折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

我が意を得たり~今日の新聞記事から

2011-04-01 | 雑感
今日4月1日で東北関東大震災から3週間。
そして、今日4月1日は、新しい年度が始まる日である。

新聞を読んでいるとよく『我が意を得たり』と思う記事に出会うことがある。今朝の朝刊でもそんな記事が幾つかあった。

我が意を得たり その1

先ずは、一面のコラム欄の『天声人語』から。

『上野動物園がきょう再開し、震災前に中国からやって来たパンダが公開される、途切れた日常が、遠慮がちに戻り始めた。月が替わり年度が改まるこの機会に、せめて気持ちだけでも切り替えたい』
『被災者を思い、節電を心がけながらも、平静に戻せることは戻し、戻れる人は戻る時だろう』
『日々気の持ちようと行いを少しずつ変えて、普通に近づいていく。あの愛おしい、平凡な日常に。被災した人も、免れた人も、目覚めるたびに別の一日が始まる。あすは少しだけ笑顔が増えると信じて、前を向こう』


情緒的表現ながら、読んでいて思わず深くうなずいた次第である。

我が意を得たり その2

次に、これも必ず目を通す投書欄の『声』から。

以下は、3月28日に掲載された「母親として『備える』しかない」というある母親の投書に対する意見である。


3月28日付投書「母親として『備える』しかない」


標題は、子どもに「できること」教えて

「母親として『備える』しかない」(3月28日)を読みました。子どもを心配する親御さんの気持ちもわかります。しかし、放射能汚染や地震への『備え』をいくらしても、100%の安心はありません。私たちはこの先、交通事故にあったり、がんになったりする可能性だってあります。空気中にもたくさんの菌がいます。それらから私たちは完全に身を守れるでしょうか?

親御さんに望むのは、『買いだめ』情報やスーパーの空きの棚に右往左往する姿、買ってきた大量の水のペットボトルを子どもに見せることではありません。「苦境下でも助け合って生きていこうとする方々に、私たちが何をできるのか」を考え、子どもに教える姿です。
被災者を慈しみ、涙を流す姿はお手本なんです。それは、子どもが日本の将来を担うために必要な教えになります。


投書された人は22歳の大学生であるが、まさに『我が意を得たり』の意見であり、よくぞ言ってくれたと敬意を表する次第である。