松尾芭蕉の句が刻まれています 撮影日;2009.6.14
文化6年(1809)10月の建碑
大和高田の俳人・西嶋紅園(こうえん)と脇屋愚口(ぐこう)が建てたそうです
正面に綿弓塚
右面に綿弓や琵琶に慰む竹の奥 芭蕉翁
左面に文化第六己巳十月 高田紅園愚公建立 と刻まれています
綿弓や 琵琶になぐさむ 竹のおく
芭蕉が貞享元年(1684)秋、苗村千里の案内で千里の郷里竹内に10間滞在し、当麻寺にも参詣したときに詠んだ「野ざらし紀行」のなかの句です
★所在地;葛城市竹内595(綿弓広場)
★交通;近鉄「磐城」駅下車 徒歩15分
★駐車場;無料6台程度
★入場料;タダです
★休館日;無休
★問合せ;0745-48-2811(葛城市観光協会)
この場所は、芭蕉の門人・千里の屋敷跡の近くで「旧興善庵」の境内です
休憩所は平成4年に、約百年前に建てられた高松酒造という造り酒屋の建物を改修して整備されました
操業は江戸時代で芭蕉のころからあったといわれ、100年以上前に廃業しそれ以降は民家として使われていたそうです
庭はよく整備されていて、バショウが植えられています
現在は、当麻町と新庄町が合併した葛城市の所有で、地元住民らで作る「綿弓塚保存顕彰会」が管理しています
「綿弓」は弓形の棒に牛や鯨の髭の弦を張ったものです
木綿の実を綿操車にかけ核を取っただけの綿を弦で弾き打って柔らかくする道具です
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大和建築詩のページ
文化6年(1809)10月の建碑
大和高田の俳人・西嶋紅園(こうえん)と脇屋愚口(ぐこう)が建てたそうです
正面に綿弓塚
右面に綿弓や琵琶に慰む竹の奥 芭蕉翁
左面に文化第六己巳十月 高田紅園愚公建立 と刻まれています
綿弓や 琵琶になぐさむ 竹のおく
芭蕉が貞享元年(1684)秋、苗村千里の案内で千里の郷里竹内に10間滞在し、当麻寺にも参詣したときに詠んだ「野ざらし紀行」のなかの句です
★所在地;葛城市竹内595(綿弓広場)
★交通;近鉄「磐城」駅下車 徒歩15分
★駐車場;無料6台程度
★入場料;タダです
★休館日;無休
★問合せ;0745-48-2811(葛城市観光協会)
この場所は、芭蕉の門人・千里の屋敷跡の近くで「旧興善庵」の境内です
休憩所は平成4年に、約百年前に建てられた高松酒造という造り酒屋の建物を改修して整備されました
操業は江戸時代で芭蕉のころからあったといわれ、100年以上前に廃業しそれ以降は民家として使われていたそうです
庭はよく整備されていて、バショウが植えられています
現在は、当麻町と新庄町が合併した葛城市の所有で、地元住民らで作る「綿弓塚保存顕彰会」が管理しています
「綿弓」は弓形の棒に牛や鯨の髭の弦を張ったものです
木綿の実を綿操車にかけ核を取っただけの綿を弦で弾き打って柔らかくする道具です
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