折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

大人の目配り

2007-06-09 | 教育
         
写真(左)5月21日時点では足の踏み場のないほどに散らかっていた部室。
写真(右)きれいに整理整頓されていた部室


『ええっ!どうしちゃったの?』

『何があったんだ?』

『信じられない!!』

『ウソだろう!!』

居合いの練習日、三々五々集まって来たメンバーたちが異口同音、驚きの声を上げた。
無理もない、つい先日までは足の踏み場もないほど散らかし放題だった武道場の部室(5月21日付けブログ『取り止めのない独り言』)がきれいに整理整頓されているのである。

ある事情通のメンバーの一人が解説してくれた。

『校長が替わったろう。今までの学校のあり方を見直しているんだってさ。<整理整頓>もその一環じゃない』と。

『なるほど、そういうことか』

『上に立つ者が、ちゃんとリーダーシップを取れば改善ができると言うことか』

『でもね、最初はいやいややると思うけど、それがどこまで続くかね』

『そのためには、最初が肝心だよ、<習慣化>するぐらい徹底的にやらないとね』

きれいに整理整頓された部室を見て、日頃、散らかし放題の状況に憤懣やるかたなかったメンバーたちも気分を良くしたようで口も滑らかだ。

何はともあれ、清潔に整理整頓されている光景を見るのは、清々しく気分が良いものだ。この状況がこれからも続くことを切に祈りたい。

これに関連があるような話が、先日読んだ新聞に掲載されていた。西武への『裏金』問題、『特待生』問題で揺れに揺れた専大北上高校野球部の監督の話である。少し長くなるが引用させてもらうと、

生乾きの洗濯物、脱ぎっぱなしの靴・・・・。屋内に汗のにおいが充満していた。昨年3月、専大北上高(岩手県北上市)の野球部寮を訪れた堀田一彦(51)はあぜんとした。教員らが交代で宿直していたが、管理人はいなかった。
『大人の目配りがない』。翌月、監督になった堀田は生活習慣を改めることから始めた。(中略)監督就任直後の練習で生徒を相手に投げ、打ち取った後に『野球だけでは成長しない』と説いた。『ネクタイが緩んでいる』、『ひじをついて食事をするな』。マナーの悪い選手はレギュラー級でも練習からはずした。
信念があった。大学卒業後は社会人でプレーし、専大の監督も務めた。見てきた中で生活態度の悪い選手は大成しなかった。『野球は個人が好き勝手にプレーしては成り立たない。それは言葉でなく、普段の生活の中で身につけるもの』(以下略)
(6月6日付朝日新聞「フェアの精神~高校野球考」より引用)


これまで、この学校の武道場の整理整頓ができていなかったのは、一義的には生徒に非があるが、根本原因は生徒を指導すべき大人たちの『目配り』が不足していたからではないだろうか。

その点、今回、曲がりなりにも整理整頓が行われるようになったのが、巷間言われているような(真相は定かではないが)校長先生が交代したことに伴う管理方針の変化なのであれば、その姿勢は大いに歓迎したい。

『で、どう、このまま続くと思う。賭けてみる。』

と例の情報通のメンバー

みんなの予想は、『続かない』と言う悲観的な見方が圧倒的であった。

『君たちは、全然信用されていない、頑張れ生徒諸君!!』

もう年輪は刻まれない

2007-06-05 | 日常生活
我が家のさくらんぼの木が枯れてしまった。


例年青々と葉を茂らせ、白い可憐な花を咲かせ、赤い実をつけて我々の目を楽しませてくれたさくらんぼの木が、唐突にその一生を閉じてしまった。


そんな事態は予想だにしていなかっただけに、少なからずショックであった。

今の家を建てた時に、玄関の横に小さな苗木を植えた。

爾来27年余、我が家の歴史をその年輪に刻んできたさくらんぼの木であった。


もうその年輪が刻まれることはないのだと思うと胸が痛む。


特に、この数年は大きな赤い実をたくさんつけるようになっていた。

それまでは、余り食べようとは思っていなかったので、鳥たちが啄ばむに任せていたのだが、昨年は実に大きな実をつけたので、鳥に食べさせるには余りにももったいないと、鳥たちと張り合い、赤く実ったさくらんぼを我先にと食したものである。



