-写真の部屋-

奥野和彦

谷戸

2023-05-18 00:09:14 | 写真


昨日、最後にうっかり
あの子という書き方をしたが
同い年の男の子で後に悪友となる。

大人になって谷戸という言葉を覚えたら
まさにその一帯は谷戸であった。

丘陵地の高い位置に家があって
低くなったところに田んぼがある。
水は高い所から低い所へ流れ
そこが潤されるから。

幼稚園に上がる前の
子供の長ぐつを履いた僕たちが
親たちに叱られるのを分かっていながら
薮の崖を降りて田んぼへ行く。
湿地であり、小さい子供だけで行くには
確かに危険だ。
場所を誤ると底無しのようになっていると
おどされたが、実際にぬかるみにはまって
長靴が脱げてしまうとそれを
泥から引っ張り出す力もないし
裸足で崖は戻れないしで
どちらかがベソをかきながら
大人を呼びに行く。

僕らがそれでも
田んぼに下りたかったのは
カエルの卵を見たり、用水路に小さい魚が泳いでいるのを見たり
蛇口でもない、水道でもないのに
岩だか石だかの切れ目から綺麗な水がシュッシュッと
吹き出しているのを見に行きたかったからだ。

原風景

2023-05-16 21:57:11 | 写真


3歳の私が東京の下町から引っ越して
長ぐつを履きながらよちよち歩き出したのが
こんな風景の中であった。

今、その引っ越した町はすっかりベッドタウンになって
当時の面影を見つけることは中々難しいが

車で15キロも走って隣の町へ入るとまだその感じが
丸々残っている集落がある。
年に数回は実家に帰る途中にその辺を車で走る。
車を畦道のフチに停めて、少し歩きながら写真を撮る事もある。

単純に懐かしいなどと言う感覚では無く
もっと脳の記憶の回路そのものが
グラグラっと、揺さぶられるような気さえする。
あの時射していた5月の陽射しが
全く変わらず洗濯物を乾かし
僕があの中庭に歩いていけば同級生のあの子が
つっかけ履いて出て来そうな感覚になる。

サイドスロー

2023-05-12 21:22:50 | 写真


昔、温泉街で有名だったところが
残念ながら廃墟同然の町になっているのを見かける。
活気のある古からの人の営みを求めて行くのだけれど
どこでも良い訳では無さそうだ。

それでも
入り口をカーテンで閉ざされた遊戯場の軒先を
ツバメが飛び交い、河原の朽ちた遊歩道には
勝手にさまざまな植物が咲き
つまらない人間の思惑など忘れて
それらを享受して来れば良い。



ここで1枚

2023-05-10 00:31:52 | 写真


ここで1枚撮ろうかな。
その風景はいつもそこにあって
それを背景に人がいつものように出入りしている。
それは田舎の、
ヘビが日中悠然と這うようなアスファルトであっても
大学生が群れとなって登校する駅前の道であっても
人が生きている魅力的な場所である事に変わりは無い。