折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

朝の散歩中でのこと

2007-10-06 | 日常生活
10月に入りサマー・タイムは終了、愛犬パールとの散歩のスタートはこれまでよりも2時間遅れの7時30分である。

スタートが今までより2時間も遅れると朝の散歩の風景も全く違った様相を呈する。
まず、車や人の通行量が比べ物にならないほど多くなる。また、当然のことながら散歩中に出会う人たちや犬たちの顔ぶれもがらっと違ったものとなる。

サマー・タイムの時に出会った人たちとは、ほとんど〖おはようございます〗と挨拶を交わしていたが、散歩時間が遅くなってこれまでと違う顔ぶれの人たちと挨拶を交わすのにはそれなりの勇気がいる。
朝が早いと気分もさわやかで自然と〖おはようございます〗と言う言葉が出てくるが、8時近くになってしまうとそういう気分にもなれず、ついつい黙ってすれ違ってしまうことが多い。(できる限り挨拶しようとしているのだが・・・・・)
また、この時間帯になると犬を散歩させている人もめっきりと少なくなる。


散歩も終わりに近づき、まもなく我が家だと言うところまで帰って来た時、一人のおじいさんが、パールを見て、〖お前さん、相変わらず元気だね〗と声をかけてきた。

以前マルチーズをつれて散歩していた人で、小柄で人懐っこく、いつもにこにこしていて、散歩の途中小生とパールを見かけると、マルチーズと一緒に近寄って来て、パールに〖お前さんは、いつも元気でいいな〗と声をかけてくれるのが常であった。

そう言えば、このところ犬を散歩させている姿を見ていない。

〖どうしました、わんちゃんは?〗

〖いやあ、あのわん公、死んじゃったんだよ〗

〖それは、それはお寂しいでしょう〗

〖寿命だったんだよ〗

その人は、そう言ってしばらくパールの頭をなでていた。

犬を連れていないおじいさんの散歩姿は、何とも所在なげで、頼りなげで、寂しげに見えた。
我が家のパールの散歩は、朝・夕の2回であるが、そのおじいさんはいつも愛犬と一緒にいる姿を何回も見かけたことがある。きっと、1日中犬と一緒に過ごしていたのに違いない。

胸を衝かれる思いで、いたたまれずに挨拶もそこそこにその場を離れた。

帰りの道すがら、今はパールがいるけど、もしも散歩の相手がいなくなってしまったら、と想像した時、あのおじいさんの寂しげな姿が我がことのように思えてきて、暗澹たる思いを禁じえなかった。

そして、〖犬と私の10の約束〗(川口 晴著・文芸春秋)の8番目の約束

私は十年くらいしか生きられません。だからできるだけ私と一緒にいてください

という言葉がリアリティを伴って迫ってきた。