話である。


「温暖化対策」は、今や全世界あげての喫緊の課題であることは言うまでもない。

しかし、これまでの世界での温暖化防止の取り組みの推移を見ていると、ぬるま湯の中で徐々にゆでられているカエルを連想してしまう。

そして、今必要なのは、カエルが驚いて逃げ出すような強烈なインパクトのある対策なのだが、今回首相からその類の話が聞けなかったのは誠に残念であった。

           
           温暖化防止対策の中期目標について一面トップで伝える新聞記事


<超法規>


政府の温暖化対策の一つに「エコ・ポイント」や「エコカー」制度がある。

省エネ家電の購入者に最大3万6千円のポイントを付与し、ハイブリッド車など次世代自動車購入者に最大25万円の補助金を出すというのだが、この制度も所詮は個人レベルの話である。

確かに、この種のインセンティブも必要だろうが、他にもっとやるべきことがいっぱいあるのではないだろうか。

一例をあげれば、深夜3時、4時ごろまで放送しているテレビ、一晩中煌々と輝くネオンサイン、そして、コンビニをはじめとする深夜営業の店々等々、およそエコとはかけ離れた実態が野放しのままである。

こう言う現実に手を拱いていてよいのだろうか。

首相は、「環境と経済の両立が不可欠だ」と言った。
確かに、両立することは、何よりも望ましいことには違いない。

しかし、その前に「便利で快適な生活を優先し、環境を犠牲にし続けてきた」と言う真摯な反省がなされてしかるべきではないだろうか。
第一、今は「両立が不可欠」と呑気なことを言っていられる状況だろうか。

「ゆでガエル」になってしまっては「万事休す」なのである。


その昔、某首相が「人命は地球より重い」という名セリフを吐いて、人質と交換でテロリスト釈放するという「超法規」的対応したことがある。

温暖化防止対策においても、こういった言わば「超法規」的対応をするぐらいな、思い切った考え方と覚悟が必要な段階に来ているのではないだろうか。

即ち、今必要なのは、茹で上がりかけているカエルに、逃げ出す最後の機会を与える「熱湯=荒治療」である。

そして、荒療治を要する分野を徹底的に洗い出して、そこにメスをふるう。

それをするのが「政治」であり、「政治家」でなければならないと思う。


<正直者>


温暖化防止対策は、日本一国だけの問題でなく全世界が取り組まなければならない問題であることは周知のとおりである。

そして、温暖化防止対策は総論では賛成であっても、各論ではそれぞれ各国の利害が複雑に絡み合い「国益」、「エゴ」が対立する「魑魅魍魎」の世界であることもまた周知のとおりである。


そんな現実を前に、本気に「骨身を削る」ような努力をしようというのは「馬鹿正直」であり、正直にも程があると考える人もいるだろう。

しかし、このような正直者だけが、誰はばかることなく堂々と温暖化防止対策のイニシアティブを握って世界をリードできる資格を与えられるのだ、ということを忘れてはならないと思う。

一級のリーガル・サスペンス~小説「死刑基準」

2009-06-10 | 読書
図書館で3カ月近く順番待ちをした末、ようやく借りられた本「死刑基準」(加茂隆康著、幻冬舎発行)は、期待に違わず読み応え十分な小説であった。

             
               「死刑基準」(加茂隆康著、幻冬舎発行)


小説の楽しみ、醍醐味は、何と言ってもわくわくする面白さ、手に汗を握るストーリーの展開、これが先ずは何にも優る「必要条件」ではないだろうか。

そして、単に面白いだけでなく、読み終って「何か」を考えさせてくれものがあること、これが第二の条件「十分条件」なのではないかと小生は思っている。

読み終えた「死刑基準」は、この「必要条件」、「十分条件」を兼ね備えた小説であった。


◆ 息子を殺された被害者が、加害者を弁護した弁護士を逆恨みし、その妻を殺害する。
◆ 逮捕・起訴された男は強姦は認めたものの、殺人は頑強に否認する。
◆ そして、殺人の証拠となる物的証拠は何一つ出てこない。
◆ しかし、男には傷害致死を含め過去に3件の前科がある。