木を立ち枯れたままにしておくのは良くないというので、いよいよ伐ろうと言うことになって、根もと付近の幹の周りを測ったところ40センチもあり、鋸を挽くのに苦労した。 


『ここまで大きくなったのに、枯れさせてしまって本当にごめん。』


と心の中で手を合わせた。

いざ伐ってしまうと、さくらんぼの木があった辺りだけが歯が抜けたようになっていて、何とも落ち着かず、しっくりこない光景である。

見なれた景色が変わってしまうと言うのは、実に寂しいものである。

近所のお風呂屋さんに植えられているさくらんぼの木が今年も赤い実をいっぱいつけているのを見るにつけ、やるせない思いが募る今日この頃である。


サマータイム

2007-06-01 | 日常生活
今日から6月。

小生と愛犬パールにとっては、今日からサマータイムの始まりである。

例年、梅雨が明けると本格的に暑くなって来るので朝の散歩の時間を1時間早めることにしているのだが、今年はいつもより暑くなるのが速かったので前倒しして、サマータイムを実施することにした次第である。

今日はその初日、目覚まし時計を5時30分にセットしておいたが、その5分前には目が覚めていた。しかし、いつもより1時間早い起床とあって目は覚めても、頭の方は目覚めていない。「ぼうっ」として2階から降りて行くと、パールが尾っぽを千切れるほどに振って大歓迎し、室内を駆け回って張り切っている。                     


                    
                    1時間違うだけで、走る車の量も歩く人間の数も    
                    格段に少ない


あたりは、もうすっかり明るくなっている。

いつものように家の前で「おしっこ」と「うんち」をさせて、いざ出発。

1時間違うだけで、朝の気配が全く違うように思える。空気が澄んでいて、美味しく感じる。
また、いつもの時間だとひっきりなしに走っている車の姿も少なく、多くの通勤・通学の人が行きかう歩道にも人影はまばらである。

10分ほど歩くと、いつも歩いている川辺の散歩道に着く。

今日は昨晩の時ならぬ集中豪雨の名残か、川面に薄っすらと靄がかかっている。
あちこちに『水溜り』ができて、雨の降り方のすさまじさをとどめている。


                  
                   朝早くから川辺を散歩する人が多く見られる


6時前だと言うのに、朝の散歩をする人の姿が多いのにはちょっとびっくり。
追い抜いたり、追い抜かれたり、すれ違ったりした人は二十人をくだらない。
若い女性あり、中年のご夫婦あり、お年寄りの人もいて、それこそ『老若男女』を問わない。ぐっしょりと汗にまみれてランニングに精を出している人もいる。

一方、川原では浅瀬に膝まで浸して釣竿を操っている釣り人の姿が見られる。年恰好から判断するとどうやらリタイアした人らしい。その姿を見やりながら、先日の中学のクラス会の席でゴルフ仲間のT君が言った、「俺も、ついこの間リタイアして、今は専ら釣り三昧の毎日だよ」と言う言葉を思い出し、彼もきっとこんな風に朝早くから、釣り糸を垂れているのだろうと想像して、にやりとしてしまった。

この時間は、犬を散歩させている人は意外に少なかったが、川辺の散歩道が終わりになるところで、可愛い『豆柴』をつれたおばあさんが縁石に腰を下ろして愛犬に「おやつ」をやっているのに出会った。

それを見つけた『食いしん坊』の我が愛犬は、近づこうともう夢中。ものすごい力でリードを引っ張る。
それを見て、おばあさんが『おはよう、おいで』と優しく声をかけ、おもむろにおやつを取り出したからもう大変、『制御不能』、猛然とダッシュして、まんまと「おやつ」にありついてしまった。
しかも、あろうことかおばあさんの傍を離れようとしない。厚かましいことはなはだしい。

『もう、バイバイね』と未練たらたらのパールをおばあさんから引き離して、帰り道を辿っていると、前方から見覚えのあるおばあさんが歩いて来た。
昨年のサマータイムの時には、毎日のようにすれ違い、その都度『おはようございます』と挨拶を交わしていたおばあさんであったが、その後は、こちらの散歩時間が遅くなってしまったため、出会う機会がなくなっていたのである。

久しぶりにその姿を見て、「このおばあさん、ずっと元気でいたんだ、よかったなあ」とある種の感慨を覚えた。

『おはようございます』と声をかけると、おばあさんも覚えてくれていたらしくこちらを見て、にっこりして『おはようございます』と挨拶を返してくれた。
これからは、きっと毎日顔を合わせて、挨拶を交わすことができるだろう。

かくして、すがすがしい気分でサマータイム初日を終えたのであった。