日曜日、親子3人で新潟市中央図書館(ほんぽーと)で行われた「ほんぽーとぐるぐるツアー」に参加。(というか、本当は一人家で寝ていたかったのだが、強引に参加させられる。)
行政のイベントというと、ぶっちゃけ、しょーもない企画が多い訳だが、りゅーとぴあで開かれている「りゅーとぴあ バック・ステージ・ツアー」や「オルガン・ツアー」などは結構面白いし、今回の「ほんぽーとぐるぐるツアー」も、図書館のバックヤードを見ることが出来、なかなか面白かった。
その、ほんぽーとで今、開かれているのが「絵はがきから見た懐かしの新潟展」。(12月4日まで開催。)サラッと見てみた程度だが、割堀が残る新潟の街はなかなか風情があったんだな…と改めて思った次第。
ただ、実際には新潟のシンボルであった割堀、坂口安吾の『日本文化私観』の中の「(ブルーノ)・タウトによれば日本に於ける最も俗悪な都市だという新潟市に生まれ…」と言うフレーズに代表されるように「汚い、くさい、危ない…」と市民から忌み嫌われていたようで、高度成長期、新潟国体の開催を前に、交通量の増大に対応する為、すべて埋め立てられることになった時には反対する人はほとんどいなかったようだ。(堀が濁って悪臭を放ち始めたのは大河津分水が通し信濃川の水位が低下した大正11年以後のことで、それまでは、そんなに悪くはなかったようである。明治初頭に新潟を訪れたイギリス人旅行作家のイザベラ・バードは、「すべてが舟で運ばれている。運河は新潟の非常に魅力のある特色となっている。」と記している。)
そして時は流れ、新潟の街を350年特徴づけた堀が無くなってから35年余り経った2000年頃、堀の復活を望む声が高まってきて、NPO法人 掘割再生まちづくり新潟が立ち上がり、「西堀に堀割を復活する」という夢を掲げて活動しているとのこと。
掘割再生まちづくり新潟 →http://www.horiwari.com/
実際、同法人の提言を受け、みなとぴあ周辺(早川堀)に堀が復元されたのだが、いかんせん中心部からは遠く、認知度というか、インパクト的には今ひとつ…と言ったところ。実際、(一応)中心部である西堀での復活への道は厳しい情勢のようだ。
まぁ、いろいろ意見はあると思うのだが、個人的な意見を言わせてもらうと、もう、古町界隈、落ちるところまで落ちちゃたんだから、交通量なんて無視して、ヤケクソというか、やけっぱちモードで西堀6、7番なんて2車線(できれば3車線)潰して堀にしちゃえば良いんじゃないか…って気がする。なんだかんだ言っても、今の古町中心部には、のんびりできる空間がないし、「なんにもない、なんにもない。」と言われる新潟なんだから、このぐらいの事をやっても良いんじゃないだろうか?(単なる思いつきだけど…。)
あるものを潰すのは簡単で、復活させるのは難しい…。そんなことを改めて教えてくれる新潟の掘割再生だが、街づくりというのは10年、20年、30年…という長いスパンで考えるもの…というのもまた事実であろう。ちょっと気恥ずかしい言い方だが、自分の子供の代に新潟市がアイデンティティを持った街になって欲しい…と思った「絵はがきから見た懐かしの新潟展」であった。