圧倒的に不利な状況下、下される量刑は、「死刑」か「無期」か、それとも・・・。

裁判の過程で、次々と浮かび上がって来る新事実。
徐々に明らかにされていく真実。
そして、予期せぬ結末。

これがこの物語を構成する「縦糸」である。

現役の弁護士が書き下ろした作品だけに、メインの裁判の場面の検事と弁護士の「丁々発止」の応酬は緊迫感に満ち、セリフもリアルで、非常に面白い。

そして、この物語を構成するもう一つの要素の「横糸」。


◆ 加害者を弁護する立場から一転、最愛の妻を殺され被害者の立場に立ってしまった弁護士。
◆ そして、その葬儀委員長をつとめた無二の親友の弁護士が、心ならずも殺害した男の弁護をする立場に。
◆ その弁護士とともに事件に深く関わっていく主人公。主人公もまた、妻を殺害された弁護士とは、旧知の間柄である。


心ならずも男の弁護をすることで引き裂かれていく二人の仲。

「弁護」と「友情」のはざまで揺れ動く心理。

「弁護」と「友情」は両立するのか。

作者は、この「縦糸」と「横糸」とを巧みに駆使して読者を飽きさせない。

そして、死刑制度の是非、被害者遺族の感情等を交えて、現在の裁判制度の抱えている問題点を我々の前にわかりやすく、しかし、鋭く提示する。

初の書き下ろし作品とのことだが、これは、もう、ページをめくる手がもどかしいほど、引き込まれてしまう、一級のリーガル・サスペンスである。

と同時に、まさに裁判員制度がスタートした今、この物語の中に出て来るような出来事は、これからは「小説の世界のこと」では済まされないのではないかと実感した。

本書に登場するのは「検事」、「弁護士」、「裁判官」いずれもその道の「プロ」たちである。

法廷では、そのプロ同士が、プロの「メンツ」にかけて「鎬(しのぎ)」を削って渡り合う。

そして、プロの裁判官がジャッジする。

本書の場合、フィクションだから最後には「真犯人」が暴かれるのだが、現実の裁判においては、ことはそう簡単にはいくまい。
単純な事件ならともかく、物的証拠がなく自白が決め手のような事件の裁判の裁判員に、自分が選ばれたらと考えた時、何の専門知識もなければ、取り立てて判断能力が優れているとも思えない小生などが、プロ同士の「丁々発止」のやり取りをどう判断すればよいのか、全く自信がない。

折から、足利事件で逮捕され、17年ぶりに釈放された菅家さんの記者会見の言葉を聴くと、粛然とせざるを得ない。

あの事件に関与した多くの関係者たちは、それぞれ、その時点ではベストを尽くしたと思っているとしても、平静ではいられないのではないか、と思ってしまう。

そして、これからは裁判員制度で選ばれた「普通」の人たちも、そのようなリスクに常にさらされることになるかも知れない思うと、裁判員になることにはどうしても腰が引けてしまう次第である。

「悪戦苦闘」7時間~御前山(ごぜんやま)登山

2009-06-07 | 友達・仲間
                   
スタート地点の小河内ダムから見た「御前山」(一番奥にかすかに見える山が御前山)


前々回の登山で御岳山に登ったけど、「奥多摩の山に登ったと胸を張るには、<御岳山>、<御前山>、<三頭山>の所謂<奥多摩三山>を制覇しないと、大きな口は利けないんだって」とは、幼なじみのKくんの弁。

そこで、今回はいつもの幼なじみのメンバーであるKくん、Mくん、Hくんそれに小生の4人で、奥多摩三山の一つ「御前山(ごぜんやま)」にトライした。

行程:奥多摩湖~惣岳山(1,341m)~御前山(1,405m)~栃寄沢~境橋バス停~奥多摩湖
所要時間:約7時間(昼食、休憩含む)
                   

<誤算>

その登山だが、幾つかの誤算が重なって、それは、それは「しんどい」山歩きとなった。

前夜から続いている「左アキレス腱の痛み」。これが、第一の誤算。

どうも、携帯の「歩数計」で日々歩いた歩数を記録するようになってから、張り切り過ぎて疲れが溜まってしまったようだ。

「予想を上回るきついコース」。これが、誤算の第二。

            
            上り始めから急な坂が延々と続く


先ずは、登り。
Kくんからは、「最初はちょっときつい」とレクチャーを受けていたが、曇天で少し蒸し暑い天候と、のっけから延々と続く直登りに、早くも悲鳴が。

そして、息つく暇もない行進に、全員がたちどころに汗みどろに。

小生は、余り多く汗をかく方ではないが、この日は珍しく大汗をかく。

大量の汗が4人から「元気」と「スタミナ」を奪うことに。
山歩きの苦手なHくんはもとより、ベテランのリーダーのKくんまで、苦しそうで顔色が良くない。

そんなことで、休んでは歩き、休んでは歩いているうちに、ペースがすっかり狂ってしまい、頂上に到着する頃にはMくんを除く3人は、もう、へとへと。

次は下り。
順調に下りて来て、舗装された道に出た時は「やれ、やれ、もうすぐだろう」と全員安堵の胸をなでおろしたのだが、ここから続くコンクリートやアスファルトの道路が「曲者」。

