折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

強い人

2007-09-12 | 家族・母・兄弟
『もし、もし、おばあちゃん。今年はずいぶんと暑かったけど、どう、夏バテしてない?』
『ああ、お蔭さまで何とか来れたけど、今年は大変だったよ』
『そうだよね、何てったって大きな手術が終わって、すぐ夏本番だったもんね。正直、この夏をうまく乗り切れるか心配してたんだ、元気でよかったよ。でも、涼しくなって油断しているとガクとくるから気をつけないとね』
『ああ、ありがとうよ。十分気をつけるよ』


田舎に住むおふくろに『乳がん』が見つかったのは、91歳の誕生日を皆でお祝いして少し経った5月下旬のことであった。

その時の電話のやり取り。

『Iよ、困ったことになっちゃたよ』(Iとは小生のこと)
何時になく声に元気がなく、沈んでいる。一瞬、いやな予感がする。
『どうした?』
ちょっと間がある。そして、躊躇する様子で
『乳房にシコリが見つかってよ、最初は皆に黙ってたんだけど、どうにも気になって先生に診てもらったらよ、乳がんの疑いがあるって言うんだよ。1週間後に結果がわかるって言うんだけど、何でこの年になってそんな病気になるんかね・・・・・』

ええ!91歳で乳がんが発症!全くの想定外のことで驚き、慌てる。

『で、おばあちゃんは、どうするつもり、どうしたいの』
『それがさ、急にそんなこと言われたって、どうしていいのかわかんないよ。先生は、極々初期だから、手術したらと言ってるんだけど・・・・』

『最終的には、おばあちゃんが決めることだけど、俺としては、よしんば手術が簡単なもので、危険はないとしても、91歳の体にメスを入れることには、凄く抵抗があるね。それに手術した後、体力がなくなって、歩けなくなったらという心配もあるしね』

『先生は、その心配はないと言ってくれてるんだよ』

おふくろとしては、不安と心細さを息子に聞いて欲しかったのだろう。小生としては、ひたすら聞き役と慰め役に回る。


それから約1か月後、結局、おふくろは乳がんの手術を受けた。

そして、手術を受けると決めた時のおふくろの言葉が、今も耳の奥に強く残っている。

『Iよ、このまま放っといて、先々その時になって、辛い思い、痛い思いをするぐらいなら、今、手術しちゃった方が気が楽だし、毎日、毎日シコリのことを考えながら暮らすのも嫌なんだよ。先生も、たいした手術ではないと言っているから手術することにしたよ。』

この言葉の中に、91歳まで生き、そして、まだ、まだ、これから先も生きるぞと言う、おふくろの『生』への強い執着、執念を垣間見たような気がした。また、高齢での手術をあやぶむ声に、『自分は大丈夫』と年齢のことを余り気にかけない楽天的な性格が長生きの秘密なのかなとふと思った。

手術は2時間ほどで無事終わった。
手術を終えて集中治療室へ戻ってきたおふくろは、衰弱が著しく、91歳のおふくろには手術はやはり相当こたえたのだなと思わせる状態であったが、あくる日以降は心配された『肺炎』等の余病を併発することなく、順調に体力、気力とも回復、手術5日目に、小生がお見舞いに行った時はすでに顔色もよく、足取りもしっかりとしていて、『病院の飯はまずくてよ』と話す言葉にも力があった。
そして、数日後退院することが出来た。

小生の周辺では、91歳で手術をすることに、ほとんどの人が『ええ!本当なの』、『ええ!考えられない!』、『ええ!大丈夫?』など、驚きと懸念を示した。

入院から手術、退院までおよそ1週間。
周囲の懸念をよそに手術とその後のリハビリを共に乗り越えた、おふくろの強靭な精神力と頑健な体力には、ほとほと脱帽である。

そして、我がおふくろは、驚くほど芯の『強い人』であることを改めて思い知らされた次第である。