折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

親・子・孫3代「人見知り」の系譜

2009-02-11 | 家族・母・兄弟
前回のブログで孫のKちゃん(娘夫婦の長男)が近々、幼稚園の「1日入園」体験をすると言うことを書いたが、今回はこの後日談と我が家の「人見知り・引っ込み思案」のDNAの家系について、われわれ夫婦が交わした「お茶飲み話」を紹介しよう。

「幼稚園の1日入園体験、Kちゃんにグズられちゃって大変だったみたい」
「やっぱりね、そうなるのではと心配してたんだ」
「<いやだ>って大泣きしたみたい」

「物分りの良い大人ばかりを相手に遊んでいて、子供同士の遊びの経験が少ないからだろう」
「あの子、小さな子が遊んでいても余り関心を示さないもの」
「まあ、その点はちょっと心配だったんだよね」

「でも、まだ2歳ちょっとなんだから、そんなに神経質にならなくてもいいんじゃない」
「それに、われわれじじ、ばばがそんなに気に病むことじゃないよね」
「そうだけど、これからは余り<ちやほや>しすぎない方がいいと思う」
「これからは家の中ばかりで遊ばないで、公園などにも連れて行って他の子供たちが遊んでいるのを見させるようにするか」

「そう言えば、Kくん(息子夫婦の長男)もやはり幼稚園の入園式のときに大分グズったよね」
「入園式には新潟まで出かけて行ったんだけど、そこでグズられちゃって・・・。孫だけじゃないよ、息子もそうだった。幼稚園の頃、会社の運動会があって、自慢の可愛い息子を仲間にお披露目しようと連れて行ったら、人が大勢集まっているのに圧倒されてしまって、<いやだ>って、さんざんグズられて往生したんだ」

「わが家は<人見知り>の家系なのかしら。おとうさんは、どうだった?」
「小さい頃のことは覚えてないけど、物心ついた時は<人見知り>していたから、<人見知り>の家系の犯人は間違いなく、俺だね。<似て欲しくないと思っているところほど似てしまう>ってどう言うことかね」

「血って、争えないわね」

「女性陣は何ともなくて、男どもにDNAが受け継がれているというのも内心忸怩たるものがあるね」
「パールは<人間大好き>で人見知りなんかしないけど、犬同士では人見知りならぬ<犬見知り?>をするけど、あれもおとうさんのDNA(笑い)」


ある日の「お茶飲み話」での一コマである。

「親バカ」ならぬ「じじバカ」

2009-02-09 | 家族・母・兄弟
愛犬「パール」との朝の散歩でのこと。

5分ぐらい歩くと十字路にさしかかる。


その十字路から、丁度孫のKちゃんと年恰好が同じくらいの可愛い男の子が、まだ若い夫婦に連れられて歩いて来る。

しばし立ち止まって、通り過ぎるのを見送る。

母親と手をつないで、ちょこちょこ一生懸命歩いていく後姿がKちゃんに重なって、

「パール、Kちゃんのような可愛い子が歩いてるよ」

と愛犬に話しかけた。





いつもなら、ここを右に曲がるのだが、その子供の後姿に惹かれて、いつもの道を行く気になれず、曲がらずにそのまま一家の後をついて行く。


その子供連れの若夫婦が向かっている先は駅の方向であり、駅のそばには保育園がある。

距離を置いて彼らの後ろを歩きながら、彼らは「共稼ぎ」の夫婦で、その子を保育園に預けて、そのまま会社へ出勤するのだろうなと思っていると、案の定その保育園に入って行った。


小生が住むA市は、人口約13万人。
池袋まで電車で約20分の近距離にあるため絶好のベッド・タウンで近年マンションが林立し、小・中学校の受け入れ態勢が追いつけない状況が続いている。

駅の周辺には、小生が知っているだけでも4~5箇所保育園があり、朝の通勤時間には子供を預ける保護者の姿を、散歩の行き帰りに良く見かける。


その保育園の前を通り過ぎる時、件(くだん)の若夫婦が子供と丁度「バイ、バイ」をしていた。

その光景を見て、

「明日、幼稚園の1日入園体験があるんだ。本人は幼稚園、幼稚園とさも関心ありげなんだけど、わたしがいなくても大丈夫なのか、不安と期待半々なんだ」

と言っていた娘のことを思い浮かべた。


2歳3ヶ月になった孫のKちゃんは、専業主婦の娘と日がな一日、母親の愛情を一身に受けて育っている。

今時、専業主婦で子育てに専念できるとは、恵まれた、幸せな親子であると思っている。

ただ、それだけにKちゃんにとっては、どうしても大人と接する機会が多くなる。

昨日も我が家に遊びにやって来て、小生やかみさんを相手に1日中「ご主人さま」気分で心行くまで遊んでいったのだが、そんなKちゃんは、ちやほや甘やかしがちな大人たちに囲まれ、遊ぶにしても自分の思うとおりにしてくれる、自分のわがままを聞いてくれる大人たちと遊ぶのは大好きだが、そんなわがままが中々通用しない、同じくらいの年頃の子供と遊ぶのは、いまいち好きでないようだ。