容赦なく、疲れた足にダメージを加える。
しかも、歩けども、歩けども目標の境橋の「バス停」に着かない。

気持ちもだれて来る。

「終わりに来て、コンクリートやアスファルトの道をこうも長々と歩かされるのでは、折角の登山の気分が興ざめになっちゃうね」

が4人全員のその時の一致した心境。


<「苦」あれば「楽」あり>


当初は御前山の山頂で昼食休憩の予定だったが、みんなの疲れ具合を見て、手前にある「惣岳山」(1,341m)山頂に変更する。


「おれ、今回で登山は3回目だけど、何でこんなに苦しい思いまでして山に登るのか、まだその気持ちがわかんないよ」

と歩きが苦手なHくんが例によってぼやく。

「Hちゃん、見てみろよ、あたり一面の木々の緑の何と美しいことか、空気の何とおいしいことか、ここまで登って来た者だけが味わえ,楽しむことができるんだ」

とKくん。

「そう言われてみれば、確かにそうだよな」

とHくん。

「Hちゃん、<楽あれば、苦あり>と言うけど、山歩きの場合は『苦』あれば『楽』ありじゃないかい」

と小生。

「『苦』あれば『楽』ありか」

とつぶやくHくんの表情は、未だ「半信半疑」の様子。

           
           御前山頂上にて
           惣岳山でゆっくり休憩が取れたので、元気を回復


<癒し>
           

険しい上りを登っている時は、ひたすら足元に意識を集中しているが、少しゆるやかな場所に出ると、ゆっくり歩きながら、あたりの景色を見やり、小鳥の鳴き声に耳を傾ける。

目に入るもの全てが、緑一色に染まり、疲れた心身を癒してくれる。

まさに、マイナスイオンの宝庫の感がする。

そして、時折鳴き交わすウグイスやほととぎすの声が何とも耳に心地よい。

前述の話の続きになるが、苦しいことに耐えた者のみに与えられる「贈り物」ということを実感させられるひと時である。

           
           一面の新緑とマイナスイオンが心身をリフレッシュしてくれる


<宙づり>


奥多摩駅方面の標識に従って、ひたすら下山中のこと。

森林を一部伐採した山が見えてきた。
良く見ると、その山の頂上と地上の間に数本のケーブルが張られていて、切り倒した木材をそのケーブルを使って運搬している現場に通りかかった。

地上から優に100メートル以上の高さに張られたケーブルに長い材木をぶら下げて頂上から地上に運ぶさまは、見もので思わずみんな空を見上げてしばし、その空中ショウーに見入った。


