大空を見上げて

日頃感じていること

盲目の婦人と社交ダンス

2021-02-11 | Weblog

自粛生活から一年、恒例の3年振りの特別公務員(空挺)時代集まりや年二回の会社のOB会、親族、友人、知人達との付き合いを相手に対しての迷惑を考えコロナ収束まで全て断ち、辛い日々が現在も続いています。昨年一月から中止だったサークル、今年から趣味の社交ダンスも組まず足だけ週一練習に体温、消毒、マスク又会話厳禁でレッスンしています。

心に残る社交ダンスの思い出

若い頃からラクビー、武道が好きだった私は40代の頃、社交的な事が不器用で歌も苦手で何も出来ない自分が嫌で悩んでいた頃、友人に誘われ仕事帰りに社交ダンスを習いに行った。一時無我夢中になり5年位レッスンの想い出がある。
もうダンスから遠のいて20年になった。
現役をリタイヤして何か趣味を考え、もう70歳だが足腰は何とか丈夫な為、健康保持を目的に昔少し経験した社交ダンスを週3回レッスンにいっている。
夕ンゴの御堂筋 小林旭

二年前の二月、新春社交ダンスがあり参加しました。

始まってしばらくしてドレスにピンクのブラウスの胸にバラの花を付けて

60代の女性が、市の職員に付き添われに連れられて、もの静かに来られて

「踊って頂けますか!」と、

婦人は全盲でダンスの経験はプロの指導で20年以上との事。

お互いに自己紹介後「宜しくお願いします」と私もちょっと緊張。

ワルツ、タンゴ、ルンバと連続踊りましたが、私のリードに見事に応え

ダンス姿勢が素晴しく終わって私も恐縮しながら手を引き

座席へ誘導、何度も「ありがとうございます!」お礼を言われました。

私も初めての経験で無事にお相手出来た事に安堵し、この婦人の嬉しそうな

笑顔を見て爽やかな気持ちになりました。

この日は何故か某TV局が撮影に来ていました。

この様子は2月から二回位放映されるそうです。

(ちなみに以前婦人は24時間TV「愛は地球を救う」に出演したとの事。)

 

(会場 )   

有栖川宮舞踏会もう一つ(心に残る社交ダンス)
数年後、私は学習院OB主催の春の舞踏会に招待され行ってきました。
以前より何度か、親しい学習院OBの知人S氏(奥様は皇族出)より誘われていましたが、私にはとても場違いと思いお断わりしていました。
しかしこの度は社会勉強の為と思い切って行ってきました。

東京都港区麻布に有栖川宮親王(幕末の辰巳戦争で総司令官)屋敷が家系が途絶えて、都に返上され現在有栖川宮記念公園となり、周囲に各国大使館(ドイツ、スイス、ノルウェー、マダガスカル、カタール、スロベキア)等、麻布十番外人通りで東京でも静な場所です。

有栖川宮ホールに13時30分に着き、服装は男性は背広ネクタイ、女性はそれに準ずると言われていました。
天皇家侍従長をされた方やたくさんの皇族の関係者など参加していました。

受付を済ませ、ロビーで緊張していましたら、案内嬢にパーティー会場にと案内されました。
やがて静かにダンス音楽が流れ、ワルツの曲でそれぞれ優雅に踊られて、私はまだ雰囲気に慣れなく隅の方で緊張して座っていました。
しばらく見学していると品の良い年配の女性に「よろしくお願いします。」とお誘いを受け「ダンスはしばらく遠ざかっていましたのでこちらこそ宜しく。」とブルース、タンゴ、ウイナーワルツ、ルンバと緊張で汗をかきながら「上手くリード出来なくてすみません」と恐縮し何とか無事終えました。
後で聞いたのですがその方は有名な宮様との事。
その後4時間いろいろな人と踊り、懇談し楽しい時を過ごしました。
母方が勝海舟の血族目賀田男爵のご子息、徳川家血族徳川義眞氏のご子息の挨拶 
 *本当に素晴らしい経験が出来たと感謝してます。

    

 Shall We Dansu Final Dance      
  

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