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流出雑記 

2016/7/4

2016年07月04日 | Weblog
晴れ

2日前、7月で2歳になるおいの誕生日を祝った。ついでに6月誕生日だった私も祝ってもらった。おいは誕生日のことをまだよくわかっていないようだったけれど、家に人が寄り、いろいろもらって、おいはまだそのことを認識していないだろうけれど、パティシエである彼の母が作った手作り感のないくらい職人仕事のケーキをおぅぉ!とか言いながら食べていた。
誕生日はこの世に生まれついて、ただそれだけそのことをおめでとうと言われる。褒められたり評価されたりしているのでなく祝福を受ける。なんだかよくわかってないのにでも嬉しいことを表すおいの表情を見ながら、誕生日って生まれてただ生きていることを積極的に肯定しお祝い事にする儀式なのだと、ばかみたいに当たり前なことを思ったけれど、そう思うと結構大切ではないか。だって他にそんな日はないから。

2016/7/3

2016年07月04日 | Weblog
晴れ
奈良で仕事。

野火を読みきったその反射で、飢えもせず、平坦な戦場で私たちが生きながら見る風景や口にするものから、何を捉えることができるだろうか、というようなことを思う。
ある時代の、事情による、特殊な、危機的状況、その実体験から見つめられ煮詰められた人の言葉の創作物。その緻密にならざるを得ないこと、厚みを感じた。
現在地から、別にこれといって特殊でも、危機的状況でもない日々を煮詰めたら何が残るのか、何も!だとしても、この日々から見つめるより方法がない。なんでもないことの中をまさぐる手つきは。コンテンポラリーダンスですか。