             
長い材木を吊り下げて下りて来る様は、まるで空中ショーを見るよう

                       
           地上では、機械でワイヤーをコントロールしている


<次は>


奥多摩三山のうち「御岳山」、「御前山」の二山は登った。
残された「三頭山」を登れば奥多摩三山を制覇したことになる。

奥多摩三山の中で一番高い「三頭山」へのチャレンジ、それが次回の「宿題=目標」である。

ちょっと「気持ち悪い」話~ひとりでに鳴り出したオルゴール機能付き絵本

2009-06-04 | 日常生活
今から1年ほど前のこと。

孫のKちゃんの情操教育に役立てば、とベイビー・アインシュタイン「ララバイ・クラシック」という本をプレゼントした。

表紙にセットされたボタンを押すとモーツアルト、ベートーヴェン、ビバルディ、バッハのメロディが流れる仕組みになっている。

              
              昨夜、2回ひとりでに鳴り出した絵本「ララバイ・クラシック」
              

今回は、この本にまつわる話である。

もう半年以上前になるが、娘夫婦とKちゃんが我が家に泊った時のこと。

翌朝、起きて来た娘が

「夜中に<ララバイ・クラシック>が突然独りでに鳴り出したのよ、気味悪かったよ」

と大事件とばかりに訴える。

「そんな馬鹿な、寝ぼけていたんじゃない」

と軽くいなされて、娘は不満顔。
しかし、それ以上の話題にはならなかったのだが・・・・・。


昨夜のこと。

風呂に入るべく脱衣所にいると、2階から音楽が聞こえて来る。

聞き覚えのあるメロディに一瞬、「あれ、何んだっけ」と考え、そうだ、例のクラシック・ララバイの中のモーツアルトの<きらきら星変奏曲>だと気が付く。

2階には誰もいない筈だ、と言うことは独りでに鳴っているということか。
半年前の娘の話を思い出し、急いで居間にいるかみさんに「ちょっと、来てよ」
と声をかける。

しかし、かみさんが来た時には音楽はもう鳴り止んでいた。

「今、2階で例の本が独りでに鳴ってたんだ」と小生。
「そうなの?」と半信半疑のかみさん。

それから数分後のこと。

浴槽で寛いでいると、再び2階で音楽が鳴り出した。

急いで風呂から飛び出して2階へかけつけ、鳴っている本を抱えてかみさんのいる居間へ。

「ほら、鳴ってるだろう」と証拠品をつきつける。

「本当だ、気味悪いわね」とかみさん。

「この本の上に何冊か本が乗っていたから、何かの拍子にスイッチが入ったのかも知れない」と小生。

「そうかも」

ということで、一応、その場は「一件落着」となったが、念のため件(くだん)の本は居間に場所を移して、目下、小生の監視下に置いている。

昼間は小生一人。

そんな時、件(くだん)の絵本からひとりでに音楽が鳴り出したら、ちょっとビビりそうである。

「怪談話」にしては、まだ、いささか時期的に早いが、我が家に起こった、ちょっと気持ち悪い、不思議な話である。

果たして、その効果は~「プレミアム付商品券」

2009-06-01 | 日常生活
市から「定額給付金」を振り込んだ、という知らせが届いて間もなくのこと。

市の広報誌と一緒に1枚のチラシが配られてきた。

                
                「総額2億2千万円」と大書された「プレミアム付商品券」発行のチラシ


「市の商工会で『プレミアム付商品券』を発行するんだって」
「ふ~ん」
「上限5万円で、1割のプレミアムが付くんだって」
「そう」
「居合の稽古着、買うんじゃなかった?」
「そのつもりだけど」
「眼鏡も買い換えるんじゃなかったっけ?」
「ああ」
「だったら、このプレミアム付商品券いいかもよ」
「そうだね」

かみさんとの間で、そんなやり取りがあったのは、しばらく前のこと。

そして、一昨日、昨日と二日間にわたって総額2億2千万円のプレミアム付商品券が売り出された。

その初日。
あいにくの雨の中、件(くだん)の商品券を買いに行った。

売り出し時間の30分前に行ったのだが、すでに40,50人並んでおり、小生の後にも長い列ができる。

その並んでいる顔ぶれを見て、ちょっと驚いた。
小生と同じぐらいか、もっと上のいわゆる「年寄り」世代が圧倒的に多いのだ。

そして、そのほとんどが上限の5万円まで購入していく。

それから数時間後、その場所を通って見ると「本日分プレミアム付商品券完売しました」の張り紙が。


「百年に一度の大不況」と言う深刻な事態への政策として、政府・与党が実施した「定額給付金」や「エコ・ポイント」等々の対策は、チマチマした選挙目当てのバラマキで、「百年に一度の大不況」と再三強調している割には、その中身は、いささか「お粗末」と言わざるを得ない。

さて、今回、市の商工会が発行したプレミアム付商品券だが、発行者サイドとしては先に支給された定額給付金と併せ、是非とも地元の活性化につなげたい、との切なる思いがこもったものであることは痛いほどわかるのだが、果たしてこの思惑、目論見通りいくだろうか。

商品券の使用期限が6月1日から9月末日なので、この期間は一時的に消費は増えるかもしれないが、10月以降はその反動が必ずあるだろうから、それらを考えると効果は限定的と思わざるを得ない。(むしろ10月以降の消費の停滞が心配だ。)

しかし、小生のように買いたい物、買わなければならない物が具体的にあって、「さて、いつ買うことにしようか」と決めかねている者にとっては、背中を押してくれることは、間違いない。

それに、われわれ年金生活者にとって1割のプレミアムが付くと言うのは、何と言っても大きい。

                 
                 500円の商品券が22枚綴りとなっている商品券

そんなことで、購入してきたプレミアム商品券を手に取りながら、「いつ、買いに行くか」と考えをめぐらせている小生である。