深吉野を愛した俳人の旧家でした 撮影日;2010.02.14
原石鼎は東吉野村の大自然の中で俳句とともに生き、数々の名作を残しています
彼の暮らしぶりをしのばせる部屋や土間のたたずまい
在りし日の写真などを見ることができます
石鼎庵の前に句碑が有ります
かなしさは ひともしころの 雪山家
石鼎の故郷、出雲に向かって建っています
原石鼎:本名(かなえ)
明治19年(1886)島根県簸川郡(ひかわぐん:現在の出雲市)の生まれ
原家は代々医者の家系で、父も兄も開業医という環境の中で育つ
15歳で松江の新聞「山陰新報」に入選
石鼎26歳の頃に兄と共に小(おむら)の出張所で医療を手伝いながら、短歌や俳句を作っていた
その後1年余りの間、石鼎は朝早くから夜おそくまで兄の代診をし、就寝前になってやっと句や歌の創作に励むという生活
わずかの休診、余暇を使って吉野一帯から宇陀までも足をのばし深吉野(みよしの)の大自然と山人の情にふれ、数多くの優れた名吟を詠いあげた
1915年、上京して高浜虚子主宰の「ホトトギス」に入った
1921年、35歳の時「鹿火屋(かびや)」を発行・主宰
その後「花影」「石鼎句集」を出版
昭和26年、多発性リュウマチ炎に狭心症を併発し65歳でこの世を去った
臨終の際「私の骨を深吉野へ」の言葉を残した
★所在地;吉野郡東吉野村小
★交通;近鉄榛原駅より バスで「小村大橋」下車 徒歩3分
★駐車場;なし
★入場料;タダです(事前連絡が必要です)
★休館日;年末年始
★開館時間;9:00~5:00
★問合せ;0746-42-0441(東吉野村教育委員会)
すぐ横に天照寺薬師堂や東吉野村民俗資料館が有ります
参考;石鼎庵
原石鼎は東吉野村の大自然の中で俳句とともに生き、数々の名作を残しています
彼の暮らしぶりをしのばせる部屋や土間のたたずまい
在りし日の写真などを見ることができます
石鼎庵の前に句碑が有ります
かなしさは ひともしころの 雪山家
石鼎の故郷、出雲に向かって建っています
原石鼎:本名(かなえ)
明治19年(1886)島根県簸川郡(ひかわぐん:現在の出雲市)の生まれ
原家は代々医者の家系で、父も兄も開業医という環境の中で育つ
15歳で松江の新聞「山陰新報」に入選
石鼎26歳の頃に兄と共に小(おむら)の出張所で医療を手伝いながら、短歌や俳句を作っていた
その後1年余りの間、石鼎は朝早くから夜おそくまで兄の代診をし、就寝前になってやっと句や歌の創作に励むという生活
わずかの休診、余暇を使って吉野一帯から宇陀までも足をのばし深吉野(みよしの)の大自然と山人の情にふれ、数多くの優れた名吟を詠いあげた
1915年、上京して高浜虚子主宰の「ホトトギス」に入った
1921年、35歳の時「鹿火屋(かびや)」を発行・主宰
その後「花影」「石鼎句集」を出版
昭和26年、多発性リュウマチ炎に狭心症を併発し65歳でこの世を去った
臨終の際「私の骨を深吉野へ」の言葉を残した
★所在地;吉野郡東吉野村小
★交通;近鉄榛原駅より バスで「小村大橋」下車 徒歩3分
★駐車場;なし
★入場料;タダです(事前連絡が必要です)
★休館日;年末年始
★開館時間;9:00~5:00
★問合せ;0746-42-0441(東吉野村教育委員会)
すぐ横に天照寺薬師堂や東吉野村民俗資料館が有ります
参考;石鼎庵