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流出雑記 

2015/7/16

2015年07月16日 | Weblog

前を自転車で走っていく女子の白いレースのロングスカートの端が後輪に擦れて油っぽいしつこいべとべとしたやつにさりげなく汚されているけれど女子はまだそれに気付かずこのまま走っているとスカートごと女子も車輪に巻き込まれるかも知れない。

突発的酢漬け。何かしら不安になると家にある野菜を咄嗟に酢漬けにしてしまう。酢漬けにすればしばらくは安心だキュウリもにんじんも玉ねぎも。

社会情勢がゆらいだときに、何かしら声をあげたり抗議行動に参加したり、小さいことならSNSに自分の意見を書き込む、関連情報をリツイート、記事をシェア、いろんな意思表示がネット上では飛び交って、何かせよ何もせずにいることは悪だと言わんばかりにそういう水位が上がってくるけれど、私はそのどれもしていない。そういうことをしようとする自分の能動性から対外的な自分の見え方のための振る舞いという動機を拭えないし、打算抜きで声を張り上げプラカードを掲げている人と同じ土俵に全然上がれないし、何をやってもしっくりこないというか、取って付けた行為になってしまう。無関心が悪であるというのはわかる。でも心の根から動力をもってやれないことをやっといた方がいいとか、自分が考えているように人の言葉を書き込むのは私にとっては嘘になる。そういう嘘は好きじゃない。デモに行かないならこんな方法があると流れて来た方法に、選挙区の自民党候補者に電話でやり方がひどすぎる、次の選挙ではその結果が出るでしょうとかけるのが効果的とあった。それを見てそれも何かがおかしいんじゃないかと思った。そうすることで危機感を覚える候補者もいるのだろうけれど、そういうことなんだろうか。抵抗や抗議というのはそういうものなんだろうか。こういうことがあるといつも思う。抵抗する姿勢を促す言葉に抵抗感をどこかで感じてしまうことのうしろめたさを。

そんなことつべこべ言わずに反対意見を持っているならそれを表に出さないと黙認しているのとおんなじだ、取り返しがつかなくなってからでは遅いのだ、行動するなら今だ、ひとりひとりの行動が世界を動かす。

そういう言葉にすっと乗り込めたらこういうことを考えなくて済むのにますます身を固くしてしまう。北風と太陽みたいにコートを脱がせようと強風で吹かれるみたいに。持って行きたい方向にあからさまな強制力がかかっているものに対して、それがいかに正しくてもどういうものでもいいと思えない。主体の意思が生きていて自ずから動くものでなければやっぱりだめだと思う。

そういう意味で言っても実際の意味で言っても群舞は一生踊れない。私の体はみんなが向いている方向と違う方向を向きたがってしまい、でも別の仕方でみんながそろえて表現しようとしていることをもぞもぞやるような陰気くさい性質を兼ね備えた残念さのなかで、世の中のはね返りをちゃんと受けとって反射しながら生きていきます。