「もう少し、お友達とも楽しく遊べるようにしないとね」

と、かねて言っているのだが、この日の朝のような光景を目の当たりにすると、

「うちのKちゃんは、今のままでは保育園生活はたいへんだろうな」

といささか余計なことを心配している。


そして、明日あるという幼稚園の「1日入園体験」の結果報告を親同様に不安と期待をもって待っている「親バカ」ならぬ「ジジバカ」の小生である。

写真&俳句VOL4 冬の日のハイキング

2009-02-06 | 写真&俳句
          
鐘撞堂山の頂上から眺める景色。
晴れた日は関東平野が一望の下に見渡せる。たまたま、この日、この時間帯は霞んでいて見晴らしは良くなかった。


はじめに

幼なじみのKくんと「近場の低い山を歩こう」シリーズの第2弾は、「鐘撞堂山」と「羅漢山」をめぐるハイキング。

その1日を写真と文章と俳句で紹介したい。(青の印字の俳句は小生、赤の印字の俳句は幼なじみのKくん)

当日のコースは、次のとおり。
コース:寄居駅→25分→大正池→15分→登 山口→20分→鐘撞堂山→20分→円良田湖→20分→少林寺→30分→寄居駅。徒歩計1時間45分。

寄居駅~大正池

寄居駅北口から国道140号線を越えて歩くこと約25分、山が近くなってくる。
よく見ると、もう杉の木が「花粉」をいっぱいつけている。

「ニュースによると今年は、花粉が飛ぶ時期や量も例年より早いし、多いらしいね」
そんな会話を交わしているうちに、「大正池」に着く。

               
山里にひっそりとたたずむ「大正池」


大正時代の初めに灌漑用の溜池として作られ、大正、昭和、平成の3代にわたってこの地の水不足に備えてきた。

一見、なんの変哲もない小さな池だが、幾多の風雪を刻んできたその湖面のたたずまいにはそれとなく惹かれるものがある。

山里に   時代を刻む   古き池


大正池~鐘撞堂山

大正池から林道を進むと登山口に出る。
樹林帯を抜けると竹林が続く。まるで竹林のトンネルである。

                
                竹林のトンネル

その竹林を、時折ゆるい冬の風がわたってゆく。

竹林を   そよと揺らすや   冬の風

風の音   凛と響きし   冬の嶺

真竹だけの見事な竹林なのだが、惜しむらくは手入れが行き届かずに倒れて黒ずんだ竹の残骸があちこちに見受けられる。

竹林や   荒れにしままで   哀しけれ


その竹林を過ぎ、尾根路をたどる。
すると、先を行く相棒が、
「ちょっと見て、この山つつじ、春の気配を感じない」
と道端のやまつつじに見入っている。

まだつぼみは固いものの、そこはかとなく春の息吹が感じられる。


山つつじ   寒さにめげず   春を待つ

               
鐘撞堂山の頂上。
東屋などが整備されていて、ちょっとした広場になっている。


鐘撞堂山は、標 高330m。敵の襲来を荒川対岸の鉢形城に、鐘を突いて知らせたという山。
関東平野を一望する頂上は、見張り台にはまさに絶好の場所。
この日は霞がかかって眺望は今一であったが、晴れた日には奥武蔵・秩父の山々をはじめ、赤城山や榛名山、浅間山も望むことができる。


鐘撞堂山~円良田湖~羅漢山・少林寺

帰路は、まず円良田湖を目指して山道を下る。

もうすぐ円良田湖という場所のとある民家の軒先に真っ白な猫が2匹ひなたぼこをしていた。(この猫たち、ハイカーの間で有名らしく、ネットでも紹介されている。)

相棒がその猫たちを見て一首

里山の  窪地の日向に   猫二匹

              
ひっそりとして、人気のなかった円良田湖


到着した円良田湖は平日のこともあってか釣り人の姿もなくひっそりとしている。


釣り人の   今は疎(まば)らな   浅き春


羅漢山は標高247メートルの低い山だが、頂上までは予想以上にきつい登りである。

山頂は小さな広場になっていて、休憩の東屋も建っている。
ここで昼食。


ここには釈迦如来像が立ち、脇侍に文殊、普賢菩薩が控える。

             
山頂の広場におわす釈迦如来


この頃から雲間から太陽が顔をのぞかせ、ぽかぽかと暖かくなってくる。

ひだまりや   観音様も   ひなたぼこ

木漏れ日を   笑顔で応える   羅漢様

羅漢山から麓の少林寺へと下る九十九折の山道には513体の五百羅漢が喜怒哀楽豊かな表情で並んでいる。

            
九十九折の山道には、さまざまなお顔の羅漢様が


相棒、曰く。
「どれひとつとして同じ表情はないということだよ。それと一心に尊顔を拝すると、亡くなった人の面影に似ている羅漢様がいらっしゃると言われてるみたいよ、試して見たら・・・」

