Fiji nakanishi

小城フォーク村夢楽人・勝手に海外協力隊
らいふステージ中西隆二のブログ  
シンガーソングライターFiji中西です

850円の親孝行

2010-09-19 21:49:52 | 日記
生きてるだけで幸せさ

中西もと子、87歳、独居。有田の上海飯店にいるとき、母から電話「どがんしようね、いっちょん顔見らんけん」とのこと、耳が遠いため他のお客様方に遠慮しながら、大きな声で話さなければならない。「夜に出てくるから、飯でも食おうか」と言うと「ゴメンネ、私がご飯をせんばいかんとにね」と、もうご馳走になることを決めている。そのつもりだけどね、と言うよりまだ母親なのである。私に対して今だに負い目を抱いているのである。何もしてあげられなかったとの思いを・・・。何もしてもらえなかったから、今があるのに・・・。18歳までお世話になったお返しは36歳までに充分してきたと言えるでしょう。今は産んでくれたお返しを続けているのです。しかし「52年はちょっと長すぎないかい、もとちゃん」ナンテネ。ありがとうね。感謝です。母の食事代850円

                        

展海峰(佐世保)で小さい秋見つけた

2010-09-19 17:42:50 | 日記


有田の上海飯店で麻婆豆腐定食を食べ(焼きめし、大盛りサラダ、スープ付きで900円)展海峰(てんかいほう)へ行ってきました。九十九島を眺める展望台まで、少し坂道を歩き写メを一枚。奥さんは途中で一休み上がってきませんでした。人が沢山いたからでしょう。駐車場横の畑には秋桜がちらほら、こちらも小さい秋見っけとカシャッ。どんなに踏まれても折られても、細い体で力強く花を咲かせるこの花が好きです。エッ、私に似合わないとおしゃるんですか。体型でしょう?なんとねーっ!顔に合わないとは・・・。

畑を良く見ると春に植えてあった菜の花が、大きくなっていて食べてみようかと思うぐらいに栄えてました。

フィジーの仲間たち (メリー タワラコロ)

2010-09-19 02:21:21 | 日記
      
2002年メリー・バイニタブアと同じ時期に、大和町の古賀農機さんで研修していたフィジアンです。この二人に会いにフィジーへ初めて行ったのです。上の写真で一緒にいるのは最初の奥さんでチコです二人目の子供を産んでから具合が悪くなり療養してます。2008年に行った時、子供の成長が良くないことは分かっていました。彼らは「大丈夫少し遅いだけ」と言ってました。帰国してからも心配はしてたのですが、今年行った時には既に別れて、下の写真の新しい奥さんマオパと一緒に暮らしていました。長男も一緒に。何処の国でも障がいを持って生まれてくる子はいます。フィジーは色々な面で遅れています、特に村は。いまだに人が死んだりすると霊のせいにしたり、○○の祟りだと言ってます。若い人達でさえそのように思っている人達がいるのです。話しが飛んじゃったね。私も×いちなのでそれはそれでいいんですけど。彼は一時期カンダブという島に先生として行くことになってたのですが、クーデターのため行けなくなってしまいました。2006年から2009年まで故郷のセルア島で漁師をして過ごしていたのですが、フィジーオイスカの研修所に再度勤めるようになりました。「だいじょうぶ、だいじょぶ」のメリーさんです。