マジになって、亡きおやじさんの面影を探してじっくりと尊顔を拝見した。

そして、そっくりとまではいかなかったが、おやじさんと母方の祖父に似た羅漢様を見出した。

羅漢様   慈悲のお顔は   父に似て

羅漢様   威厳の顔は   祖父に似て

羅漢様   赤い帽子は   藪椿

            
父の面影を宿す羅漢像

            
母方の祖父の面影を宿す羅漢像


少林寺~寄居駅~自宅

少林寺からは、寄居駅まで国道沿いにのんびりと歩く。
2時半駅に到着、3時半自宅に戻る。
愛犬の散歩の時間に悠々と間に合う。
近くて早く帰れる低山歩きの魅力を満喫した冬の1日であった。

こんなところにも「不況」の影が・・・・

2009-02-03 | 日常生活
小生が所属している「居合道」同好会は、当初は「居合」のみであったが、「抜刀」もやりたいという会員が大勢いたため、途中から「抜刀道」も加わるようになった、と聞いている。

居合道は、「講習会」や「試合」に行くと、われわれのような高齢者を始め、若い人になると高校生は言うに及ばず、小・中学生の姿を多く見かけるようになり、それこそ「老若男女」を問わず年々「居合人口」は増え続けている。

県下の主要各市部には、それぞれ支部があり、年に1回支部対抗の試合も組まれていて、その大会を目標にそれぞれの支部が「切磋琢磨」している。

ところが、「抜刀道」はどうかというと、その普及は著しく遅れていて、県下でも支部があるのは、わがA市とT市の二つしかない。

そして、抜刀道の全国大会等には県下からこの二つが代表で出場している。


抜刀道が居合道のように普及に広がりを見せないのは、

「抜刀道」には、

① 稽古にせよ試合にせよ全て「真剣」を用いるが、これが高価であること。

② 稽古には、真剣を使って斬る「仮標」の「巻き藁」を事前に準備したり、斬り終わった巻き藁を持ち帰って「ゴミ」として処理しなければならないなどの手間暇がかかること。

など居合道にない「ネック」があることが考えられる。


特に、仮標に立てる「巻き藁」を作るという事前の準備は、

① 巻き藁を作る時間的余裕がある人がいなければならない。
② 巻き藁の材料である古い畳表を有している「畳屋」さんが近くにあることも必要になってくる。

こう考えてくると、稽古用の「巻き藁」一つ作るのにも条件が必要なことがわかってくるのだが、当会の場合、この条件を完全に満たしている者は、

リタイアして時間が十分にあり、かつ自宅から歩いて3~4分のところに「畳屋」さんがある小生ほど、この役に「ぴったり」の者はいないと言える。



畳屋さんからもらってきた古い畳表を二つに折って、巻いて4箇所しばって1本の巻き藁が
出来上がる。


その巻き藁を水を張った入れ物に入れて約4~5日間浸けて置く。
夏などは、この水が腐って「異臭」を放つので、かみさんに「ご近所迷惑」だと嫌がられる。


その畳屋さんに、仮標の巻き藁のもとになる「畳表」を貰いに行きはじめて5年余。

すっかり畳屋さんの職人さんとも顔見知りになって、世間話をするような間柄になったのだが、昨年の暮れあたりから、この畳屋さんに少々異変が。


それまでは、いつも職人さんが3~4人、1日中忙しそうに働いていて、古い「畳表」もお店の片隅にうず高くつまれていたのだが、このところちょっと見には「手持ち無沙汰」をかこっているようなのだ。

「いつもの古い畳いただけます」と声をかけると、

「何枚ぐらいいるの、最近、リフォームが少なくなったのか、古い畳の量も少なくなっちゃってね」とのこと。

確かに、それまで古い畳表が山のように積まれていた場所が、「すっきり」してしまっている。

「10枚ぐらいでいいんですけど」

「その位なら、あるな」と言って、奥の方から出して来てくれた。

「やっぱり、不況の影響はあるんですか」

「今は季節的にも量が出ない時なんだけど、それにしても、いつもよりは量が急に少なくなったね」

と職人さん。


このところ、自営業を営んでいる居合・抜刀の仲間たちから、折にふれ今回の「不況」の深刻さを聞かされていたが、自分が畳表を貰いに行っている畳屋さんにも「不況」の影が及んでいるのを目の当たりにして、

「ええっ!こんなところにも不況の影響が出てるんだ」

と、ちょっとショックを受けた次第である。